2.5万本のドキュメンタリー映画が待つ「隠れ家」で味わう贅沢な時間

山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー

山形有数の観光地として知られる山寺こと、宝珠山立石寺へと続く1070段の階段の前を通り過ぎ、すぐ隣にある山寺霊園へ。2022年10月に亡くなり、今年6月に樹木葬でおくられた山形国際ドキュメンタリー映画祭の元事務局長・髙橋卓也さんの墓に参る。

髙橋さんは1989年の第1回開催のとき、ドキュメンタリー映画界の巨匠・小川紳介監督の呼びかけに応えて、山形県内の映画好きたちを束ね、当時の日本で珍しかった国際映画祭を地元山形のひとたちの手で成功に導こうと奔走した人物だ。そのスピリットは脈々と受け継がれ、以後30年以上にわたり映画祭は2年に一度の開催を続けている。

山形国際ドキュメンタリー映画祭 東京上映 2024(10月19日〜11月20日)

前回は2023年秋に開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭」

著名監督との映画談義も魅力の一つ

アレクサンドル・ソクーロフ、クシシュトフ・キェシロフスキ、エドワード・ヤン、アッバス・キアロスタミ、フレデリック・ワイズマン、タル・ベーラ、トリン・T・ミンハ、河瀨直美、ペドロ・コスタ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、ワン・ビンなど、ここに列挙しきれないほどの多くの映画作家たちが、この地方都市に集まった。

ここでしか見られない魅力的な作品群に加え、こうした著名な監督たちと肩を並べて酒を酌み交わしながら、映画談義ができる距離の近さも山形映画祭の特色で、このホスピタリティの高さはいまも地元のひとたちによって支えられている。

※関連記事:ひとり旅で自分だけの「お宝映画」を探せ! 30年目の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」

山寺のほそい通りに立ち並ぶみやげもの屋の店先には、山形名物「玉こん」を煮るおばちゃんたちがいて、まったくもって暑そうだ。大鍋で煮る「玉こん」のしょうゆの香りに胃袋が刺激されて、とたんに腹がすいてしまった。

いそいそと山形市街に向かって道をくだり、山形市大森にある「大もり屋」で大もり屋ラーメン(細麺)をすする。700円。澄んだスープのしょうゆラーメンは、見た目とは裏腹にその味はしっかりしていてコクがある。

大もり屋ラーメン(細麺)700円

作業着姿の客が多い。すぐ近くに工業団地があるからだ。汗を流したあとに食べるラーメンなら、このくらいしっかりした塩味があるほうがうまい。店名の「大もり屋」は地名由来なのだろうけど、普通盛りでも比較的多めの麺量なので、きっと厨房のおかあさんたちの心意気を込めたダブルミーニングに違いない。

知る人ぞ知る「ドキュメンタリー映画ライブラリー」

「大もり屋」から車で10分。山寺街道から大野目の立体交差を抜けて山形市平久保に入ると、山形国際交流プラザ(通称:山形ビッグウイング)がある。いわゆるコンベンション施設で、中古車ショーだったり、骨董市だったり、ときにはラッセンの展示即売会なんかをやっていたりして、土日は多くの人出があったりする。

「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」がある山形国際交流プラザ

ここの3階におよそ2万5000本を超えるドキュメンタリー映画が収蔵されていることはあまり知られていない。しかも、その作品のほとんどはビデオブースで無料で見られるというのだから、隠れ家的なひとりの時間を楽しむにはうってつけだ。

ビデオブースは居心地のいい空間

山形国際ドキュメンタリー映画祭には、インターナショナル・コンペティションとアジア千波万波の2つのコンペ部門があり、開催のたびに世界中から作品を募って、そのなかから上映作を決めている。年々応募本数が増加して、近年では両部門あわせて2300本以上も集まる年もあったというから、国内の映画祭をみわたしてもかなり多いほうだ。

映画祭の開催後には、これらの応募作品はここ「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」に収められ、保管・活用されることになっている。つまり、1989年の第1回から昨年の2023年開催まで、過去17回分の応募作品がここにあるというわけだ。そして、今後も映画祭が続くかぎり、ますます増えていくことになる。

戦中から戦後あたりにかけて使われていた16ミリ映写機

3階でエレベーターを降りると、えらく古い16ミリ映写機が出迎えてくれる。正面カウンターには映画祭事務局のライブラリー専従職員がいるので、見てみたい作品についてなんでも相談してみるといい。収蔵作品の情報はデータベース化されているので、キーワードを伝えれば、それに関連した作品を紹介してくれる。

受付カウンターでは端末を使って作品検索もできる

宇宙人の目線で撮られた不思議なドキュメンタリー

きょうは、デンマークを拠点に活動するアーティスト、マイケル・マドセンが監督した『THE VISIT』を見た。彼の前作『100,000年後の安全』は2011年にアップリンク配給で日本公開されている。

