ひとりだから生まれた音楽、ひとりじゃないからできること 大江千里さん
1980年代からポップスターとして名を馳(は)せた大江千里さんは、2008年、47歳のときにジャズを学ぶためにニューヨークに留学。現在もニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活動を続けています。2018年にアルバム「Boys & Girls」で、過去の自身のヒット曲をジャズにアレンジして「千里ジャズ」という新たな境地を開きました。さらに2019年9月には、ジャズトリオアルバム「Hmmm(フーム)」をリリースしました。音楽家として、今、どんな境地にいるのか聞きました。
ソロからトリオの喜び
――アメリカにいらした当初はどんな状況でしたか?
大江:ジャズの学校(The New School for Jazz and Contemporary Music)で同級生と話していたときに「I’m down baby.」って言われたんです。「down? 具合が悪いの? 大丈夫?」って聞いたら「バカだな、『down』って準備万端って意味だよ」と。そんな普段使いの英語のニュアンスさえ知らないレベルから入っているんですよ。
――ジャズアルバム「Hmmm」は6枚目のアルバムとなりました。
大江:昨年5月、アリ・ホーニグ(ドラマー)、マット・クロージー(ベース)とトリオで日本ツアーをやりました。僕のピアノとアリのドラムの相性は、むちゃくちゃ合うときと反発するときがあります。それをマットのベースがつないでくれるのが面白いバランス。ツアーで3人の相性が特別なものになれば、その勢いでアルバムを作ろうかというのは最初から何となくありました。
また、その前の「Boys & Girls」のツアーでは、ソロピアノでの演奏で、ドラムもベースも他の楽器の代わりも10本の指でやってたわけです。トリオはドラムがいてベースがいて、その上に乗っかって、好きなだけトラックの上で暴れて楽しめる。ひとりじゃないのは、喜びでしかなかった。この喜びが新鮮なうちに、という思いもありました。
ツアーを経て、雨降って地固まった感じで、スタジオでもう一波乱起こせば火がついて、新しいものができそうだという感触があってレコーディングを決断しました。
日本ツアー直前に父の容体が悪いと知って、ツアー前に実家で数日間一緒に過ごしました。そして日本とハワイのツアーを終え、ライブの予定があったニューヨークに戻りました。ライブとレコーディングの間は4日。ライブの後、ダメ元で航空会社に電話したら、何とかチケットがとれて、2泊だけ帰国しました。
父はすでに意識がなく、側にいられるのは最後かなと思っていましたが、ニューヨークに戻る前の晩に奇跡的に父が目覚めました。ボードとペンを渡すと「ビール飲めるか」って書いたんです。それで、ノンアルコールビールを急須に入れて1時間ぐらいかけてふたりで味わいました。
ブルックリンに戻って、疲れてベッドに飛び込んだところで妹から電話があって、父が亡くなったと聞きました。こっちに住んでいるから、家族とか大事な友達の死に目に会えないかもしれないと覚悟はありましたが、やはり落ち込みました。数日後のレコーディングなんてできるかなあ、と不安もありました。
――いろいろな感情が混じった状況だったんですね。
大江:人生はどう進んだらいいのか、整理がついていない状況の方がむしろ多い。でも、いろんな感情が混濁しているときにこそ、勢いのあるものが生まれることがあるのも経験上、薄らとは分かっていました。ここでの日々は、ローラーコースターみたいに、いいことも、そうじゃないことも毎日起こって、それを止め、そこから降りると、次はもう来ないのも分かっています。これはむしろ傑作が生まれるためのチャンスなんだ、と覚悟を決めてスタジオに入りました。
アリとマットと本当にいいケミストリーが起こせました。「Hmmm」の音楽は基本ジャズなのだけど、中にはポップスのフォーマットのように、よく似たシーンでも微妙にころころ変わるものもあったので、若干てこずりはしました。でも、お互いに支え合って納得のいく演奏を続けて、時間通りにビシッと終えられました。そんな思いがこもったアルバムで、ソニーアメリカのマスターワークスというジャズのメジャーレーベルとの契約にもこぎつけました。
