まるで門番?大手町駅の2体のマーキュリー像(知られざる鉄道史 14)

ホーム側壁のデザインは高層ビルの壁面に映り込む「雲」をイメージしたもの
ホーム側壁のデザインは高層ビルの壁面に映り込む「雲」をイメージしたもの

マーキュリー像を巡る旅も、だんだんと終わりに近づいてきました。今回は、銀座線・丸ノ内線以外で唯一、マーキュリー像が置かれている東西線大手町駅をめぐるお話です。

1日あたり145万人以上が利用する東西線は、1路線で名古屋市営地下鉄全体の利用者数を上回る、日本で最も利用者の多い地下鉄路線であり、またラッシュ時のピーク1時間平均混雑率が199%に達する、日本でいちばん混雑する路線でもあります。

西船橋・浦安方面からやってくる超満員の電車は、地下鉄との乗換駅である門前仲町、茅場町、日本橋で乗客を降ろしていき、大手町まで到着するとラッシュはほぼ解消します。

地下鉄の要衝、大手町

「大手町」の由来となった江戸城大手門(空襲で焼失した江戸時代の門を再建)

大手町という地名は各地に存在しますが、いずれも城の正門にあたる「大手門」に由来しています。東京の大手町も城下のメインストリートとして、大名屋敷が立ち並んでいました。

明治に入ると大手町は、大名屋敷の跡地を転用して大蔵省や内務省などの官庁街に生まれ変わります。現在のようなオフィス街になったのは、戦後に中央官庁が霞ケ関に集約され、跡地が民間に払い下げられてからのことです。

その起爆剤となったのが地下鉄の開通でした。大手町は1956年に丸ノ内線、1966年に東西線、1969年に千代田線、1972年に都営三田線、そして1989年に半蔵門線が開通し、地下鉄の一大ターミナルとなったのです。

大手門を背に日本橋方向を臨む。この地下に東西線のトンネルが通っている。

マーキュリーの大手門

大手町駅のマーキュリー像は、東西線に沿って東西をつなぐコンコース上、駅事務室付近の階段に設置されています。東京メトロ4路線の合計で1日35万人が乗降する大手町駅ですが、2つの改札口の間に挟まれたこの通路の通行量は多くありません。長年、東西線大手町を利用していても、像の存在に気付かなかった人も多いのではないでしょうか。

大手町駅では5年ほど前から大規模なリニューアル工事が進められており、殺風景な通路は落ち着いた空間に生まれ変わりました。工事前からこの場所に設置されていたマーキュリー像も綺麗なショーケースに収められています。

何かがぶつかったのか頭部が凹んでいる

マーキュリー像は何を守る?

マーキュリー像が置かれた階段を下りると、その先にはすぐ上り階段があり、反対側にも像が設置されています。実はこの通路、頭上には丸ノ内線が交差しており、丸ノ内線のトンネルをくぐるために通路が一段低くなっているのです。

どのような意図があって、このようにマーキュリー像を配置したのかは定かではありませんが、大手門にちなんだ大手町らしい、門番のような姿と言えるかもしれません。

丸ノ内線のトンネル(赤枠)をくぐっている(東西線建設史の図面を加工して作成)

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枝久保達也 (えだくぼ・たつや)

鉄道ライター。鉄道のまち埼玉県大宮市で、上越新幹線より早く、東北新幹線より後に生まれる。大手鉄道会社に11年勤務の後、鉄道ライターに転じる。専門は東京の都市交通史。江東・江戸川を走った幻の電車「城東電気軌道」の歴史を探っている。

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