師・市村正親さんとの共演を目指して……付き人から奮起して渡米した俳優

映画の吹き替えをする大久保さん(写真・本人提供)
映画の吹き替えをする大久保さん(写真・本人提供)

YouTubeで配信されているキッズアニメ『カイユー』の日本語版。このアニメで主人公カイユー以外のほぼすべての男性登場人物の声の吹き替えを担当しているのが大久保全也(おおくぼ・まさや)さん(32)です。ニューヨークに活動の拠点を置き、2020年も、ニューヨークやワシントンD.C.で開催される「桜まつり」の殺陣パフォーマンスで主役を務める予定です。一方、俳優としてさまざまなオーディションに応募する日々を送っています。

日本を離れる前はミュージカル『スウィーニー・トッド』やテレビの2時間ドラマなどにも出演し、現在はハリウッド映画の出演を目指して活動していますが、かつて、俳優になる夢を諦めたことがありました。中学生のときにテレビで舞台演劇を見て俳優に憧れ、高校卒業後、舞台芸術学院に進んで2年間演劇を学ぶも、自分が出演したビデオを見て、「才能がない」と早々に俳優への道を断念してしまったのです。

かといって実家のある愛知県に戻って家業の菊の栽培を継ぐ気にはなれず、風船アートやカフェのアルバイト、葬儀社の派遣の仕事を掛け持ちしながら自分探しをする日が続きました。

「葬儀の仕事では病院で亡くなった方を運んだり、1日に3件も4件も葬式に行くんですよ。悲しい顔をしちゃいけないし、もちろんハッピーな顔もしちゃいけない。自分が病んでいくんです」

そんな生活が1年ほど続いた頃、舞台芸術学院の大先輩である俳優・市村正親さんの付き人として働くことになります。当時の市村さんに対する印象は「紫綬褒章を受賞された、すごい人」。大久保さんにとっては雲の上の遠い存在でした。

仕事に慣れたころに聞いた思いがけないひとこと

付き人の仕事は多岐に渡ります。稽古場で水を用意したり台本をチェックしたり、本番での舞台裏での動きや、小道具や衣装チェンジ等を演出部さんと確認したり。劇場入りした後は、市村さんの楽屋を化粧前からバスルームまで本人が舞台に集中できるように準備したり。

はじめの頃は失敗しては怒られてばかり。なかでも最大級の失敗は、市村さんが奥さんからプレゼントしてもらった高価なイタリア製のセーターを、洗濯機で洗ってしまったことでした。セーターは縮んで見る影もなくなり、「天地がひっくり返るくらい怒られました」。

付き人の生活が2年ほど続き、怒られることも減ってきたある日、その日の仕事をつつがなくやり終えてホッとしていると、市村さんから思いがけないことを言われます。

「お前は仕事ができるようになってきたけど、最近小慣れてきた。夢も目標もないから、目の前が全部ぼやけて見えている」(市村正親さん)

言葉に詰まった大久保さんに、市村さんは「なんで俺がこんなふうに言うかわかるか?」と問いかけました。

「その瞬間、ものすごい愛情が降りかかってきたように感じて、涙が滝のように溢れてきました」と、大久保さんは振り返ります。

大久保さんはお父さんとおじいさんに育てられましたが、2人とも働いていたので、子供の頃はあまりかまってもらえませんでした。

「こんなに愛情をもらったことはなかった。こんなに自分をしっかり見て怒ってくれる人はいませんでした」

泣いている大久保さんに、市村さんがかけてくれた言葉は「夢を持て」。そのときから大久保さんは真剣に「自分の夢ってなんだろう」と考え始めました。そして、たまたま『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』というハリウッドのファンタジー映画を観て、飛び交う魔法やスーパーパワーに役者の世界を志したときの高揚した気持ちを思い出し、「この気持ちが1年続いたら、師匠に『付き人を卒業させてください』と言おう」と決心しました。

市村さんの付き人をしていたころの大久保さん(撮影・故・中嶋しゅう氏)

それから3カ月ほど経ったとき、市村さんは舞台裏に大久保さんを呼んでこう言います。

「お前なあ、自我が芽生えてきただろう。うれしいことだ。でも、仕事はちゃんとやれよ」。そして、大久保さんのひたいをぺちっと軽く叩きました。

「それがすごく嬉しくて」

永住権がなければエキストラにさえなれない日々……だが

目標が定まった大久保さんは、「ハリウッド映画で魔法使いの役をやりたい」という気持ちを手紙にしたためて市村さんに送りますが、返って来た言葉は、「お前、大丈夫か? 日本語もちゃんと喋れない、セリフも下手。英語喋れるのか? それでどうやってハリウッドスターになるなんて言えるんだ」。

それでも大久保さんは怯まずに市村さんを説得。市村さんは「可能性は限りなく少ないと思う。0.00000….1%くらいかもしれない。でも可能性が0%じゃないんだったら俺は止めないよ。俺もその可能性を信じてここまで来た。お前もやりたいならやってみなさい」と背中を押してくれました。

目指すはアメリカ。まずカナダに語学留学して英語を学び、27歳でニューヨークの俳優学校に入り、その後、俳優として働くために必要なアーティストビザを取得しました。英語のアクセントを矯正するために個人レッスンも受けて、あとはオーディションをどんどん受けて頑張るだけ……。

『桜まつり』で殺陣のパフォーマンスに出演する大久保さん(撮影・Jun Suenaga)

ところが、オーディションに受かってスケジュールも空けるように言われて待機していた挙句、最後の最後で他の役者にその役を持っていかれる、というようなことがなんと10回も続きました。さらに、オーディションに合格したのに永住権を持っていないことが理由で、あとで落とされたり。ここ数年、アーティストビザを持っていても永住権がなければ、エキストラの仕事さえさせてもらえないケースが増えていると大久保さんは言います。

「(落胆して)そのあと2週間は動けず、廃人みたいだった。もうダメだ、やりようがないと」

しかし、落ち込んでいては何も始まりません。気を取り直した大久保さんが向かった先はLA。俳優仲間のところに泊めてもらい、現地の俳優やキャスティングディレクターに話を聞きに行って状況の把握に務めると、あることに気づきました。

「LAでは同世代の日系の俳優が活躍し始めていました。同じオーディションを受けるライバル同士なのにみんなが協力し合っていたんです。『誰がその役を取ってもいいんだ。その役はそいつに合ってたんだからそれでいい。そいつが下のやつを引き上げてあげればいいんだよ』と」

ニューヨークに戻った大久保さんは「そういうコミュニティをニューヨークにも作りたい」と、さっそく俳優仲間と活動を開始しました。

大久保さんのもうひとつの大きな夢。それは、「夢を持て」と背中を押してくれた師匠、市村正親さんと『ドレッサー』という舞台で共演することです。これは主人公が付き人という作品。師匠ではなく大久保さんが主役を張るのです。この夢を話すと師匠はこう言いました。

「俺はお前のためだけに舞台に出演してやれるような俳優じゃないから、お前が(実力をつけて)ここまで来い!」

この記事をシェアする

「ひとり仕事」の記事

DANROクラブ

DANROのオーサーやファン、サポーターが集まる
オンラインのコミュニティです。

もっと見る