「ページビューの話しかできないサイト運営者は企画力が足りない」編集者・氏家英男さん(DANRO生放送)

編集者の氏家英男さん(左)とDANROの亀松太郎編集長
編集者の氏家英男さん(左)とDANROの亀松太郎編集長

「ひとりを楽しむ」をコンセプトにしたウェブメディア「DANRO」の亀松太郎編集長がライターやコラムニストとトークするネット番組が始まりました。第1回は2月2日。編集者の氏家英男さんをゲストに迎え、東京・新宿の「Barはな」からおよそ1時間、YouTube Liveで生配信しました。

DANROが掲げる「ひとりを楽しむ」というテーマなどについて、ぶっつけ本番で話を聞きました。配信終了後に続いた話も含め、言葉を補って、記事として構成しました。

群れの中でも「ひとりを楽しむ」ことはできる

亀松:DANROは「ひとりを楽しむ」というコンセプトを掲げ、昨年の5月にスタートしました。50人ほどのライターやコラムニストの方に書いてもらっています。個性的なみなさんにできるだけ自由に書いてもらうことで、バラエティに富んだサイトになればいいなと思っていますが、このテーマについてどう考えていますか。

氏家:なぜいま「ひとりを楽しむ」というテーマが成り立つのかといえば、やはり群れになじめない個人が増えたからでしょうね。そういう人に対して「あなたはおかしくない。あなたの感情は正当なものだ」というものが書ければと思っています。

「ひとりを楽しむ」について個人的な記憶をたどると、社会人になりたてのころ、会社近くの神宮球場によく立ち寄ったことを思い出します。私はどのチームのファンでもないし、声を合わせて応援することもしないんですが。

でも、生ビールを飲みながら、たとえば「落合博満(当時中日)が打つホームランが描く弧は美しいな」と思いながら見とれることはありました。「一流のプロは、単にフェンスさえ越えればよしとはしないんだな」とか考えながら(笑)。

球場にはテレビのような実況も解説もないので、どこでどんな事件が起こっているのか自分なりに探さないといけない。そこが楽しいですね。勝敗を超えたプレーの細部へ目を凝らすところに「ひとりを楽しむ」醍醐味があります。

亀松:でも、周りの人たちが、応援するチームの勝敗に一喜一憂している中で、自分だけマイペースな態度を崩さないのは、かなり勇気がいることではないでしょうか。特に日本人は「同調圧力が強い」と言われています。

氏家:「同調圧力」とか「空気」といったものは、客観的に存在するものではないでしょう。感じる人が勝手に感じているだけです。自分がそういう「空気」を受け取らなければいい。

亀松:それは氏家さんが、自分というものをしっかり持っているからではないですか。

氏家:そうでしょうか。ただ断っておきたいのは、私は「他人と関わりたくない。自分ひとりで勝手気ままに生きたい」というタイプでは決してないということです。

ひとり飯も悪くないですが、「これおいしいね」と微笑みながら一緒に食事ができる気心の知れた人がいることは、本当に貴重だと思います。そういう場で私は落合のホームランの美しさを称え、相手が三遊間のダブルプレーの爽快さを語るのに耳を傾ける。そういう時間が理想ですね。

新宿のバーからネット番組を生配信した

「底知れぬ孤独」を抱える人に目線を合わせたい

亀松:氏家さんには昨年5月のDANROの開設当初からコラムを寄稿してもらっていますが、最初は「日本酒と肴」について書いていましたね。

氏家:いくつか書いたサンプル原稿の中で、編集部が一番いいと言ってくれたテーマだったからですが(笑)。味覚というのは極めて個人的なものですから、それを文章で書こうとすれば、感覚を自分なりの言葉で描写することが必要になるはずです。

しかしいまのネットの記事は、読者の負担を減らしているのか書き手の力不足なのか分かりませんが、「ほっこりする」とか「たまらない」といった貧弱な書き方で済ませている。そういうものに対する違和感があって、自分なりに書き方を工夫したいと考えています。

