原宿・両国・千駄ケ谷…「臨時ホーム」の幻を追う(知られざる鉄道史 8)

左が普段は使われない両国駅3番線
左が普段は使われない両国駅3番線

行き交う人々が交錯する通勤時間帯のホーム。電車の到着を待つ列から視線を向けた先に、ぽっかりとした空白のような無人のホームを見つけたことはないでしょうか。

例えばJR総武線両国駅の江戸東京博物館側、一段低い位置にあるホームは、両国駅が総武線のターミナル駅だった頃の名残りです。総武線の快速・特急列車が東京駅に乗り入れたのは1972年のことで、それまでは両国駅から発着していました。今でも時おり、臨時列車が発着し、イベントスペースとしても使われています。

都心を走る鉄道には本来あり得ないはずの「無駄なスペース」には、積み重ねてきた歴史の痕跡が隠されているのです。

1964年東京オリンピックの遺産

工事が進む千駄ヶ谷駅の新ホーム

一度は役割を終えたホームが再利用されることもあります。2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでまもなく1年となり、新国立競技場の最寄り駅のひとつである中央線千駄ヶ谷駅では、多数の来場者に備えたホーム増設工事が佳境を迎えています。現在はひとつのホームを三鷹方面と千葉方面で共用していますが、完成後は方面別にホームが分離される予定です。

ホーム新設工事がはじまる以前、同じ場所に使われていないホームがあったことを覚えているでしょうか。屋根も点字ブロックもなかった殺風景な「臨時ホーム」は、1964年の東京オリンピック時に建設されたもので、その後はほとんど使われていませんでしたが、56年ぶりのオリンピック開催にあたって用地を転用したのです。

原宿駅臨時ホームと幻の1940年東京オリンピック

原宿駅は駅舎の建て替えを含む大規模な工事中

ホーム増設工事は、代々木競技場の最寄り駅となる山手線原宿駅でも行われています。ここには元々、明治神宮の初詣シーズンに使われる「臨時ホーム」がありました。

原宿駅に臨時ホームが設置されたのは、太平洋戦争を間近に控えた1940年までさかのぼります。伝説上の初代・神武天皇の即位から数える「皇紀2600年」に当たるこの年、国家神道体制の強化を狙う政府は、国民に明治神宮や伊勢神宮など皇室由来の神社の参拝を奨励しました。

その他にも日本政府は、皇紀2600年を記念する様々な行事や事業を計画していました。そのひとつが、日中戦争勃発によって幻となった1940年東京オリンピックの開催でした。原宿駅の臨時ホームと幻の東京オリンピックは、いわば兄弟のようなものとも言えるでしょう。

原宿にあるもうひとつの臨時ホーム

原宿駅ホームの代々木寄りから見える「宮廷ホーム」

同じ原宿駅には、もうひとつの「臨時ホーム」が存在します。1925年に設置された皇室専用の乗降場、通称「宮廷ホーム」です。

このホームは、体の弱かった大正天皇が各地の御用邸へ静養に行くために造られたと言われています。大正天皇は1926年8月に宮廷ホームから葉山御用邸に向かいますが、同年12月に葉山で死去したため、一度しか使う機会はありませんでした。

その後は昭和天皇の「お召し列車」発着ホームとして使われましたが、平成に入ると線路のつながる山手貨物線が埼京線や湘南新宿ラインの一部として旅客化され、列車本数が増加したこと、皇族の移動は新幹線が中心になったこともあり、2001年を最後に使われていません。

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枝久保達也 (えだくぼ・たつや)

鉄道ライター。鉄道のまち埼玉県大宮市で、上越新幹線より早く、東北新幹線より後に生まれる。大手鉄道会社に11年勤務の後、鉄道ライターに転じる。専門は東京の都市交通史。江東・江戸川を走った幻の電車「城東電気軌道」の歴史を探っている。

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