「一緒に治療できる人、誰もいませんか?」医師の言葉が重く響いた(ひとり断酒会 4)

都道沿いにマンションが立ち並ぶ住宅地の一角だった。

看板を見つけて入ってみると、たたずまいは古びているが清潔で落ち着いた様子の病院だ。

自らを奮い立たせるべく朝イチの時間に予約を入れたのだが、すでにほかにも何人もの患者が待っていた。この人たちも心になにか疾患を抱えているのだろうか。

みな静かだが、親かきょうだいか夫婦か、誰かに付き添われている人がほとんどだった。次々に診察室へと入っていって、けっこうすぐに戻ってくる。

アル中克服を決意するまでの経緯→【第3回】フリーライターの宿命。血を吐きながら原稿を書き続けた

しばらく待つと、名前を呼ばれた。

「お電話いただいたムロハシさんですね。アルコール依存症の治療ですよね」

まわりの患者に聞かれているような気がして恥ずかしかったが、その通りなのでハイと答える。

保険証と引き換えに、歯医者や内科と同じような問診票を手渡された。いまの悩み、具体的な症状、治療したいこと、アレルギー反応、既往歴……さまざまな項目に記入して提出すると、すぐに診察の順番が回ってきた。

精神科の医師に思いを吐露する

眼鏡をかけた小柄で温和そうな男性の医師は、「なにがあったの?」と優しく問いかけてくれた。その落ち着くような声のトーンもあってか、僕は自分でも意外なほど、これまでの経緯を吐き出すように告白した。

狂ったような酒浸りの日々と、大量出血して病院に搬送されたこと、そこでアル中克服を決意したこと。いい年をしてパートナーのいないコンプレックスやフリーランスのプレッシャー、実家が抱えるいくつもの問題など、これまで人に話すことはなかった、そしてアルコール依存の背景となっているであろうことを、次々に話した。

こういう飲み屋街で1〜3次会くらいまで過ごし、それから自宅で本格的にガブ飲みする日常だった

これが「吐露」という感情かと思った。最後のほうは、ほとんどすがるような気持ちになっていた。

ときどき頷いたり、メモを取りながらじっくりと聞いていた医師は、僕が話し終えると口を開いた。

「アルコール依存症の治療には、少しずつお酒の量や回数を減らしていくやり方もありますが、ムロハシさんはきっぱり断酒するということですね」

「ま、まあ、当面は……」

「でしたら、まず離脱症状を抑えるための薬を出しましょう。不安感をいくらか軽減するものや、睡眠薬です。それと、レグテクトという薬をおすすめします。これは脳の中枢神経に作用し、飲酒欲求を抑制する効果があります」

脳神経をイジる薬か……ややガチな響きに一瞬たじろいだが、そんなもんの助けを借りなければならないところまで来てしまったのだろう。

「これらの薬を服用して、定期的に通ってもらって、体調や心の様子を見ていきましょう。ただ……一緒に診察や治療できる人、本当に誰もいませんか?」

やはりまた、この話なのか。搬送された病院でもそうだったが、家族単位、パートナー単位でないとアル中の治療はできないのだろうか。

「そういうわけではありませんが、家族なりパートナーが一緒のほうが回復を目指しやすいと思います。生活習慣を変えていくのも、ひとりよりは支えてくれる人がいれば」

そう言いながら、チラシを見せてくる。都内各地で行われている「断酒会」のものだ。

「こうした地域の集まりにパートナーと参加して、同じ悩みを持つ人たちと気持ちを共有することも大切です。お互いに断酒していく励みにもなるしね。同じようなワークショップはほかにも紹介できます」

そんな相手がいないから酒を飲み散らかして、いまここにいるんだよ……腹に黒ぐろとしたものが沸きあがってくる。それを抑えるために、きつい酒が飲みたくなってくる。ウイスキーをストレートでやりたい。

