DV・離婚…沖縄の女性が直面するしわ寄せ(沖縄・東京二拠点日記 27)
3月15日 夕刻、那覇に入る。松山の「酒月」に直行して、いつも部屋を管理してくれている、じゅんちゃんと待ち合わせて飯を食べた。彼女はバツ2で子どもが4人いる。いろいろな仕事をしながらシングルマザーとして子どもたちを育て上げた。一番下の子はいま大学生だ。
じゅんちゃんはぼくと同い年なのだが、さいきん、スーパーの面接を受けたら、面接官に厭味を言われまくったと怒っている。バツ2ということと、仕事を転々としてきたことがネガティブな要素として取られたという。つまり生活に落ち着きがなく、根気がないというふうに。
仕事が少ない沖縄で、居酒屋従業員や清掃員など、子どもとの時間をつくることができ、かつ時給が少しでもいい仕事をさがしてきた。それがマイナスに評価されるとは完全なパワハラである。抗議したほうがいいよ。そう言ったが、ひどく落ち込んでその気も失せてしまっているようだ。
沖縄で、似たような環境でシングルマザーとして懸命に働いている女性は、おそらく日本一多いと思う。
沖縄は戦後、復帰してからも売春にたずさわってきた女性は百パーセントシングルマザーだ。沖縄戦で夫を殺されてしまい、家族を養うために従事していた女性がほとんどだ。
復帰間もない1975年11月に発行された『新沖縄文学』に、弁護士の金城清子が書いた「沖縄の売春問題」の中で興味深い指摘を見つけた。金城は1968年に沖縄へ来て弁護士業を開業し、テレビで法律相談も担当していた。
沖縄人による沖縄人への人権侵害
金城はこの論文の中で「前借金」の無効性や違法性を弾劾しながら、沖縄ではそうした前借金を根拠に強制的売春がおこなわれていたのではないかと指摘している。
法律的にみれば返さなくてもよい前借金なのに、これを最大の道具として管理売春が横行し、これによって肥えふとる業者が正業としてまかり通るかげで、悲惨な婦人の人権侵害が行われてきた根本の原因は何なのでしょうか。 従来沖縄の売春問題の根源は基地と貧困であるといわれてきました。たしかにすべての沖縄の社会問題はすべて基地と貧困にその根をもっていることは否定できません。しかし基地と貧困ゆえの売春ということは直線的に結びつき、容易に理解できることではありますが、自由売春ではなくそれが何故管理売春という形でそのほとんどが行われて来たかということは基地と貧困だけでは説明のつかないことです。 管理売春は米国の軍事植民地支配によってひきおこされた様々な沖縄人に対する人権侵害とは異なる面をもっています。それは沖縄人による沖縄人への人権侵害なのです。事あるごとにすべての原因を基地に押しつけ、内部的な人権侵害については目をつぶる傾向を私達はいつのまにか身についてしまっていのではないでしょうか。
金城はこのように、沖縄での男女平等思想の不徹底、前近代的な男性(長男)優位社会を省みなかったことへも目を向けるべきだと説く。それは社会も行政の中にも一貫して根強く、沖縄の内側へもきびしい批判の目を向けることをしてこなかったのだ、と。
売買春の是非は別にしても、これが書かれた40年前の状況と現在を比べたとき、総体的に女性の置かれた状況については対応が遅れているといわざるをえない。ドメスティックバイオレンスや日本一の離婚率の高さによってシングルマザーたちが直面する、子育ての環境不備や貧困など、しわ寄せは圧倒的に女性の側にいっているのが現状だろう。
そうしたシングルマザーの置かれた状況が、社会問題として沖縄で浮上してきたのは、まだこの数年来のことだ。
「もう帰っちゃうんですかあ?」
3月16日 昼ぐらいに起き出してぶらぶらと散歩に出た。アタマもからだもどんよりしている。
気分が重たいときは歩くに限る。自宅を出て裏道をくねくねと歩いて330号に出て、真嘉比にあるホームセンター「サンキュー」まで歩いて植物を1鉢買った。ちいさな植物園のような店内は値段もリーズナブルだし、種類が多い。
一人で目移りしながら広い店内を歩きまわっていると気持ちが上がってきて、ベランダーおやじであるぼくは、つい触手が伸びてしまう。いまバルコニーに50鉢ぐらいあるが、小鳥もやってくるようになった。何年か前は鳥の巣がつくられて、雛が巣立ったようだ。
そのあとは壷屋に移動して、「陶・よかりよ」という陶器のセレクトショップをのぞく。大好きなキム・ホノさんの作品を買おうと思っていたが、沖縄芸術大学の卒業展示用につくられたという伊藤誠也さんの作品を衝動買い。
そのあと、「ガーブドミンゴ」に寄り、オーナーの藤田俊次さんとだべり、栄町「おとん」に顔を出した。亭主の池田哲也さんがいつも数冊は拙著のサイン本を置いてくれていて、お客さんに販売してくれる。この日も3冊サインしてストックに。
「おとん」でいつもの地元の友だちと合流。普久原朝充さん、カメラマンの深谷慎平さん、広告代理店の杉田貴紀さん、妻(那覇)の実家に帰って来ていた双葉社の箕浦克史さん。
そのまま栄町をうろつき、新しく開店した飲食店に入った。もともとスナックだったところが、新しい建物に建て替えられ、その中で営業している。店はおしゃれだし、シェフの腕前もいいから何回か来たことがある。
ワインを2本開けて帰ろうとしたら、杉田さんに「センパイ!」と声がかかった。知り合いがいたのかと思いつつ、道路に出ると、その若い小柄な男も追いかけてきた。「もう帰っちゃうんですかあ?」、「どういう意味がわかってんだろ?」と話しかけてくる。ヘンなやつだなあと思っていたが、杉田さんの知り合いでもなんてもない。
まあ、はやい話が「買春」のお誘いだ。そんなに露骨にやると噂が広がるよ、と諭してぼくらは去った。今も数軒「ちょんの間」がかろうじて残っている栄町らしいといえばそうなのだが、この町でも「浄化運動」の影響を受けて、ちょんの間は絶滅危惧種化している。そういふうにかたちを変えて、この街で売春はアングラ化するしかないのだろうか。