ひとりで「尺八」をひっそり吹く男 どこで練習するかが問題だ

(イラスト・古本有美)
(イラスト・古本有美)

尺八という楽器をご存じでしょうか。簡単に言うと、竹に穴を開けて、それを笛のように吹き鳴らす楽器です。1尺8寸(約54センチ)の長さなので、略して尺八と呼ばれます。お琴や三味線とセットで演奏している姿か、あるいは籠のようなものを頭にすっぽりとかぶった虚無僧(こむそう)が吹いている姿をイメージされる方も多いのではないでしょうか。

私はたまに気が向くと、尺八を片手に近所の公園へ行って、ひっそりと吹くことがあります。と書くと、まるで古典芸能に興味がある人のようですが、全くそんなことはありません。

力づくの勧誘と欲望に負けて

尺八を始めたきっかけは大学のサークルでした。大学に入ったらバンドをやるぞ!と固く誓っていた私は、軽音楽サークルに入ってベースを担当し、初ライブでミスチルを弾いたりもしたのですが、そのライブの終了後にボーカルが脱退を表明。掛け持ちしていたダンスサークルの方が面白くなってきたのでそちらに本腰を入れたいという理由でした。

このバンド、もともとギタリストがおらず、私が同じクラスでギターができる男に頼み込んで初ライブだけ参加してもらっていたので、急遽、バンドはベースとドラムのみになってしまいました。しかもドラマーは、ボーカリストが連れてきたどこかの女子大の子だったので、もはや打つ手なし。初ライブで空中分解という苦い思い出だけが残りました。

このようにロックバンドに燃えており、古典芸能になどまったく興味がなかった私でしたが、入学直後、様々なサークルが新入生を勧誘するイベントにおいて、無理やり誘われたのが尺八との出会いでした。

無理やりというのは決して誇張でもなんでもなく、実際、キャンパス内をふらふら歩いていたら突然謎の男に腕を固められ、まあまあ話だけも聞いてくれよと力ずくで椅子に座らされたのがきっかけでした。

バンドをやるつもりでしたからあまり聞く気もなく、はあはあそうですかと説明を半分受け流していたのですが、後ろの床にごろごろ寝っ転がって全くやる気のない男たちが数名いるのが気になりました。あと、ちょっと可愛らしい感じの女子大生も2人くらいいたので、それも気になりはしました。

「毎週木曜に練習しているから今度絶対に来てくれ、というか来い」と言われ、なぜか見学に行くことを約束させられました。こうしていかがわしい商法に人はハマっていくのだなあと嘆息しながらも、可愛い人もいたので、後日、練習場へと足を運んだのでした。

見学に行ってみると、女子はいませんでした。どうもおかしいなと思い、おずおずと尋ねてみると、「ああ、あれか。彼女たちは他大の子だよ」と素っ気ないそぶり。見事、おとり広告に騙されてしまったというわけです。

そんなことがありつつも、結局この尺八部に入ってしまったのは、弱小サークルにありがちな新入生への手厚い福利厚生のためでした。なんと1年生のうちは、飲食代はすべて無料という待遇だったのです。はっきり言って尺八には興味がありませんでしたが、1年間ただで飲み食いできるのはなかなか魅力的ですし、2年生になる時にやめてしまえばいいだろうと思い、しばらくは続けることにしたのでした。

こんな状態でしたので、尺八は一向にうまくならなかったのですが、なぜか毎週欠かさず稽古場に足を運び、練習後の打ち上げにも必ず参加していたためか、2年生になる前に次の部長に任命され、結局やめることができないまま大学卒業まで続けることになったのです。

どこで吹くか?練習場所が問題だ

卒業後はほとんど尺八を吹くことはなくなりましたが、ごくたまに妙に吹きたくなる時があって、近くの公園や河原に行っては、ひとりでおもむろに吹き鳴らします。とはいえ前述の通り、そこまで真面目に練習していたわけではないので、たいした腕はありません。たまにご年配の方が興味深く立ち止まられる時がありますが、さほどいいものも聞かせられず恐縮してしまいます。

尺八の良いところは持ち運びがしやすいことです。さきほど尺八は1尺8寸(約54センチ)と申し上げましたが、多くの尺八は真ん中のところで二つに分けることができるので、持ち運ぶサイズとしては30センチもありません。なのでカバンにも入れやすく、携帯性の高い楽器なのです。これがたとえばお琴なんかだと持ち運ぶのも大変ですし、演奏する場所も選びますが、尺八ならどこでだってひょいと取り出せますし、寝転がって吹くことさえできます。

とはいえ、けっこう大きな音が鳴り響くので、そういう意味では吹く場所を選びます。集合住宅で吹くのは少々はばかられるくらいの音量にはなります。なので、練習場所としては広い公園や広場、河原などを探すことになるのです。

数年前、ある演奏会に出ることになり、本番に向けて練習する必要が出てきました。そのときは賃貸マンションに住んでいたので家で鳴らすことはできません。日中は仕事があって夜しか練習できないので公園で吹くわけにもいかず、どうしようかと考えた挙句、カラオケボックスに行くことを思いつきました。カラオケ屋で楽器の練習をする人もいるとどこかで聞いたことがあるし、もう本番まで時間がないのでこれしかない!ということで、駅前のカラオケ店を訪れました。

もちろんひとりです。尺八はカバンの中にすっぽり入っているので、店員さんから見れば、ひとりで歌いに来たようにしか見えません。私はもともとカラオケで歌うのがそれほど好きではないので、ひとりでも歌いたい人には見られたくないのですが、そうかと言って尺八を吹きに来たことがバレるのはもっと嫌でした。

部屋に入り、時間がないので早速練習を始めたのはいいが、ドリンクを手にした店員がいつ入ってくるか気が気ではありません。いざ店員が来た時には、さっと尺八を陰に隠したのですが、なんの曲もかけず、歌本も開かずにじっとひとり座っているので、かえって不気味な光景となってしまいました。

カラオケ屋で吹く尺八は、音がいつも以上によく響いて自分がとても上手くなったような気分になれるので、思わず練習にも熱が入ります。熱中しすぎて隠すのが遅くなり、2杯目のドリンクを持ってきた店員さんにとうとう竹を見られてしまいました。あの店員さんは、私の手元にあった竹の棒を一体何だと思ったのでしょうか……。今でも少しだけ気になっています。

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松本宰 (まつもと・おさむ)

編集者。住まいのマッチングサイト「SUVACO(スバコ)」とリノベーション専門サイト「リノベりす」の編集長。住宅に限らず、己が心地良い居場所を探し求めてさまよう日々。好きなものはお酒と生肉とラーメン。

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