そして「Hmmm」が生まれて、今のところ各地でいいリアクションがあり、手応えもあります。昨年はイタリアのジャズの名門グレゴリーズジャズクラブで、地元の名うてのミュージシャンと共演しました。あらかじめやる音源を送って、実際は1時間弱、ざっと合わせただけですぐ本番という粗っぽいことを敢行したけど、大成功しました。
この経験から、世界中のミュージシャンとトリオを組んで「Hmmm」を演奏する野望も生まれました。2020年は、このアルバムをソロで、デュオで、トリオで、世界各地で演奏し続けていこうと心に決めて船出をし、今その航海の真っただ中です。
自分が美しいと思うものを形に
――その前のアルバムの「Boys & Girls」で、独自のジャズの形である「千里ジャズ」を確立できたことが大きかったそうですね。
大江:活動35周年という区切りで、ひらめいたのが「Pop meets Jazz. Jazz meets Pop」という解釈です。久しぶりに自分が作った1980年代、90年代の音源を聞くと、一見ポップな装いになっているけど、コアにはジャズスタンダードに通じるメロディーが流れていると思いました。ジャズにしたら面白いと思える、キャッチーで、シンプルで、強いものがたくさん含まれていて、自分でいうのも何だけど、本当にクオリティーが高いし、よくできてると思いました。
これをジャズにするなら、変幻自在なアレンジが合う。ただバンドに強いると時間がかかるけど、ソロピアノなら身軽で、いろんなパターンを試せるし、現場でフレキシブルに変えてもいい。メロディーも詞も大江千里が書いたものをSenri Oeとして理解してジャズにして、新しい景色をかき鳴らす作業は苦しかったけど、面白かったです。
自分が作ったポップスは、心の引き出しの中に全部しまって鍵をかけていました。でも、このアルバムを作るプロセスの前後で、アトランタジャズ、デトロイトジャズなどで、ポップを自分流に解釈したジャズ曲を披露すると、拍手をいただけて、スタンディングオベーションまで起こった。「アメリカのジャズのお客さん」を勝手に頭に描いていたけど、自分が美しいと思うものを分かりやすく提示して、目の前のお客さんとの間のバイブを信じて、素直に作ればいいと思えたことがすごく大きかったです。
アメリカのジャズ専門誌「JAZZIZ」の2018の冬号で、ベストミュージックを選ぶ「JAZZIZ Music from the Magazine Playlist: Winter 2018」に「Boys & Girls」が選ばれたことはうれしかったです。日本ではオリコンのアルバムウィークリーランキングの「ジャズ・クラシック他」ジャンルで1位を獲得(2018年9月17日付)して、色眼鏡なしで評価されていることに、たくさんの勇気をもらい、やり続けようと思えました。
いつも「I’m down.」って言える
――10年の中で、変わったことは?
大江:仕事は外注の出入り業者と必要な専門業務を担う人、それぞれとどれだけ細かくやるかが要です。それも、ひとりで肥やしてきた原石があるからこそ、トリオのように、点と点がつながって、それを磨いてさらに光らせることができます。勝負する時には「Dense(密度)」を濃くして、その見えないチームで難局に当たれる。今もひとりブルックリンでジャズを耕していますが、でも、ひとりじゃない大きな広がりをビリビリ感じています。
ベルトコンベヤーに載せられてくるもの全部に手を出さずに「これ!」というポジティブなものだけをピックアップして、その分「ウジウジクヨクヨ」は全部過去に置いていく。あとは、もうただうまくいくように祈る。僕は、一縷(いちる)の「Hope」を捨てないというのが、結構大事だと思います。とにかく最後はきっと何とかなるという、楽観的なビジョンとともに。
日々は常に「Tiny step(小さな一歩)」です。それをひたすら続けていると、いつビッグチャンスが飛び込んで来ても「I’m down.」って言える自分がそこにいます。