銀座駅を襲った空襲~地下鉄「マーキュリー像」物語(知られざる鉄道史 10)
東京メトロ銀座駅の改札付近で、行き交う人々を見守る「マーキュリー像」に気付いたことはあるでしょうか。英語では「マーキュリー」、ラテン語で言うところの「メルクリウス」はローマ神話における12の最高神のひとりです。
幸運や財産を司る旅人の守護神であることにちなみ、地下鉄のシンボルとして1951年1月に制作されたものです。
制作者は、キュビズム運動に影響を受けた抽象彫刻で知られる彫刻家の笠置季男氏。陸上短距離走者がスタートを切る瞬間の表情をモチーフに、若者のエネルギッシュで希望に燃えた表情をデザインしたと言われています。
銀座のシンボルとして
ただしお目見え当初、マーキュリー像は改札口ではなく出入口に設置されていました。
戦後の混乱がようやく落ち着いた1950年、戦時中の空襲で損傷した銀座四丁目交差点の出入口8か所(当時)を改築するにあたり、銀座の中心部にふさわしい立派なものにしたいと考えた担当者は、友人の笠置氏と建築家の大沢建吉氏に相談し、重厚なタイル張りの出入口の袖壁の上にマーキュリーのブロンズ像を2つずつ設置することにしたのです。
これは単に出入口の目印というだけでなく、戦後のすさんだ空気を払拭し、平和国家・文化国家の実現に向けた想いの込められたものでした。約30体作られたマーキュリー像は、設置場所を変えながら、今も十数体が現存しています。
銀座駅を襲った空襲
最初にマーキュリー像が設置された出入口のうちのひとつ、銀座四丁目交差点の鳩居堂の前にある銀座駅A2番出口は、太平洋戦争中に最も大きな被害を受けた地下鉄施設です。
1945年1月27日、初めて東京の中心部に飛来したB29爆撃機が投下した爆弾は、日比谷・有楽町・銀座一帯に降り注ぎ、山手線有楽町駅や泰明小学校、帝国ホテルの裏庭を直撃しました。
そして、そのうちのひとつは銀座四丁目交差点付近に落下し、地下鉄の出入口を跡形もなく破壊、道路下を走る銀座線のトンネルにも大穴を開けたのです。
トンネルに残る爆撃の痕跡
銀座線銀座駅は現在、全面改装工事の一環でホームの壁面パネルが取り外されており、爆撃の痕跡が一時的に露出しています。
被爆したのは2番線側、新橋駅寄りのホーム端付近で、ここはちょうどA2出入口の前、爆弾が落下した道路下に当たります。
トンネルの天井に空いた大穴を補修した痕跡として、この周辺だけ壁が厚く、多数の鉄骨が埋め込まれており、天井の構造も他の場所とは異なるのが分かります。
終戦から74回目の夏がやって来ます。マーキュリー像の目に、東京の街と人々の変化はどのように映ってきたのでしょうか。