「ウチナーとヤマト」の関係性とチャンプルー精神(沖縄・東京二拠点日記 40)

落語家の立川こしらさん(右)と筆者
落語家の立川こしらさん(右)と筆者

とある気になる発言

12月某日 沖縄県浦添市のある条例を制定するかどうかをめぐっての公開トークで飛び出したある発言が気になっている。地元紙ではどう報道されたのだろうか、とてもナーバスな出来事なので記事を全文引用しながら、思ったことを書き留めておきたい。

「琉球新報」(2019年12月1日)の、「『貧乏とあほは遺伝』登壇者の発言が波紋 深夜の子連れ飲食制限をテーマにした円卓会議で 深夜の子連れ飲食の制限 浦添市 大円卓会議」という記事の見出しからわかるように━条例化自体もシングルマザーからすれば問題かもしれないとぼくは思うのだが━それを議論する場で、登壇者から当の問題発言がなされたのである。

浦添市主催で11月26日に開かれた「深夜の子連れ飲食の制限」に関する大円卓会議での登壇者の発言が波紋を広げている。塾経営の男性が「貧乏とあほは遺伝する」と発言。出席者からは「いい気持ちはしないが、夜型社会を考えるきっかけになった」との声の一方、「大変な状況の人を追い込むような発言だ」などと批判が上がっている。

大円卓会議は市てだこホールで開かれ、約170人が参加。みらいファンド沖縄の平良斗星副代表理事が司会を務め、松本哲治市長や琉球大教育学研究科の上間陽子教授ら7人が登壇し、意見を述べた。

問題の発言は会の前半で飛び出した。塾経営の男性は「すごく嫌な言い方をあえてさせてもらいますが」と前置きし「貧乏とあほは遺伝すると思いました」と発言。夜遅くまでスーパーにいる子どもたちを引き合いに「夜中に子どもを連れ回している親がいるのだから、学校でいくら勉強を教えてもどうにもならん」と続けた。

会議後、SNSなどで「上から目線の差別意識だ」などの批判が相次いだ。男性は30日、本紙の取材に「なかなか発言機会がなかったので、あえて突き立てる言葉を使った。環境で貧困が連鎖すると言いたかったが、説明不足だった」と話した。

その他の登壇者からは一様に表現を問題視しつつ、さまざまな声が上がった。浦添市PTA連合会の荻堂盛嗣会長は「きつい言い方だが強く言ってくれる人がいて、沖縄の人もやっと考えられる」。森の子児童センターの大城喜江子館長は「痛い思いをしている人に、グサッとやるような発言」と批判。市立浦添中学校の内田篤校長は「遺伝する」との言葉を問題視し、「肯定できない。自身が否定されたように感じる人が出なければいいが」と懸念した。

そして、大円卓会議での塾経営者の発言要旨を次のように載せている。これで文脈もわかる。

30まで東京でビジネスマンをやってて、その後、秋田で3年弱、精神科のクリニックで不登校や引きこもりのサポートの仕事をしていた。その後、沖縄に来ている。

沖縄に来た時、一番驚いたのは、すごく嫌な言い方をあえてさせてもらうが、「貧乏とあほは遺伝する」と思った。夜10時、11時、12時に子どもがスーパーでキャーキャーしている。これは駄目だな、と正直。これ、どれだけ学校の先生が頑張ったところで、夜中に子どもを連れ回している親がいるのだから、学校でいくら勉強教えてもどうにもこうにもならんよと。居酒屋だけじゃない。

いま沖縄と秋田は先生の交換を行っているのかな。秋田の先生が「教え方を伝えることはできるけど、生活習慣はあれ、変わらんな」と。「あの夜型、どうにもならんよ」と。1年しかいない秋田の先生は言えないんですよ、文化に関わることを。この間、秋田に帰って先生方と話した時、言っていた。

スーパーに夜11時、12時までいて、次の日、朝ぱちっと起きて、学校行って勉強するとは到底思えない。私自身、いま算数の教室を経営していて、その前は大学受験の数学教室を経営していた。いずれも、どちらかといえば高所得者が多い教室。「小学生の頃、居酒屋に行ったことあるか」と親に聞いたら、行ったことない、と。行ったとしても9時、10時には帰っている。行ったことある人も一定数いるけど、11時、12時までいたかと言えば、大きな疑問。

上記の上間さん(琉球大学教授)は自身のSNSで、「論点をずらしてはいけないとあの場で抗議しなかった自分に腹がたち、うまく眠れませんでした」と発言をスルーしたことを悔やむと投稿していた。上間さんは怒っていたし、なんとも嫌な感じが胸を押しつぶしそうになったのだろう。

ある日の風景

「ウチナーとヤマト」の関係性

このニュースを知ったとき、この塾経営者の発言は「クサレヤマトンチュ」と言われても当然のことだとぼくは思った。腐った日本人という意味だ。「遺伝する」などと非科学的なことも含めて、侮辱的だ。それにその発言含めて、発言全体も認識が浅すぎる。子どもの支援活動をしていたらしいけれど、その程度の考えしか及ばなかったのかとぼくは唖然とした。

