往年のスターがひしめく壁画と、80歳すぎたママのカレーと

壁一面に描かれた往年のスターたち。皆、浅草にゆかりがある。

ガチャリ。「営業中」の看板が出ている喫茶店のドアを引いてみたけれど、開かない。照りつける太陽の下、筆者はしばし途方に暮れました。

東京で今年初めて「猛暑日」が記録された8月の某日。

店内の壁一面に往年のコメディアンが描かれているという喫茶店を訪れてみようと思い立ちました。いつものように、ネットで「おばあさん ひとり 店」などといったワードで検索していて、見つけたのです。

場所は東京・浅草。小・中学校はすでに夏休みに入っていて、例年なら観光客で混み合う時期です。でも、今年はさすがに人出も少ないだろうと考え、出かけることにしました。

「営業中」なのにカギがかかっていたドア

予想した通り、浅草駅の周辺は人がまばらでした。観光客の姿がほとんどありません。浅草寺の大きな提灯の前に並んでいた人力車のお兄さんが、「浅草、がんばってまーす!」と、声を張りあげているのが印象的でした。

目指す喫茶店の名前は「ピーター」。浅草寺のあたりから10分ほど歩きます。13時をまわったばかりで陽射しが強いこともあり、すれ違う人は少なく、スムーズに道を歩けました。

浅草寺前の通り。観光客の姿はほとんど見えなかった。

途中、あまりの暑さに、近くの喫茶店でひと休みしたくなりましたが、これから向かう先も喫茶店だと気づき、考え直しました。

汗をかきながらようやく店の前へ。首の後ろがジリジリと焼けるのを感じつつ、ドアの取っ手を引いて開けようとしたのに、カギがかかっていたのです。

あれ? 「営業中」と出ているのにな……

と立ちつくしていると、内側からドアが開き、おばあさんが顔をのぞかせました。「ごめんね。ご飯を食べてたから」。

ランチのお客さんが帰り、ほっとひと息入れたところだったのでしょう。こちらこそ申しわけないと思いつつ、入れてもらいました。もちろん他にお客さんの姿はありません。

見た目とは裏腹にスパイスが効いた「大人の味」

この店の看板メニューはカレーライスです。「大盛り」だと、ご飯だけで2合あるというので、普通サイズのものを注文しました。

「前に来てくれたことあるよね?」。初めてなのにそう言ってもらえると、なんだかうれしくなります。おばあさん、いやママの接客術なのかもしれません。

カレーができるまで、店内の壁に描かれた大きな絵を眺めます。

榎本健一(エノケン)、嵐寛寿郎(アラカン)から、柳家金語楼、丹下左膳、チャップリンまで。往年の俳優や喜劇役者、噺家、架空の人物が描かれています。古い映画で見たことのある人もいれば、名前も知らない人もいます。

「浅草ビッグパレード」と題するこの絵の作者は、加太(かた)こうじさん。紙芝居の作家で、庶民の暮らしの研究者でもあったそうです。

絵は1985年のものですが、今も色あざやかで、薄暗い店内に明かりが灯ったように見えました。現在でも、浅草にゆかりのある役者や芸人が店にやってきて眺めていくそうです。

数分でカレーが出てきました。見た目は「家庭で出てきそうなカレー」ですが、ひとくち食べると、ピリッと辛口。大人の味がしました。

「ピーター」の名物カレー。スタンダードサイズは650円(税込み)。

ママとふたりで過ごした真夏の昼さがり

ママがお店を始めたのは1966年のこと。今から50年以上前のことです。別の人がやっていた店を、店名ごと引き継いだのだとか。「27歳だったよ。それが運のツキだね」と、ママは笑います。

当初は店員を雇っていたそうですが、1970年代のオイルショックで景気が悪化したのを機に、ひとりで店を切り盛りするようになったそうです。

レディに年齢をたずねるのは気がひけるなと思っていたところへこの会話。ママが80歳を超えていることがわかってしまいました。

ママは「SKD」の大ファンだったそう。SKDというのは、かつて存在した「松竹歌劇団(Shochiku Kageki Dan)」のこと。店のすぐ近くにあった国際劇場を本拠としていました。

「倍賞千恵子さんとかがいたとこですよね」と振ると、おばあさんは「そうそう!」とうれしそう。映画『男はつらいよ』の大ファンである筆者は、「さくら」役の倍賞さんがかつてSKDに所属していたことを知っていたのです。

「昔は、野球、相撲、映画、レビュー(歌劇団が得意とした演目)くらいしか娯楽がなかったのよ」とママ。そのなかで「SKD」にハマっていきました。

ちなみに1990年代にSKDが解散してからは、キムタクのファンになったそうです。

創業当時のメニュー。コーヒー60円、ホットドッグ80円、カレーは150円。

「男はつらいよ」第3作の監督も常連だった

筆者が『男はつらいよ』のファンであると知ったママは、森崎東さんがこの店の常連だったと教えてくれました。

森崎さんは、映画に先駆けて放映された『男はつらいよ』のテレビドラマ版に関わっていた脚本家で、映画監督でもあります。シリーズ50作を数える映画『男はつらいよ』では、初期の第3作の監督を務めています。

そんな森崎さんは、今年7月に92歳で亡くなられたばかりでした。

「森崎さんほど優しい人はいない」とママは振り返ります。「人前で偉そうにしないし、少年のまま大人になったみたいな人だったね」。

ママによると、森崎さんの兄は軍人で、終戦時に切腹したそうです。そのため、森崎さんは終生、戦争に反対で、平和を願う人だったそうです。

SKDの話から、倍賞さんの話、そして森崎監督の話へ。

筆者にとっては意外な展開でしたが、ママは「こういうのは全部つながってるんだよね」と、「よくある」風に話すのがおもしろく感じられました。思わずアイスコーヒーを追加で注文し、1時間ほど長居してしまいました。

驚いたのはママがスマホを自在に使っていたことです。

「こういうのは、みんなやらないだけで、やればできるんだよね」と言います。最近は、子供のころ一緒に遊んだ人が元気でいることをネットで知ったそう。「もう出かけるのが面倒だから、会おうとは思わないけどね」。

もしかするとこの記事も、ママはスマホで読んでくれているかもしれません。ママ、お元気ですか? 楽しいひとときをありがとうございました。

あの日、カレーとコーヒーを別々に注文したのに、少しお得なセット料金で会計してくれたことに、今になって気づきました。

喫茶ピーター

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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