金箔コーヒーで「バブル時代」を味わいたい 名古屋で飲んだ1800円の贅沢

名古屋の喫茶店で味わう「純金箔コーヒー」
名古屋の喫茶店で味わう「純金箔コーヒー」

金箔をたっぷり浮かべたコーヒーを飲む。そんな贅沢が、愛知県名古屋市の喫茶店で体験できます。出張のついでに、バブルの味をかみしめてきました。

思えば好景気に沸いた「バブル時代」は、筆者のなかで金箔と結びついています。あれは、1980年代のなかごろ。小学校低学年だった筆者は、テレビのバラエティ番組で、海苔の代わりに金箔を使った巻き寿司を出すお寿司屋さんが紹介されるのを観たのです。

男性タレントが金箔寿司を美味しそうに食べるさまは、同じころに見たドラマ『西遊記』(再放送)ともリンクしました。そこに登場した妖怪・金角が金の塊にかぶりつく場面と結びつき、「金を食べる」という強烈なイメージとなって脳裏に焼きつきました。

「ボクも大人になったら金を食べるんだろうな」。いつしか自分のなかで、大人とは金箔を食べる人だという認識になっていました。

しかし、90年代初頭にバブル景気は崩壊します。「失われた20年」のまっただなかで筆者は、就職氷河期とその後のリーマン・ショックの影響をもろに受け、金箔寿司どころか寿司そのものにもあまり縁のない半生を送ることになります。そのまま金箔を一度も食べることなく、つまりは大人になれないまま、不惑を過ぎてしまいました。

そんなある日。名古屋への出張に合わせて周辺の情報を調べていると、市内にバブル時代から現在に至るまで、金箔を浮かべたコーヒーを提供し続ける喫茶店があることがわかりました。これは自分が大人になるための大切な儀式になるかもしれない。そんな衝動に駆られて、ひとり足を運びました。

名古屋市内の住宅街にある「喫茶サマディ」。気さくな夫妻が経営している
名古屋市内の住宅街にある「喫茶サマディ」。気さくな夫妻が経営している

「金をケチらず、驚くくらい使いたかった」

訪れたのは名古屋市昭和区にある『喫茶サマディ』です。ここで金箔を浮かべた「純金箔入り珈琲」を1800円で飲むことができます。店主の藤原要さん(70歳)が金箔コーヒーを売り始めたのは、喫茶店を開店させた1986年。まさにバブル時代です。

「大学生のころ、酒屋で『純金酒』が売られているのを見つけて、仲間とお金を出し合って買ったんです。でも飲み始めたら、誰のコップにも金がない。瓶の底に少し貼り付いているくらいしか入ってなかった。だから、自分が飲食店をやることになったとき、ケチらず、『金だ!』と驚くくらい使いたかったんです」(藤原さん)

コーヒーの表面が見えなくなりそうなほど金箔を乗せるのが、藤原さんのこだわりです。尾張名古屋に生まれ、大阪城に黄金の茶室を作った豊臣秀吉のお膝元らしい発想です。

金箔をごそっとコーヒーに乗せる喫茶店の店主。「ちょっと入れ過ぎたかなあ」
金箔をごそっとコーヒーに乗せる喫茶店の店主。「ちょっと入れ過ぎたかなあ」

金箔コーヒーは当初、1杯880円だったといいます。その後、金の価格上昇や、市内にあった金箔業者が廃業したあおりを受け、2000年代に入ってから、現在の価格に値上げしたのだとか。

「金箔は京都から仕入れている食品添加用のもの。金入りのサプリに使われるような純度の高い金箔を使っています」(藤原さん)

金箔コーヒーは月に3、4杯が出ますが、いまでは注文の多くが外国人観光客によるものだといいます。

美味しく飲むコツは、スプーンでかき混ぜないこと

目の前に置かれた瀟洒なコーヒーカップには、金箔が浮かび、添えられたデザートのゼリーの上でも金箔がそよそよと揺れています。金箔コーヒーを美味しく飲むコツは、コーヒーをかき混ぜないことだと藤原さんは教えてくれました。「かき混ぜると、スプーンに金箔が貼り付いてしまうからね」。

ちなみに、今回の出張で利用している昭和テイストあふれる旅館は、素泊まりで一泊5500円。宿代の3分1と同額のコーヒーということになります。節約しているのか贅沢しているのか、よくわからなくなってきます。

デザートのゼリーにも金箔がのっている。バブル時代を感じさせる
デザートのゼリーにも金箔がのっている。バブル時代を感じさせる

ひと口、飲んでみます。金箔が唇に触れる感触はありますが、それらしい味はありません。あとはただ、コーヒーの味がするだけです。金箔は無味なのです。

そうだろうなとは思っていましたが、ようやく身をもって確かめることができました。これが筆者にとっての「バブル時代の味」です。金箔を食べる(飲む)夢を30年ぶりに果たし、ようやく大人への階段をひとつのぼったような気がしました。

「喫茶サマディ」の気さくな店主・藤原要さん。もとは車のセールスマンだった
「喫茶サマディ」の気さくな店主・藤原要さん。もとは車のセールスマンだった

ものはついでと、藤原さんの奥様にバブル時代の思い出を聞きました。「このあたりも当時は工場やお店がたくさんあって、ひっきりなしにお客さんが来ました。常連さんが友達を連れてきて、皆で金箔コーヒーを飲んでくれました。でもその常連さんたちも亡くなって、私たちもいつのまにか年をとってしまったわね」と、当時を懐かしんで目を細めていました。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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