私たちは「椅子」の座り心地に無関心すぎないか?
座ってばかりの人生
編集者という職業柄、デスクワークがほとんどだから一日の多くは椅子に座って過ごしています。会社にいるときはほぼ椅子に座っているし、考えてみれば小学生の頃からずっと椅子に座っている人生です。
一日のなかでも、就寝時間を除けばほとんど椅子に座っているのではないでしょうか。そうなると椅子の居心地、座り心地は極めて重要な問題のはずです。仕事上でも、人生においてさえも。
しかしその割には、どうも椅子はいい加減に扱われてはいないでしょうか。会社で貸与されている椅子は、失礼ながらたいていは手頃なオフィス用機器です。(社員すべてにアーロンチェアのような高級椅子を与える企業もまれにありますが)
もちろん椅子以外にも事務機器をそろえるのにお金がかかりますし、お借りしているものなので贅沢を申し上げたいわけではありません。むしろ問いかけるべきは受け手側である私たちの無頓着であります。一日の大半、我が身をゆだねるものに対してあまりにも無関心なのではないでしょうか。
与えられたままの椅子で本当にいいのか
デザイナーズチェアなどの名作椅子が雑誌でも頻繁に取り上げられ、椅子を選ぶという行為はさほど珍しいものではなくなったと思うのですが、ことオフィスでは誰も気にしていないように見えます。文房具などに比べても、何という無関心でありましょうか。
私自身は快適な仕事環境をつくるために、オフィス用品はペンやはさみといった文房具から外付けのキーボードまで、気に入ったものは自腹でも買い揃えるようにしています。しかし会社の椅子に関して言えば、わりと座り心地も良く、特に不満を感じていなかったため全くのノーマークでありました。
しかし、仮にも住まい系メディアの編集長をやっている手前、椅子にこだわらなくて良いものだろうかと思い始めました。そういえば、かつて勤めていた会社には、独自に椅子を持ち込んでいる社員がいてかなり異彩を放っていたのですが、彼は自分に合った椅子を選ぶことの意味を知っていたのでしょう。
良い椅子はそれに見合うだけの価値がある
インテリア・家具のなかでも椅子というのはユニークな存在で、実用性はもちろんのことプロダクトとしての面白さもあります。それゆえマニアと呼ばれるようなコレクターも多数存在するのでしょう。
かくいう私はマニアには遠く及ばないものの、インテリアの中では椅子に最も関心を抱いてきました。いつかは欲しい!と思っている椅子もたくさんありますが、お金と置く場所がないためやむなく我慢しています。
そんな私が唯一、自宅で使うために購入したのがデンマークの家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子です。自分の仕事部屋用に居心地の良い椅子を探して辿り着いたのが、ウェグナーのCH36という椅子でした。これはウェグナーの椅子として大変有名なYチェア(CH24)よりもシンプルな形をしています。まるで椅子という概念をそのまま実体化したような形態と、座ったときにしっくりくる感じが心地良くて、当時の私にしては非常に高価な買い物だったのですが(今でもそうですけど)、思い切って買ってしまいました。
一時期はダイニング用の椅子として駆り出されることもあり、食べこぼしで汚されたりもしましたが、今でも私が自宅で作業するときの相棒として長らく愛用しています。この体験から、我が身にしっくりと馴染む椅子を使い続けることの価値を大いに実感しているわけです。
居心地の良い椅子を探す旅へ
そういうわけで、たとえオフィス用でも椅子選びは極めて重要なことではないかといささか自己正当化しつつ、居心地の良い椅子を求める旅に出ることにしました。
当たり前ですが、椅子の真価は座らないと分かりません。自分にとっての座り心地は、自分にしか分からないのであります。どんなにEコマースが進化したとしても、椅子はお店に行って座らないといけません。かくして、究極の居心地を求めてインテリアショップを巡る旅はしばらく続きそうです。