沖縄と他地域━あるいは沖縄県内の所得格差━の社会資本の差異や構造的な問題を前提にすることなく、単に文化の違いだけで片づけている。上間さんも「大局で考えれば、子育てのハードルが上がり、孤食の問題を抱え、社会資本関係の不均衡があるという状況がある」とSNSに書いていたがその通りだと思う。

こういう「沖縄」を見下したような発言は、ヤマトから沖縄に移住してきた人々の目線代表のように受け止められてしまう可能性も高いだろう。その人個人の意見なのだけど、「ああ、ヤマトの人間はそう見ているのか」という風に拡大解釈されかねない。それも戦後ずっと続く「ウチナーとヤマト」の関係性ゆえだ。塾経営者はきっと軽はずみな発言を後悔しているだろう。真意があるのであれば、きちんと説明をしたほうがいいと思う。

夜、栄町に出かける。普久原朝充くんと「おとん」で待ち合わせた。彼が監修した単行本『沖縄島建築』について話をあらためて聞く。彼とは、作家の仲村清司さんと『沖縄オトナの社会見学R18』や『肉の王国━沖縄で愉しむ肉グルメ』という本をいっしょに作ってきた。いわば身内なのだが、彼の博覧強記があってこその2冊だった。仲村さんは「賢者」などとしきり褒めそやしているが、まったくその通りの男なのだ。

今度の本は建築家の本領発揮といったところ。写真・企画は岡本尚文さんで、岡本さんが普久原君に人を介して監修を依頼したという。ぼくと普久原君は沖縄の街歩きが大好きで仲良くなっていったのだが、この本を片手に沖縄の各所をまわってほしいなと思うし、貴重な記録でもある。古い建物は好きな人は好きでも、所有者にしてみればランニングコストがかかる厄介なものでしかないこともままある。だから、知らないうちに取り壊されていることもあり、『沖縄オトナの社会見学R18』でも取り上げた建築はもう、なくなってしまっているものもある。建築家として「沖縄の風景」を時代に合ったかたちでどう守り、新しくしていくか。そんな話をカウンターの隅でぼくらはしていた。

チャンプルー精神の体現

桜坂の桜坂劇場

12月8日 夕方まで原稿を書いて、桜坂の桜坂劇場へ散歩がてら歩いていく。劇場内の「さんご座キッチン」でぼくが非常勤講師をしている大学のゼミの卒業生・山田星河さん━彼女は桜坂劇場に就職している━に挨拶して冷たい珈琲を飲む。

劇場内で古本など何冊か購入。創刊されたばかりの『CONT MAGAZINE』も買った。東京で『SWITCH』の編集者として働いていた川口美保さんが発行人。今は沖縄に移住して首里に「CONT」というレストランを開いている。手触りと手に持った重さ、頁がめくれるかんじがなんとも心地いい。紙の雑誌はいいなあと思わせてくれる。創刊されることはどこかで聞いていたが、作り手の気持ちがダイレクトに伝わってきて、プロの仕事だなあという感じがした。

2冊続けて拙著の表紙に作品を使わせてもらった写真家の石川竜一さんなど、知り合いが何人も出ている。特集は「生きるためには、物語が必要です。」というもので、東京大学病院の循環器内科医師・稲葉敏郎さんの語りがよかった。沖縄発で、沖縄の人もたくさん取り上げているが、稲葉氏をはじめ、必ずしも沖縄にルーツがある人や暮らす人だけではない、多くの人が登場する。「沖縄発」というのは、沖縄で生まれ育ったということだけに意味をもたせるのでなく、沖縄と何らかの「つながり」をもった人、それを深く考えている人が発信をすることなのだとあらためて思わされた。かならずしも「血」だけではない、沖縄の風土や歴史、文化をリスペクトし、あるいは融合した人たちが「沖縄」をかたちづくっている。この雑誌自体がチャンプルー精神の体現だと思った。

非常勤講師をしている大学のゼミの卒業生・山田星河さん

そのあと、すぐ横にある「喫茶カラーズ」に移動して、知花園子さんが企画した立川こしらさんの落語会におじゃまする。こしらさんは立川志らく門下で、2012年に真打に昇進している。立川流がすでに落語界で異端なのだが、立川志らくもときおりツイッターやテレビでの発言が物議をかもしている。その弟子というだけあって、『その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方』という光文社新書も出している。当日も北谷で中古の自転車を買って、桜坂まで乗ってきていて、沖縄を離れるときにそれを誰かに売りたいとネタにしていた。ぼくは彼の著書をその場で買ってすぐに読んだが、モバイル型の破天荒な落語家といったらいいのか、いやはや、風狂の噺家といったらいいのか。

落語家の立川こしらさん

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