休職を機に会社員から直木賞作家へ 『蜜蜂と遠雷』恩田陸さん(前編)

(撮影・斎藤大輔)
(撮影・斎藤大輔)

直木賞と本屋大賞をダブル受賞した小説『蜜蜂と遠雷』が映画化され、10月4日から全国公開されました。著者の恩田陸さんは学園ものからSF、ファンタジーまでと幅広い作風で知られ、デビュー以来、四半世紀以上にわたって数多くの読者を楽しませてきました。

そんな恩田さんですが、意外にも休職を経験するまで小説を書いたことはなかったそうです。会社員、兼業作家を経て専業作家となった恩田さんに、独立するまでの経緯を聞きました。

小説家を目指したことはなかった

――マンガは幼少の頃から描いていたとのことですが、初めて小説を書いたのは社会人になってからだそうですね。やはり小説は社会人経験を積んでから書こうというお気持ちだったのでしょうか?

恩田:小さい頃から小説もマンガも分け隔てなく読んでいて、「お話し作り」という意味では差を意識したことはありませんでした。どこかで漠然と「いつかは小説家になれたらいいな」とは思っていたかもしれませんが、はっきりと「小説家になる」と目指していたわけではありません。

――就職してから小説家になりたいという気持ちが募ったのですか?

恩田:新卒で就職した保険会社の仕事があまりに激務で、体を壊して休職しました。その時に酒見賢一さんの『後宮小説』を読んで衝撃を受けたんです。私と1つしか違わないのに「こんなに早くから書いている人がいるんだ」と。そこで私も書きたい、と思ったんです。

――その時に初めて書いた小説がデビュー作『六番目の小夜子』ですね。プロットは準備していたのですか?

恩田: いえ、まったく。酒見さんの作品を『後宮小説』の他にも何作か読んだのですが、それらは純然たるファンタジーでした。そこで、「私が書くのだったら」と思って学園ものの要素もある『六番目の小夜子』を書いて、酒見さんが受賞したのと同じ賞に応募したのです。

――代表作である母校の行事を描いた『夜のピクニック』も高校が舞台となっています。

恩田:父の仕事の都合で小さい頃から転校を繰り返しており、高校は唯一、入学から卒業までいることのできた学校でした。それが嬉しかったというのもあるのかもしれないです。また、ちょっと変わったリベラルな学校でしたので、その雰囲気を作品にしたかった、というのもありますね。

会社員の仕事は責任の範囲を把握すること

(撮影・斎藤大輔)

――デビュー作『六番目の小夜子』が出版された年に、不動産会社に再就職をし、5年の兼業作家生活を経て専業作家となっていますね。組織で働くことと「ひとり」で働くことの差についてはどのように感じていますか?

恩田:会社の仕事とひとりでやっている作家の仕事の違いは、責任を取れる範囲の差だと思います。チームだと自分の責任の取れる範囲は狭いですよね。ところが、ひとりだと何をやっても自分で責任が取れる。

そこには大きな違いがありますが、チームで仕事をするときも、ひとりで仕事をするときも、どちらにも違う面白さがあると思います。

――会社の仕事をどのように感じていましたか?

恩田:興味深いな、と思っていました。組織は不思議なところだな、と。

例えば、上司で一番嫌いなタイプは責任の範囲のわからない人でした。組織は責任の範囲を示すことが一番大事な場所なのに、それがわかっていない人がこんなにいるんだ、と。

――リアルですね。

恩田:会社員の仕事は、ほとんどが責任の範囲を把握することだと思っています。例えば、書類の提出にしても自分ではなく部下ができることだとわかればすぐに部下に投げることができます。ところが、できない上司ほど自分のところにとどめておいて、かえって提出が遅くなってしまったりする。

自分の責任の範囲が分からない人はめちゃくちゃ軽蔑していましたね(笑)。今思い出しても忘れられないです。

――会社の仕事が小説のアイデアになったことはありましたか?

恩田:それはないですね。強いて言えば保険会社を舞台にした『ドミノ』で登場人物の設定のヒントにしたぐらいでしょうか。書いているのはホラーとかSFファンタジーということもあり、昼間とは全く違う世界を描きたいと思っていました。

――昼間は小説のことは全く考えなかったのでしょうか?

恩田:はい。ただひたすら仕事に励んでいましたね。昼の自分と夜の自分はパキっと分かれていて、それぞれの場で責任を果たしていたという感じです。

――今のご自分はどうですか。作家=自分ですか?

恩田:そういう実感はないですね。作家になりつつあるといったところでしょうか。

――直木賞を受賞しても?

恩田:いつもらったのだっけ? という感じです。まだまだ本の世界を紹介したいし、面白いものを書き続けたいと思っています。

 

――『蜜蜂と遠雷』の他にも何冊か読みましたが、どの作品も知らないところへ連れて行ってくれるような感覚がありました。

恩田:読者のみなさんにはそんな風に思って欲しいですね。次は読者をどこに連れていこうかと、常に考えています。

――例えば『蜜蜂と遠雷』の冒頭も、日本推理作家協会賞受賞の『ユージニア』のラストでも、普通の人では思いつくことができないような光景が描いてあると感じます。

恩田:あまりにも昔の作品でよくは覚えていませんが(笑)、風景が頭にパッと思い浮かぶんですね。そのイメージを元に書き起こしていくという感じです。

ちなみに、映画を元にストーリーを思いつくこともあります。『ドミノ』は映画の『マグノリア』を見てから書き始めました。

独立のきっかけは複数の編集者の言葉

(撮影・斎藤大輔)

――作家と会社員の兼業生活を5年間送った後、編集者を呼んで開いた営業パーティーで複数の仕事が決まったことで専業作家になったそうですね。

恩田:「そろそろ独立したらどうですか?」と似たような時期に何人かの違う会社の編集者から言われました。勧めてくれたのが1人だけだったら独立はしていませんでしたね。複数の編集者から声がかかって初めて「やっていける」と思えたので。

――その頃は会社員の仕事も忙しかっていたのでしょうか?

恩田:そうですね。派遣社員として入った不動産会社は途中から正社員となったので、部下を持つようになりましたし。派遣の頃は定時で上がっていたのが、だんだん帰宅時間が遅くなり、最初は家に帰ってご飯を食べてから書き始めていたのが、週末にしか書けなくなってしまったのです。

会社の仕事も作家の仕事もいっぱいになってしまったので、どちらかを選ぶのであれば作家を取ろうと思って、会社を辞めて独立しました。

【インタビュー後編】才能とは続けられること 『蜜蜂と遠雷』直木賞作家の恩田陸さん

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