書籍編集から大学教授へ、人生「無茶振りを楽しめ」 柳瀬博一さんに聞く

書籍編集から大学教授へ、人生「無茶振りを楽しめ」 柳瀬博一さんに聞く
柳瀬博一さん(撮影・斎藤大輔)

出版社の編集者として数々のヒット作を生み出してきた柳瀬博一さん。2018年に東京工業大学教授へと転身し、新しいフィールドでメディアと向き合っています。そんな柳瀬さんの「自分の役割」や今学生に伝えたいことを聞きました。

【インタビュー前編】希望しなかった人事異動が人生の転機に マルチ書籍編集者・柳瀬博一さん

出版社からの転校生として学生に向き合う

――書籍編集はどのような仕事だと思っていますか?

柳瀬:編集の仕事は、コンテンツに新しい光を当てる仕事だと思います。とりわけ書籍の編集は、メディアコンテンツという「ソフト」を、かたちある書籍という「ハード」にするという、他のメディアとはちょっと異なる側面があるな、と思っています。一過性で終わるニュースやコラムが、書籍にすれば形になる、ずっと残る。その点は、ネットメディアはもちろん、新聞とも雑誌とも違う、書籍という古いメディアのいまだに残っている強さだと思いますね。

――現在は教壇に立って情報発信をされていますが、書籍編集者の仕事との違いはありますか?

柳瀬: 東工大では「メディア論」を理系の学生を相手に講義していますが、メディアの仕事の大半は理工系だよと伝えています。東工大の学生の9割方は研究者か技術者になりますが、研究論文を執筆する、学会で発表する、書籍を執筆する、メディアでコメントする、企業で商品開発を行う、プレス発表をする、製品やサービスの不祥事があったら記者会見で謝罪する。すべて、メディア行為です。理工系の専門職はメディアの仕事の側面がとても大きいんですね。

――確かに。

柳瀬:しかも、メディアというのは科学と技術でできています。コンテンツだけでは成り立ちません。プラットフォームとハードウェアの3セットではじめてメディアなんです。例えばカメラマンの仕事だったら、カメラで写真を撮ってPCやiPadでチェックして、データベースはクラウド上にあって、写真というメディアはWeb上に流れていくわけですよね。アーティストとしてのカメラマンの写真の腕は、科学と技術がなければ人々に届けることができません。

柳瀬:メディアの仕事は文系の人の仕事、というイメージがありますが、それはコンテンツに限った話なんです。そもそも古代から、新しいメディアは技術革新が生み出します。粘土板、紙、羊皮紙、グーテンベルグの印刷技術、ラジオ、テレビ、そしてインターネット。科学技術が新しいメディアハードとプラットフォームを生み出す。そこに古いメディアのコンテンツが移植される。この繰り返しです。

――そうですね。

柳瀬:大学の授業では、その時起きているメディアがらみの事件について教えたりします。昨年の事例ですと日大アメフト事件とその後のSNSでの情報の流れ方、マスメディアの取り上げられ方などをケーススタディに使いました。ジャーナリズムの問題だけではなく、人間がこういう情報に対してどう認知し、どう反応するのか、という認知心理学的な話もしていきます。

さらにそのうえで、ツイッターなどを自分自身が使う時にどうすればいいか、教えます。ファクトをみつけること。早めにツイートしないこと。ファクトをきちんと捉えていないと、批判したつもりが炎上の元にもなってしまう。自分は日経BPから理系の大学へやって来た転校生なので、そんなことを考えて伝えています。

――表現空間を最適化するのが技術だ、という考え方ですね。

インタビューに答える柳瀬博一さん(撮影・斎藤大輔)
(撮影・斎藤大輔)

柳瀬:実は東工大には科学技術の立場から新しいメディアを生み出した人たちがたくさんいます。1926年、世界最初のテレビのブラウン管を発明したのは、東工大の卒業生の高柳健次郎博士です。現在のNHKの放送技術開発の基盤を作った人でもありました。

多くの人は黒柳徹子さんのことは知っていても、高柳博士のことは知らない。視聴者がメディア上で消費するのはコンテンツであってプラットフォームではないからです。でも、昔もいまも、そしてこれからも科学技術こそが新しいハードとプラットフォームを産むのです。そんなことを学生たちに講義をしています。

会社の外に師匠をみつけて

――編集者時代の話に戻ります。様々なヒット作を手がけて来たわけですが、当時、仕事の上で心がけていたことはありますか?

柳瀬:著者のファンだからお願いして作った、というタイプの本は実はあまりないんです。むしろ、たまたま著者を紹介されたり、どこかでお会いしたり、というのがきっかけで、そこからファンになって、本を作ってみよう、というケースのほうが多かったのです。

そうするとその時に初めてプレゼンテーションを考えます。著者のユニークさ、コンテンツのオリジナリティを伝えるにはどのようにしたらいいかと。自分にとってのその答えはとにかく、わかりやすく面白く、それでいて正確に伝えることだったんです。

そして面白いことに、著者のコンテンツをどうやって伝えれば魅力的な書籍になるのだろう、と考え続け、本を作り続けていたら、自分自身が記事を書いたり、人前で話したりすることが苦手ではなくなっていきました。そういう意味でも、書籍編集者になったことは自分の人生の転機でしたね。

――そうなんですね。

柳瀬:というのも、当時日経BPの雑誌は『日経ビジネス』はじめ、どの雑誌も社員の記者が自ら取材して記事を書いていたため、外部著者を起用して記事をつくる「編集者」がほとんどいなかったのです。いつまでたっても、『日経ビジネス』の記事を切り出しているだけではネタが切れます。ところが、社内の雑誌には著者のネットワークがあまりない。出版局もできたばかりで、なんのツテもない。

