日本独自の文化「ターミナルデパート」を巡る(知られざる鉄道史 9)
日本独自の文化と思われがちな私鉄の沿線開発ですが、実はルーツは100年以上前のアメリカにあると言われています。本場では途絶えた文化が太平洋を越えて受け継がれているのは不思議な話ですが、そのアメリカにも存在しなかったオリジナルな業態が「ターミナルデパート」です。
ターミナル駅に集まってくる鉄道利用者に、最初に目を付けたのは阪急電鉄でした。1920年開業の阪急梅田ビルに売店と食堂を開設すると、これが大当たり。1930年代には他の私鉄も追随し、やがて私鉄経営の花形となりました。そのうち南海電鉄難波駅「高島屋」(1930年一部開業)と東武鉄道浅草駅「松屋浅草」(1931年開業)は、今も当時の建物が使われています(しかも同じ設計者による建築です)。
阪急が学んだ白木屋
電鉄系百貨店のパイオニアとなった阪急ですが、まったくのゼロから駅ビル開発を始めたわけではありません。手始めに手本として誘致したのは、1662年創業の老舗呉服店系百貨店「白木屋」でした。
駅ビル1階に「白木屋梅田出張店」、2階に直営「阪急食堂」を開設してデータとノウハウを積み重ねると、わずか4年で白木屋との契約を解除して、ターミナルビルの直営化に踏み切ります。さらに5年後の1929年には「どこよりもよい品物を、どこよりも安く」をモットーに、日本初の鉄道会社直営デパートとして「阪急百貨店」を設立するのです。
東京初のターミナルデパート
電鉄系百貨店といえば、西の阪急百貨店、東の東急百貨店を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし東急が阪急を手本にしてターミナルデパートを建設するのは1934年のこと。東京で初めてのターミナルデパートは渋谷でも浅草でもなく、1928年に現在の東急五反田駅に開業しています。
当時、池上線は「池上電気鉄道」という独立した私鉄で、蒲田から順次線路を延伸していきました。1928年に五反田まで全線開通すると2階建てのビルを駅に併設。ここに「五反田分店」として出店したのが、あの白木屋だったのです。
奇しくも白木屋は戦後、東急に買収されて東急百貨店と合併し、長い歴史に終止符を打ちました。現在、東急五反田ビルには、白木屋の小型店部門をルーツに持つ東急ストアが入居しています。
東京最古のターミナルビル
ところが、話はここで終わりません。いわゆる「百貨店」が併設されたターミナルビルとしては、1928年に白木屋分店が出店した五反田駅、より本格的なものとしては1931年に松屋浅草支店が出店した東武浅草駅が東京初とされますが、それよりも前に建設されたターミナルビルが、都電荒川線三ノ輪橋停車場で現役で使われているのです。
今は「梅沢写真会館」という名のビルは元々、都電荒川線の前身となった私鉄「王子電気軌道」が1927年に開業した「王電ビル」で、本社ビルと商店街を兼ね合わせた原始的なターミナルビルでした。
当時の写真には「デパート」の文字が見えますが、ビルの中にどのような店舗があったのか定かではありません。それでも、ビルをくぐる通路に並ぶ商店街には、開業当時の雰囲気が今も色濃く残っています。