大人の憧れ、ボトルキープはいわば「愛の告白」のようなもの
誰しも、大人になったらやりたかったことが1つや2つ、あるのではないかと思います。たとえば、行きつけのバーに行って静かにウイスキーを傾けたい、カウンターの目の前で揚げてくれる天ぷらを食べてみたい、老舗のそば屋で日本酒と板わさあたりできゅっと一杯やってみたいなど、どうも私の場合は食べたり飲んだりすることばかり思いついてしまいますが……。
その1つとして、ひとりで楽しめる飲み屋を見つけて、そこでボトルをキープしてみたいという願望がありました。ボトルを入れると言ったって、たいそうなお酒を注文するわけではありませんので、金銭的にはさほどのことではございません。ただ、ボトルを入れるタイミングというのがわりと悩ましいのであります。
ボトルは愛の告白?
飲み屋でボトルを入れるということは、このお店にまた訪れるということをほぼ意味します。とりわけ、ひとりで飲みに来てボトルを入れるということは、今後も足繁く通うことを宣言しているようなものですから、ちょっとした愛の告白めいた行為とすら感じられてもおかしくはないわけです。
ボトルを入れる入れないはお客の自由であるにせよ、なにせ愛の告白ですから、相手であるお店側にも快く受け入れてもらいたいものです。単なる自意識過剰かもしれませんが、ボトルを入れるのは、お店側からまた来てねと思われる存在になってからにしたいものだと常々考えておりました。
このごろはひとり飲みの楽しみを覚え、地元の飲み屋をせっせと開拓しているのですが、そのたびにこの店は何度も訪れたくなる店か、ボトルを入れたくなる店かどうかをなんとなく意識するようになっていました。
また来たくなる店、何度も訪れたくなるお店というのは不思議なもので、単にいい店、おいしい店ということとは微妙に異なると思っています。初めて訪れた時に、「あ、このお店はまた来たいな」あるいは「この店はきっとまた来るに違いない」と感じるお店があるものです。
この感覚は不思議なもので、料理やお酒もさることながらお店の内装やトーン、そこにいる店員さんやお客さんたちなど様々な要素から醸し出される一種独特の雰囲気が自分に合うかどうかで決まってきます。たいていはお店に入った瞬間、席に着いた瞬間に感じ始めて、お酒や料理をいただく頃にはほぼ確信へと変わっていきます。
実は覚えてもらっていた
今回取り上げる店もそんなお店でした。最寄り駅から自宅への帰路、ちょっと遠回りした時にふと見かけた焼き鳥屋の看板。こんな通りにお店があったんだと思いつつ、思い切って入ってみたのがきっかけでした。
コの字型のカウンターだけのお店に客はおらず、ちょっと気むずかしそうな風貌の店主と奥さんと思われる女性がいるのみでした。壁に焼き鳥やらお酒やらのメニューがたくさん貼ってあり、奥の方の壁に貼ってある黒板には今日のおすすめ料理がたくさん書き込んでありました。そして、私が好きなホッピー&キンミヤ焼酎も置いてあります。これは良さそうな店を発見したぞとすぐに直感しました。
それからというもの、ちょくちょくその店を訪れるようになりました。時間帯が遅いからなのか、たいていほかの客はおらず、ひとりでホッピーや焼き鳥、オリジナルな料理を頼みつつ、お店の片隅にある古びたテレビで、深夜のバラエティ番組を眺めるという夜を過ごしました。
何度か訪れるうちに、この店でボトルを入れてはどうだろうかという思いがふつふつとわき上がってきましたが、「いや、まだ早いのではないだろうか……」などと逡巡しておりました。自意識過剰もいいとこで、お店にとってはボトルを入れるならさっさと入れてくれという感じなのかもしれませんが、何度も来ているのにいつも初めての客のような対応をされるので躊躇していたのです。
しかし年の瀬のある日、お会計を済ませて店を出る時に、店主が「年内は大晦日までやってるからね」とぽつりとつぶやいたのです。いつもひとりでひっそりと飲んでいるとはいえ、さすがに顔は覚えてもらっていたことを知り、次に来る時にはボトルを入れようと決意しました。
ボトルキープの落とし穴
次に来たのは年明けでした。決意がゆらぐこともなく、いよいよボトルを入れることになりました。
さて、ボトルには次に来店した時のために名前を書き込むのが習わしです。酒場では匿名的な存在でありたいので本名を書くかどうか迷ったのですが、過去に仲間と通う店で酔って適当な名前を書いたら、次に来た時にその名前を思い出せず非常に苦労したことがあったので、今回はおとなしく本名を書くことにしました。
ボトルを入れたからには、それから何度も訪れることになります。ボトルは初期費用がかかりますが、次からしばらくは酒代が安く済むのが良いところです。とはいえ落とし穴があることも確か。手元にボトルが置いてあるので、お酒好きな人間はつい際限なく飲み過ぎてしまう危険があります。
都度注文するのであれば歯止めも効きやすいのですが、ボトルの場合は自分のさじ加減でどんどんお酒を注ぎ足していけるので、より厳重な自己統制が必要となるのです。私のように、酔えば酔うほど酒量が増してしまいがちな人間にとっては、これは実に恐ろしいシステムです。
ある夜など弾みがついてだいぶ飲みふけってしまったのですが、次に来た時にはその夜の記憶はさっぱりなくなっていたので、ボトルに入ったお酒が急激に減っていたのを見てたいそう驚きました。誰かが間違って飲んでしまったのではないかと、初めは疑ってしまったほどです。一瞬でも疑ってしまって申し訳なかったと思います。
とはいえ、なじみの店をつくってボトルを入れるという目的をとりあえず果たすことができたので、ほかにもボトルをキープするお店を増やしていきたいと目論んでおります。