「トイレの神様」ヒットの植村花菜(Ka-Na)さん、NYで続ける音楽活動

植村花菜さん(撮影・市川紗織)
植村花菜さん(撮影・市川紗織)

「トイレの神様」などのヒット曲で知られる、シンガー・ソングライターの植村花菜(Ka-Na)さんは、2016年にニューヨークに活動拠点を移しました。今年は1月にアルバム 「Happiness」をリリース、アーティスト名も「Ka-Na」と改め、日米での音楽活動をより一層精力的にこなしてきました。昨年の夏には日本の事務所から独立し、日米での活動のマネジメントをひとりで手掛けています。

NYで得た価値観が曲になる

――2012年にアメリカ各地をひとりで旅して、最後に訪れたニューヨークで「将来ここに住む」と直感を得たと聞きました。その直感は正しかったですか?

植村:はい。ニューヨークに対してがっかりしたことはないです。日本と比べると、不便だなと思うこともありますが、それは悪いことじゃない。例えば、ニューヨークで電車が時間通りに来るのは奇跡に近い。アプリで見て「あと5分」となっていても、急に「あと0分」になったりするので、それはあくまで目安。来た電車に乗ればいいや、と考えます。

日本だと本当に正確に5分で来るので、間に合わせるために時間に追われてしまう。それは素晴らしいけど、逆に時間に縛られてしまうこともあるのかな、と気が付きました。

私は自分が経験して感じたこと、気付いたことを歌にするので、そうした考えは創作活動には確実に影響しています。日本で持っていた価値観、ここで暮らして得た価値観、その違いや新しい気付きがあり、それが歌になります。アルバム「Happiness」に収録した曲の多くもそうやって作った曲です。

――現在は日米でどんなバランスでお仕事をされているのですか?

植村:ニューヨークでは、だいたいワンシーズンごとにライブを開催しています。イベントなどに呼んでいただいて歌うことも増えました。日本には年に3、4回帰って、ツアーをはじめ、いろいろなお仕事をさせていただいています。

今年は「Happiness」のツアーだけでなく、秋には出身地の兵庫県川西市のイベントに呼んでいただきました。冬にも日本でコンサートを開きます。1年のうち3カ月ぐらいは日本、9カ月ぐらいはニューヨークで過ごしています。

(撮影・田中真太郎)

ひとりで全部やってみたかった

――昨年の夏からは日本の事務所からも独立して、日米双方のマネジメントをすべてご自身でやっているとうかがいました。

植村:一度、全部ひとりでやってみたかったんです。日本で所属していた事務所に「いろいろ自分でやってみたい」と伝え、了解を得て、昨年夏に独立しました。

こちらでの活動は、元々自分で手掛けてきました。当初はまったく英語ができなかったし、どこで何をやればいいかも分からない状況でしたが、こちらに住んでいる方の紹介で、バーなどでライブをしてきました。1年ほど経って、当地在住のエージェントと知り合い、ライブハウスのブッキングの手伝いなどをしていただきましたが、今年からは完全にひとりでやるようになりました。

事務作業が圧倒的に大変。「これも、あれも」「忘れてた」の日常で、頭がいつもパンクしそうです。お仕事のオファーの返事、ギャラの交渉、スケジュール管理、日本でツアーをする場合は、メンバーを決め、連絡して、リハーサルのスタジオを押さえて…。宣伝のためにテレビ局、ラジオ局、雑誌にも連絡します。

最初は、仕事のメールの書き方もままならなくて、皆さんから「お世話になっております」とメールをいただくので、そう書くものなのなだと知ったぐらいです。今まで全くやったことがなかったので、分からなかったんです。英語ではさらにハードルも上がり、文章を書くのに余計に時間がかかります。

(撮影・市川紗織)

――ひとりでやってみたいと思ったのは、なぜですか?

植村:来年でデビュー15周年になりますが、これまで一緒に仕事をしてきた、また、これから一緒に仕事をしていく人たちが、どのようなことをして、どんな苦労があって、どう考えているのかを知りたい、勉強したいと思いました。

私は19歳で作詞、作曲、ギターを始めて、ストリートライブをして、半年ぐらいで関係者に声を掛けてもらい、オーディションでグランプリをいただいて、メジャーデビューが決まるまでが早かった。下積み期間が短く、早い段階で事務所やレコード会社のサポートを受け、すごく守られてきました。その中でも日本では事務所が、アーティストにあまり多くを語らないのは、どうしてだろうとも思っていて、その理由も知りたかったんです。

ひとりで頑張るために人に頼る矛盾

――ひとりでやってみて学んだことは?

植村:ライブや出演の依頼は、プレゼンの段階でもなくなるし、むしろ決まることの方が少ない。私はメンタルが強い方だと思いますが、それでも傷つくし、悲しい気持ちになるし、心がモヤモヤします。そんな状態が続けば、いい表現やパフォーマンスができなくなるかもしれない。また、やってみるとメールを書くことやホームページの更新などに追われて、練習、曲作り、英語の勉強もしたいのに時間が持てない。

私は「アーティスト」という仕事だけをしてきた。それは周りの協力なしにはできないんだと分かりました。事務所がアーティストに多くを語らないのも、そうしたメンタル面のアップダウンをなるべく抑えるためだったのかもしれないなと思います。

だから、ひとりで頑張ることは、矛盾しているようにも思いますけど、ときに誰かに頼ること、協力してもらうことが、すごく大事だと気が付きました。

目の前に課題があって、乗り越えても次の課題が出てくる。その繰り返しです。そのたびに、どうやって戦うかと作戦を考えます。

今回の挑戦は、生活を見詰め直して、一番大事なことは何かを考えるきっかけになりました。それが、アーティストとして最高のパフォーマンスをすること、そして最高の作品を作ることだと改めて気付かされました。

失敗はしたくないから全力は尽くしますが、実は成功すると、全てそこで終わってしまう。なぜできなかったのか、何が足りなかったのかと考えるほうが何倍も成長できます。

基本的に私はポジティブで、マイナスをプラスに変えてきましたが、大きな失敗もして、かなり落ち込みました。それでもやり遂げた時に、失敗があって良かったと心から思えました。

(撮影・市川紗織)

――今後の予定を教えてください。

ひとりでやってみた経験を生かして、今後誰かと一緒に仕事をするのならば、これまで以上にいい仕事ができると思います。手伝ってくれそうな方との出会いもあって、新しいことにも取り組めそうです。

3年間「日本人以外の人たちにもJポップを聴いて欲しい」と思って、定期的にライブやイベントで歌い続けてきましたが、ちょっとずつの出会いがつながって、今、まき続けた種が少しずつ芽を出そうとしていると感じます。出てきた芽にできるだけたくさん肥料を与えて、どんなふうに育っていくのか見ていきたいです。

来年はデビュー15周年の記念のアルバムを出したい。日本語で歌を聴いてほしいということが一番の目的なので、日本語で新曲も作りつつ、もちろん英語でも、さらに日本語で作った曲を英訳したりと、いろんな角度からチャレンジして楽曲作りをしていきたいです。「トイレの神様」も英語にしてみたいと思っています。

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