頭でっかちの「沖縄イメージ」で移住すると痛い目にあう(沖縄・東京二拠点日記 18)
10数年前から続けている、沖縄と東京の二拠点生活。12月中旬の沖縄で、地元で活躍するお笑い芸人や在日コリアンのサッカー監督、沖縄のヒップホップシーンを引っ張るラッパーなど、個性豊かな面々と交流した。そのかたわら、ぼくのような沖縄移住者たちと飲んで、沖縄で暮らしていくということについて語り合った。
こんなに本好きな地域は聞いたことがない
【12月18日】那覇に来てしばらくは悪かった体調も、すっかり回復してきた。起きて、昨日買ったチーイリチャーをあたためて食べた。夕方まで仕事をしたあと、泊の立ち飲み屋「串豚」まで歩く。そこで、ジュンク堂書店の森本浩平店長とフリーの編集者の宮城一春さん、「琉球新報」営業の比嘉研二さん、沖縄時事出版の呉屋栄治さんと合流した。
2018年中に出版された沖縄関連本の中で最も印象に残った本として、宮城さんが拙著『沖縄アンダーグラウンド』を選んでくれたという。年末の「琉球新報」の「年末回顧」という記事に書いていただいたのだが、ほんとうにうれしい記事だった。
それにしても沖縄関連本は今年400点も出版されたという。すごい数だ。沖縄は県内だけで60社ほど版元があり、「県産本」という一つのカテゴリーがある。こんなに本好きな地域は聞いたことがない。
新刊書店でも古書店でも県産本コーナーが充実している。ぼくも古書店の「じのん」(宜野湾)、「ちはや書房」(若狭)などで、店の品揃えや店主の博識にほんとうに世話になってきた。
「串豚」で食事をしたあと、ぼくの自宅近くにできた「koba’s」というバルで広告代理店の杉田貴紀さんが飲んでいるというので、顔を出す。
最終的には何人か我が家になだれこみ、映画「トレインスポッティング」のサントラを聴きながら酒を飲んだ。音量を上げると苦情がくるので(何度か受けたことがある・・・)、ほどほどの音量で。
在日コリアンのサッカー監督
【12月19日】朝から仕事をする。朝飯は沖縄そばと野菜と肉を炒めた「沖縄焼きそば」をよく作って喰うのだが、この日もそうだった。
夕方、年明けの1月から「琉球新報」で始まる「藤井誠二の沖縄ひと物語」の打ち合わせで、担当の新垣梨沙さん、知花亜紀さんと打ち合わせをする。ぼくが紹介したいと思う沖縄と深い関わりのある人々をインタビューして、月イチで記事にしていく。1回目は、元FC琉球監督の金鍾成(キム・ジョンソン)監督を取り上げることにした。
じつは金監督は2019年から鹿児島ユナイテッドFCに移籍することが決まっていた。4年間、沖縄で暮らし、チームのサッカースクールで子どもたちを指導していたが、途中からトップチームの監督になった。サッカーボールをワンボックスカーに積み、練習グラウンドまで運転するという、本来なら監督の仕事ではないことも嫌がらずにやっているのを何度も見た。
ぼくは、2002年の日韓ワールドカップのときに出した『コリアンサッカーブルース』という在日コリアンのJリーガーについて書いたノンフィクションで彼を取材して以降、親しくさせてもらってきたが、東京で会うことはずっと何年もなかった。
だが、あるとき連絡がきて、「藤井さんって、月のうちけっこう沖縄にいるんですよね。沖縄のチームでやることになったからメシいきませんか」と連絡をくれて、栄町の「ちえ鶏」でよく飲むようになった。じつは「ちえ鶏」のマスターの崔泰龍さんは若かりしころサッカーをしていて、金監督に指導を受けたことがあるという縁があった。
「琉球新報」で打ち合わせをしたあと、松山にあるライブハウス「Output」へ移動。前代未聞というか、芸人2人からノンフィクションの書き手が質問を受けまくるというイベント。
聞き手は、FECオフィス社長でもある山城智二さんと知念だしんいちろうさん。『沖縄アンダーグラウンド』をめぐって、あっと言う間の2時間だった。芸人さんたちは次の仕事があり、打ち上げは次回にしましょうということに。
そのあと会場に足を運んでくれた友人らと、栄町の「ちえ鶏」に移動した。「ぴらつか暦」というイベント情報紙を発行している はぎのかずまささんと、「おとん」の店長の池田哲也さん、カメラマンの深谷慎平君。オーナーの崔さん。みんな移住組だが、県外からやってきて、沖縄にどう根を張るのかということをいろいろと話した。
移住者はつらいよ、じゃないけど、沖縄は誰でも受け入れてもらえるみたいな「沖縄イメージ」や思い込みを持って、移住すると火傷する。
沖縄のヒップホップをリードするラッパー
【12月20日】那覇市内の波の上にあるCDショップ「波の上ミュージック」へ。ここはヒップホップ業界ではけっこう知られた店で、沖縄のヒップホップグループ「赤土」が経営している。
「赤土」を初め、沖縄を中心とするヒップホップミュージックの情報はここに集中していて、CDだけではなく、パーカーやTシャツなども扱っている。「赤土」のラッパーRITTO(リット)さん、DJの四号棟さん、グループをとりまとめる、とおるさんと待ち合わせた。
ぼくが「赤土」のことを意識するようになったのは、映画「バンコクナイツ」の監督・富田克也さんを取材するためバンコクに行ったときだ。バンコクの下町のホテルに滞在していた富田さんを訪ねると、「昨日まで沖縄からラッパーたちが来てたよ」と教えてくれた。それが「赤土」のクルーだった。入れ違いになったのだ。
バンコクのそのホテルには富田さんや、彼の映画の音楽を引き受けた「スティルイチミヤ」という山梨に根を張るヒップホップのメンバーもいて、「赤土」のことをいろいろ聞いた。それから、彼らの曲を意識的に聴くようになった。
1月から始まる「琉球新報」の連載で、RITTOさんを取材して、書かせてもらおうと思い立った。「赤土」クルーの3人といろいろなことを話して、取材を受けることを快諾してもらった。
そのあとはぶらぶら歩いて、若狭大通り沿いにある古書店「ちはや書房」に寄り、店主の櫻井伸浩さんとだべり、戦前の沖縄観光ガイドを買って、自宅に戻った。いまは閑散としている地域が、戦前は観光地として県外からの観光客に人気があったことを知った。
バルコニーに出て洗濯。バルコニーからどんより曇った那覇の空をしばらくぼーっと見ていた。洗濯機が回る音だけが聞こえる。洗濯ものを小1時間干したあと、室内に移し、室内除湿機のスイッチを入れた。夕方、モノレールに乗って、那覇空港へ向かった。東京へ戻るのだ。