スピッツを売る珈琲屋台の「ヒバリのこころ」(沖縄・東京二拠点日記 36)

ある日の那覇の風景。
ある日の那覇の風景。

10月11日 超大型台風19号が迫ってきている。神戸から那覇に向かう。台風の影響で東方面に飛ぶフライトは多くが欠航。那覇行きはすこし遅延したが無事に飛んだ。2時間のフライト。東京の家や仕事場が心配で仕方がない。

スピッツ・ポップアップショップ

着いたらその足で珈琲屋台「ひばり屋」へ。「琉球新報」のぼくの月イチ連載「藤井誠二の沖縄ひと物語」で、オーナーの辻佐知子さんを取り上げるために原稿の事実確認に来た。ふと見ると、屋台の上でバンド「スピッツ」の新作アルバム『見っけ』が販売されている。これは何? とぼくが聞くと、なんと、「ひばり屋」は「スピッツ・ポップアップショップ」に選ばれていたのだ。
「優しいあの子のいるお店2019」に応募して全国で16店に選ばれた。「スピッツが好きすぎて」と辻さんは大笑いしているが、「スピッツ・ポップアップショップ」の「ひばり屋」オリジナルスタンプを押すだけのファンが来ることもあるだろう。

ひばり屋の持ち帰り用袋に押されたスピッツのスタンプ。

ファンだからアルバムはきっとすでに買っているだろう。珈琲は飲まなくともスタンプラリーのために来てくれればいいそうだが、せっかくだから土の上で涼みつつ、美味しい珈琲を飲んでほしい。
「スピッツ・ポップアップショップ2019」はこれまでCD販売をしたことのあるなしは関係ないそうで、10月9日からDVD付きCDなどを販売している。それにしても、「ひばり屋」の店名のは辻さんが「スピッツ」のデビューアルバム『ヒバリのこころ』から取ったほど大好きなのだ。
ぼくはアルバムを買ったので、ずっと部屋で聴いている。ちなみにスピッツのボーカルの草野マサムネさんはぼくと同い年。やっぱり、いいなあ、スピッツ。

珈琲屋台 ひばり屋。

そのあと「すみれ茶屋」に移動して、じゅんちゃんとマスターに会う。京都で買ってきた水茄子の漬け物を主人の玉城丈二さんに渡した。(あ、辻さんにもあげた)。丈二さんにポークソテーをつくってもらった。もう1枚焼いてもらったので、野菜をたっぷり入れて弁当にしてもらった。

胃袋をつかまれる琉球料理の研究家

10月12日 豊見城のスーパーマーケット「サンエー豊見城ウイングシティ」に出かけた。モノレールで奥武山公園駅までいってタクシーで向かう。コーヒーショップでは店員さんが「もういらっしゃってますよ」。奥のシートに琉球料理研究家の山本彩香さんが座っておられた。

山本さんといえば沖縄料理を供する料理店「山本彩香」で有名だし、『てぃーあんだ』という本で知られている。「てぃーあんだ」とは「手のあぶら」という意味で、真心をこめて手をつかって料理を作るという意味合いを込めたタイトルだ。

いまは店はしていないが、ぼくは久米に「山本彩香」があったとき何度かおじゃましたことがある。胃袋をつかまれたというのはこういうことだと思う美味しさだった。山本さん自身が丁寧に手をかける「豆腐よう」が知られているが、ミヌダルからラフティー、ソーミンタシヤーまでほんとうに滋味深い。それまでに食べたどの沖縄料理より刮目した。

沖縄の豚肉料理の歴史を辿りながら店も紹介した『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』を書いたときにはインタビューさせていただいたし、ずいぶんアドバイスをもらった。

山本さんは、満で数えて84歳になった今もすこぶるお元気なのである。「藤井さん、沖縄では歳をとったという言い方はないわけ。それまで長く人生経験をしてきた、見てきたという言い方をするのよ」と久々にお会いした瞬間、まず言われた。

じつは山本彩香さんにぼくの連載「藤井誠二の沖縄ひと物語」に登場してもらう。2時間ぐらいインタビュー(ゆんたくみたいな感じだったけど)して、山本さんの真っ赤なミニクーパーで最寄りの駅まで送ってもらった。「助手席に乗ったのは(取材等でお世話になった)小山薫堂さんと谷原章介さん、藤井さんで3人目よ~」といたずらっぽく笑っていた。光栄なり。

帰路、大型リサイクル店に立ち寄り、沖縄本2冊とジーンズとシャツを買う。ちゃんと沖縄本コーナーがあり、品揃えもいい。時間を忘れてチェックした。ぜんぶで5000円ぐらい。そのあとは栄町「おとん」に寄って普久原朝充君と合流。建築コーディネイターの増田吾朗さんも偶然来ていろいろ話した。

那覇大綱挽まつりの音

10月13日 本棚にあった宮沢賢治全集から詩集を取り出して朗読する。詩を声に出すリハビリは途切れなく続けている。

先日、某局の情報番組の自分の取材コーナーのナレーションをオンエア前に録ろうとしたが、どうしてもところどころでうまく発語できず、ディレクターと相談して、アナウンサーに代わってもらった。素人のぼくがプロに代わってもらう。なんかおかしな話だが、脳卒中の後遺症(構音障害)はすぐに良くなるものではない。

自分がいろいろな人にインタビューするシーンが流れるのを観て、「ああ、インタビュー(の発語は)できてるな」と客観的に思ってしまった。同時にナレーション読みのように何か文章をきちんと滞りなく読み上げることができない自分を再認識した次第。

街から爆竹が連続して破裂する音や銅鑼を鳴らす音が聞こえてきた。バルコニーに出てみると、街の名前を縫い込んだ揃いの祭りの衣装(法被というのかな)を着込んだ男たちが練り歩いている。

こういうのを沖縄では道ジュネーという。それを見る近所の人たちも、ぞろぞろいっしょに歩いている。あ、そうだ。今日は那覇の大綱挽の日だ。旗頭を各地域の青年会で順番につとめるのだが、道ジュネーをしているのはその連中だった。

今日は日曜だが県庁に用事があったので裏口(通用口)を探してうろうろする。守衛の人に尋ねてようやくわかった。用事を済ませて外に出ると、国道58号線の久茂地交差点のほうに向かって人がぞろぞろ歩いている。ぼくも人の流れに混じって歩いていくと、通行止めになった58号線にはすでに巨大な綱が置かれていて、沿道にはびっしりと見物客がいた。

那覇大綱挽が始まる直前の様子。

自由に参加して綱を引けるので、それを待っているのかもしれない。多くは海外から来た旅行者や、米兵と思われるラグビー選手のようなガタイをした男たちで、みんなはしゃいでいる。あとでニュースを見たら27万人が集まったが、数分で縄が切れて引き分けに終わったようだ。

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