――困りましたね。

柳瀬:ちょうどその時に、同じ日経グループの日経ホーム出版社(現在は日経BPと統合)の『日経トレンディ』に長期連載されていたジャーナリストの武田徹さんの「新・流行人類学」のことを思い出したんです。武田さんの文章の大ファンだったので、すぐに連絡をして10年間の連載原稿すべてを『流行人類学クロニクル』という本にまとめました。868ページ。なまじ素人だったのでそんな無茶な仕事ができた。本書で武田徹さんはサントリー学芸賞を受賞されました。

そして、この本を編集するタイミングで、自分にとっての編集の先生がみつかります。それが、当時仲良くなった「ジェイ・キャスト」という編集プロダクションを率いる『AERA』の創刊編集長だった蜷川真夫さんと、そこで一緒に仕事をされていた『SPA!』『PANJA』『週刊アスキー』の歴代編集長である渡辺直樹さんでした。渡辺さんのつくってきた雑誌はいずれも大好きだったこともあり、僕は蜷川さんと渡辺さんという業界の大物2人に勝手に弟子入りしたかたちになりました。

この時お2人に学んだことは、編集者は気前がいいこと、おせっかいであることが大切である、ということ。お2人とも貴重な人脈を惜しげもなく、素人の僕に教えてくださり、編集のコツや手ほどきをしてくださいました。この時にご紹介いただいた著者の方たちとはいまでもおつきあいがあります。

――外部の方に教えてもらったことで、幅が広がったのかもしれませんね。

柳瀬:はい。外部の方とおつきあいするようになって、視野がぐんと広がりました。すると、目の前にあったいくつものチャンスを見逃していたことにも気づくようになりました。

柳瀬さんが手がけた『流行人類学クロニクル』(撮影・斎藤大輔)
柳瀬さんが手がけた『流行人類学クロニクル』(撮影・斎藤大輔)

たとえば、美術業界専門誌の『日経アート』に連載されていた赤瀬川原平さんと山下裕二さんの『日本美術応援団』を書籍化したり、『日経メディカル』とおつきあいのあった養老孟司さんを編集部に紹介してもらったり。まだ、『バカの壁』が出る前の話です。全く仕事はしないで最初の5、6年間は一緒に昆虫採集に行っていただけでした。でも、おかげで『養老孟司デジタル昆虫図鑑』というエプソンの広告企画と書籍作りを同時に行うプロジェクトを結実させることができました。

――小さい頃からの昆虫好きが本領を発揮したのですね。

柳瀬:『日経ビジネス』からも、ただ記事をまとめるだけではなく、取材対象となった方々を著者として原稿を依頼すれば、オリジナルの書籍ができるということに気づきました。

ヤマト運輸の小倉昌男さんが執筆した『経営学』、世界のインターネット広告ビジネスのフロントランナーだった板倉雄一郎さんがご自身の倒産経験を自ら綴った『社長失格』、伝説の外資系金融マンだった藤巻健史さんの『外資の常識』…。『決断』の著者である元マイクロソフト社長の成毛眞さんとのお付き合いもこの頃からでした。

また1998年に糸井重里さんが立ち上げた「ほぼ日刊イトイ新聞」で、武田さんの『流行人類学クロニクル』と板倉さんの『社長失格』を、それぞれ別のタイミングで取りあげていただいたご縁で、糸井さんと知り合う機会をいただきました。それが矢沢永吉さんの『アー・ユー・ハッピー?』につながったのです。

――数珠つなぎのように人がつながっていたのですね。

柳瀬:そうです。新しい著者は僕が探して引っ張ってきたというよりは、常に誰かが連れてきてくださいました。

無茶振りが新しい自分をつくる

柳瀬博一さん(撮影・斎藤大輔)
(撮影・斎藤大輔)

――経験のない仕事、例えば、書籍の編集者もラジオのパーソナリティーも大学教授の仕事も、新しく与えられた職場で上手に自分の役割を見つけてきましたね。

柳瀬:先ほどのプレゼンテーションの話とつながりますが、僕の役割は「目の前のコンテンツを面白く、わかりやすく、正確に伝える」ということだと思います。

例えば今、国道16号についての本を書いています。国道16号がいかに面白いか、といわれても戸惑いますよね。でも、「日本の音楽のほとんどは国道16号線から生まれている」「明治維新以降、日本のGDPの大半は国道16号線が稼いでいる」とプレゼンすると「えっ?」となりますよね。

――切り口を変えて面白く、わかりやすく、正確にプレゼンテーションするということですか?

柳瀬: そうです。大半の事柄は、すでに世の中に情報があります。ファクトもあります。でも、伝え方の切り口を変えたり、複数のファクトを組み合わせることで、既存の情報に新しい価値が生まれることがある。

かつての書籍編集も、大学の教員として学生たちに教えていることも、ラジオパーソナリティーの仕事も、その意味では同じことをやっているともいえます。

――最後に、会社の外へ一歩出たいけれども迷っている人たちにとって、大切なことは何だと思いますか?

柳瀬: 無茶振りを楽しむ、ということだと思います。真面目な人って自分が失敗するのを嫌がって何もしないでしょう。でもそれではつまらない。無茶振りだったら頼んだ方が悪いのだから失敗したってどうってことない。

書籍編集もラジオパーソナリティーも大学教授も、無茶振りから出発しましたが今もやっています。そうやって自分の可能性や幅を追求するのがいいのではないでしょうか。

【インタビュー前編】希望しなかった人事異動が人生の転機に マルチ書籍編集者・柳瀬博一さん

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