僕の醸し出す負のオーラに気づいたのか、医師はこう言った。

「もちろん、こうした会はひとりでも参加できます。投薬と並行して、いろいろな場を使って人とつながることも考えてみてください」

その後、アルコールによる内臓へのダメージを調べるための血液検査などを受け、初めての精神科の診察は終わった。

こういうの、たまらんよね。酒を飲まなくても居酒屋に入っていいものだろうかと悩む

漢方薬でしゃっくりが止まった

処方箋をもらって薬局に行ってみると、薬はなかなかの量だった。レグテクト、抗不安薬、喉や胃の炎症を抑えるもの、さらにシアナマイドという薬も出されていた。

これは服用後に飲酒すると、頭痛や吐き気、不快感などキツい二日酔いのような症状が現れるものらしい。そんな目に遭いたくなかったら飲むな、という戒め的な薬である。「パブロフの犬」のように、酒を見ると忌避感を覚えるようになるのだろうか。

これらの処方薬のほか、個人的に「柿蒂湯(していとう)」という漢方薬も服用してみた。熟した柿のヘタの部分を乾燥させたものだとかで、しゃっくりを止める効果がある。

あの大量吐血から3日。出血や全身の衰弱はすっかり良くなったのに、しゃっくりが収まらず、街中でも打ち合わせ中でも病院でも電車の中でもどこでも、常にヒックヒックいって不審なだけでなく、夜も眠れない。

市販の西洋医学の薬をいくつか試したがまったく効果がないので、新宿某所でたまたま見つけた漢方薬屋に入ってみたのだ。

柿蒂湯のほかにも、肝機能に効能のある薬や、ストレスをほぐす薬などを調合してもらったのだが、煎じて飲むと数日でしゃっくりは収まっていった。ひとりひとりの症状に合わせて成分を組み合わせ、オリジナルの薬をつくっていく漢方薬の世界も、こんなことがなければ知ることはなかっただろう。

中国食材店でよく買っていた白酒。なぜ飲んでいたかというとアルコール度数が恐ろしく高く、ガツンと酩酊できるから

独身中年のみじめな暮らしを改善する

これらの薬を飲みながら、僕は荒れ果てた生活を少しずつ立て直していった。自宅を徹底的に掃除し、まだ入っている酒瓶もすべて捨て、勢いあまってみりんまでも捨てた。

退院後1週間ほどで固形物が食べられるようになってきたので、野菜をたくさん買ってきて滋養のありそうなものを自炊した。まだ寒い季節だったこともあって、根野菜をたっぷり入れた豚汁をよくつくった。

それからなるべく、朝型であろうと心がけた。僕の生息する出版メディアという業界は、昔ほどではないにせよ朝が遅い。正社員だって昼からのこのこ出てくるようなのはザラにいる。僕以外にもアル中は多く、酒が抜けてくる夕方からようやくエンジンがかかりだすというやつも少なくない。

その浮世離れした怠惰な風潮は嫌いではなかったが、当たり前だが能率の悪さも感じていた。とくにこのところ、なぜだか僕はいただく仕事の量が増えており、どうにか時間をヒネり出さねばと、酔っぱらいながら考えていたことも確かだった。

簡単である。世の皆さまと同じく、朝から働けばいいだけのことであった。

飲んでいないのだから、胃の不快感も身体の重さもなく、バシッと目覚める朝は実にすがすがしい。布団を干して自宅を出れば、会社や学校に向かうさまざまな人がいる。かつてはこの人の波に逆流して、朝からコンビニに酒を買いに行くことすらあったのだ。

そんな過去を封印し、健全に社会に参加している喜びを感じながら街を歩けば、朝から焼きたてのパンを出しているカフェに足を止める。商店街の人々が掃除をしている姿も見る。何年もこの街に住んでいながら、知らなかった景色だった。新鮮だった。

この感覚だと思った。

初めて見る精神科や漢方薬、気づかなかった近所の店、朝のさわやかさ。いままでなじみのなかったものにひとつずつ触れる面白さ、新しい世界を開拓していくようなこの感覚で、酒ですっかり黒ずんだ心を塗り替えていく。それこそが、ひとりきりでアル中を克服していく鍵のように思った。

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室橋裕和 (むろはし・ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『バンコクドリーム Gダイアリー編集部青春記』(イーストプレス)など。

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