ただ、昨年夏から体調を崩していることもあって、最近はお酒はお休みしています。そして関心が老いや病いに移るとともに、「ひとりを楽しむ」気分になれない人の気持ちに寄り添いたい、という思いが強くなりました。

亀松:それはどういうことでしょうか。

氏家:いまはコンビニやネットなど、ひとりでも死なずに済むインフラが充実しています。それが「ひとりの時間を大事にしたい」人の救いになっているのは確かです。一方で、街にもネットにも、底知れぬ孤独を抱え、本当は誰かに受け入れられることを求めている人がいる。そんな人たちを前に、脳天気に「私は他人と関わりたくない。ひとりで生きていきたい」と書くことにはためらいを覚えます。

すべての人に手を差し伸べたり寄り添ったりすることはできませんが、目線を合わせて孤独を理解しようとするものが書ければ、それを読んだ人の疎外感がなんとなく和らぎ、「ま、ひとりでも楽しもうかな」という意欲が湧くのではないか。そういうアプローチもあるのではないかと考えています。

コラムを読んだ人の「行動」が変わるとうれしい

亀松:氏家さんの本業は編集者ですが、ネットメディアではページビュー(PV)やユニークユーザー数(UU)といった数字が明確に出るため、ある程度経験を積んでいくと、「こういう書き方をすると数字が伸びる」といったことが分かってくると思うのです。ですが、DANROのコラムについて、氏家さんは「多くの人に読まれるものを書くつもりはない」と言っていましたよね。それはどういう意味なのでしょうか。

氏家:なぜネットメディアで、これほどまでにページビューが重視されているかというと、それが手っ取り早いマネタイズ(収益化)の方法だからです。サイトにアドネットワークの広告枠を貼っておき、芸能ネタなどネットウケするものを書けば儲かります。でも、このモデルに頼るサイトが増え過ぎたために、ネット上のコンテンツが似通って貧しいものになっていると思います。

本当は、メディアは頭を使えばもっといろんな稼ぎ方があると思うのです。ページビューの話しかできないサイト運営者や広告会社は勉強不足ですし、企画力が足りない。私が関わる人材系メディアはページビューは少なくても濃い読者が集まっているので、会員登録を通じて効率よくマネタイズできています。特定の趣味を持つ読者イベントの集客でマネタイズしているサイトなどもあります。

亀松:僕も編集長として、サイトの独自性とページビューの両方を追っていきたいと考えてはいるのですが、なかなか難しいんですよね。

氏家:私はDANROには、濃い読者を集めてユニークなマネタイズの仕方で存続して欲しいと思っています。無節操にページビューだけを追っていると、逆に濃い内容のイベントの集客につながらなくなったり、特徴のある広告が入りにくくなったりして、かえってマネタイズの選択肢が狭まってしまう。そういうサイトは意外と多いですよ。

読者も、安易な見出しで釣られたり煽られたりするのに疲れていると思うんです。私も飽きたから、DANROではそういうことはやらないと(ブログサービスの)noteに書いたところ(「自由に書く」ということ)、18万を超えるビューがありました。皮肉な結果ですが(笑)、そういう不満を抱く読者は少なくないんだなと感じました。

亀松:氏家さんのコラムには、小説の引用があったり、食べ物の細かい描写があったりして、サラッと読めるものにはなっていませんね。

氏家:コンテンツを消費するだけでなく、行動を変えてくれる人がいるといいなと思いながら書いています。実際、コラムを読んで、川上弘美の文庫本を買ってみたとか、湯豆腐を作ってみたという人の話を聞きました。五反田の居酒屋の店主からも、読者が足を運んでくれたと連絡がありました。そういう風に「ひとりを楽しむ」世界を広げるきっかけになったとすれば、書き手としてとても嬉しいです。

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