元ゲーマーのICT教員、Meは何しにアフリカへ!?(ガーナひとり暮らし 1)
私の名はネオ(ハンドルネーム)。現在、西アフリカの国ガーナで、ひとり暮らしている。私がなぜ、このガーナにくることになったのか。まずはそこから始めたい。
世間ではeスポーツが注目され、プロゲーマーを志す学生が現れた。ゲームを観戦する文化や興行化を推進する時代が到来しつつある。さかのぼること19年前、私はとある格闘ゲームに没頭していた。日本チャンピオンになり「Evolution」や「WCG」といった世界大会に出場したこともある。ゲームに費やした時間は、1万時間を超えているだろう。自分からゲームをとったら何もない、ゼロというくらい没頭していた。
以前は現在のように賞金が出る大会が少なく、入賞しても名誉が得られるだけであった。私は、「将来はプロゲーマー!」と思い描いていたが、その甲斐もなく、就職を余儀なくされることになる。将棋や囲碁とは違い、当時はゲームタイトルの続編が出なければ、プレイヤーとしての生活も終わるという状況だった。もし読者のなかに本気でプロゲーマーを目指す人がいたら、数多くあるタイトルのなかから、どのゲームを選ぶのかも重要になってくるので気をつけてほしい。
私は、ゲームに関わる仕事がしたくてドワンゴに入社した。「ニコニコ生放送」というライブストリーミングサービスで、ゲーム大会の有料配信やゲーム実況といったジャンルを開拓した。とてもやり甲斐を感じていた。プロゲーマーになれず落ちこぼれた人間が裏方として、同じジャンルで生きていくのも悪くない、と感じていたときさえあった。やがてドワンゴでの実績を買われ、ゲームメーカーのスクウェア・エニックスにヘッドハンティングされてアーケードゲームのプロデューサーとなった。
もともとプレイヤーだった自分が、一周してゲームの作り手にまわるというのもなにかの縁である。スクウェア・エニックスから世の中に自分の作品を出したことで、この上ないやり甲斐を感じると同時に、グローバルで展開する自社のタイトルを見ていて、ふと世界に目を向けるようになっていった。
そこで私は創業者である会長に話を聞いていただくことにした。「アフリカの開発途上国でゲームのマーケットを開拓してきます」。事前に秘書に連絡しておいたとはいえ、一般社員が会長にアポをとるのは、とても珍しかったらしい。おそらく変人扱いされたであろう。しかしながら、最終的には非常に良い笑顔で握手を交わせたことが印象的だった。「いってらっしゃい」。心の整理ができて、私はガーナへ向かうこととなる。
マラリアよりももっと怖いものがあった
「アフリカ」と聞くと広大なジャングル、ライオンやキリンというようなイメージを持つかもしれない。しかし、ガーナではそんな光景は田舎や国立公園にしかない。ガーナの首都を歩けば高層ビルやショッピングモールがあり、なんら日本と変わらない。首都では中華料理、インド料理、日本料理、タイ料理、マッサージ、スタジアム、娯楽施設などなんでもある。
しかし、怖い病気もある。マラリアの流行地域であるガーナは、蚊をはじめとする病気が多い。ガーナに入国する際は、数多くの予防接種をした。黄熱病、狂犬病、破傷風、A型肝炎、B型肝炎、ポリオ、髄膜炎など累計10本以上は注射をした。
治安に関して言えば、アフリカではかなり安全なほうである。新宿の歌舞伎町のほうがよっぽど怖い。ただ、用心するに越したことはない。夜の徒歩移動は控え、ほとんど車移動にしている。ガーナは車社会だが、交通ルールはないに等しい。直進優先ではなく、割り込み優先である。交通ルールの常識を疑ってしまう。また、ガーナで亡くなる人のうち、交通事故の割合は大きい。日本のように救急車もすぐくるわけではないので、交通事故が一番怖い。
そんなガーナで私が何をしているかというと……
そんなガーナで、私は現在、何をしているのか。ガーナのノーザン州タマレ市にあるタマレ教員養成大学で教師を志す生徒達に ICT(情報通信技術)授業の先生をしている。この学校は、2期制の全寮制で約1600人の生徒が在籍し、私は1年生のクラスを受け持っている。
ガーナではコンピュータに関する教育レベルが非常に低く、学生たちは日本の企業で当たり前とされるエクセルやワードといった実務的なソフトウェアの操作ができない。マウスの存在は知っていても、動かし方がわからない生徒も多い。日本では、小学校からひとり1台のPCで授業を受けるのが当たり前だが、開発途上国であるガーナでは潤沢な予算がなく、1台を5人が取り囲んで操作するのが一般的な光景だ。
ガーナの人々だが、明るくひょうきんで”いい人”がほとんどである。日本人のように恥ずかしがり屋が少ない(たまにいる)。黒人であることを誇りに思っている人が多い。また、自分のボスや年配の方に対して強い尊敬の念を持っている。ガーナの素晴らしい文化をひとつ紹介したい。
ここでは困っている人を助けるのは当然で、率先して無償で助けるのである。よく見るのは道路でエンストした車を見ず知らずの他人が大勢で押していく光景だ。タクシー代やTシャツはごまかしたり高く売りつけたりするくせに、困っている人を助けるのは完全無償である。「人を助けるのは当たり前。助ける際は無償で!」この文化はとても素晴らしいので、日本でもぜひ取り入れてほしい。