『THE VISIT』­——副題に「AN ALIEN ENCOUNTER」とあるとおり、この映画は「もし宇宙人が地球にやってきたら人類はどう対処するのか」を考察した作品だ。ぼくは宇宙人といったら、矢追純一のUFO特番を思い浮かべずにはいられない世代。だが、あの「木曜スペシャル」のいかがわしさとはうってかわって、こちらの映画はひどく真面目なシミュレーションになっている。

登場するのは国連宇宙局や軍部、政府広報官、そして世界有数の宇宙機関の専門家たちで、実際に宇宙人が飛来した場合に、職務としてその状況に対処する役割を担ったホンモノの人々。映画はおもにこうした専門家たちへのインタビューで構成されているのだが、その撮り方が一風変わっている。彼らが見つめるキャメラの向こうにいるのが、当の宇宙人であるという設定なのだ。

専門家たちは「なぜ、あなたは地球に来たのか」とキャメラに向かって問いかける。そうして、画面越しに見ているぼくら観客は、まるで自分がその問いを投げかけられたかのように錯覚してしまって、いつのまにかこの架空の出来事の当事者になっていく。

宇宙人との遭遇に対して人類が起こすアクションを詳細に検討していくなかで見えてくるのは、未知の者に対する恐怖。この恐怖が増幅していくことによって、対話に亀裂が生まれていくさまを緻密に描いていくわけだが、こうしたコミュニケーションの問題から炙り出されるのは人類が歩んできた植民地化と戦争の暗い歴史だ。

つまり、あなた=宇宙人は何者かという問いには、まるで写し鏡のように、わたしたちが何者であるかを突きつけてくる巧妙な仕掛けが施されていたのだ。この構成に気づいたときには、もうすっかりこの映画にハマっている。

フィルムの保管に適した一定の温度と湿度で管理されている

「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」で見られる作品のおよそ9割以上は、応募されたフォーマットのまま保管されているので、英語字幕はついていても日本語字幕はない。だから、そこに抵抗を感じるというひとはいるかもしれない。ただ、よほどまくしたてるような早い語りでなければ、英語字幕だってなんとか読めるし、読めなくても映像が内容を伝えてくれるから、十分に映画を堪能することはできる。

世界中のドキュメンタリー映画が「そこに在る」ことの価値

フィルムライブラリーの心臓部ともいえる収蔵庫

これらの作品は、著作権の関係でビデオブースでひとりで見ることしかできない。当然、不特定多数で見ること、つまりスクリーンで上映したり、ライブラリーの外に持ち出してみんなで見たり、なんてことは許されていない。ついでに言えば、作品のスチル画像を使用することもできないので、ここに映画の場面写真を載せることもできない。

こうした制約があるが、山形を訪れることができれば、じかに2万5000本ものドキュメンタリー映画と出会うことができる。ときどき海外から長期滞在でここに通い詰める映画研究者やキュレーターがいるが、その選択は正しい。専門家にとっては、泊まり込みでがっつり見るのが当然の、いわば垂涎の環境なのだ。

映画雑誌のバックナンバーも多数あり

1989年から現在に至るまで、世界中のあらゆる事象を捉え、作り手の主観を通してその問題に向き合ってきた膨大な作品が一箇所に集まっているというのは、よくよく考えたらすごいことだ。戦争、貧困、差別、搾取などの社会的、政治的な問題から、恋愛、家族、老い、そして死などの、ごくごく個人的な問題まで、生きている間に遭遇するあらゆる事柄についての映画がある。

人類史の一部と言ったって大袈裟じゃないかもしれない。たとえ、誰にも見られることなくひっそりと保管されているだけだとしても、これだけの量のドキュメンタリー映画がただそこに「在る」というだけで価値がある。

作り手たちのなかには、表現という行為そのものが著しく制限された国で、まさに命懸けで作品を送ってくる者も少なくない(現に映画祭ではそうした作品を匿名で上映したりもしている)。当然、本国では作品そのものが抹消されてしまったケースだってあるだろう。だが、それでもここになら「在る」のだ。特定の社会情勢のもとでは存在が許されない作品も、この「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」でなら大切に保管される。この価値は偉大だ。

鑑賞に疲れたらここで休憩することもできる

『THE VISIT』を見たあと、中国のカンフーマスターを追ったダニエル・ボーデンマン監督の『Peng! Snow Man』を見終えたところで、ちょうど閉館時間の17時。いつも時間が足りなくて、もっと遅くまでやってくれよと思うこともあるのだが、帰りに繁華街の七日町でキリッとした地酒を片手に蕎麦をたぐるなら、このくらいの時間で上がるほうがちょうどいいのかも。

※2024年10月19日から11月20日まで、東京の新宿K’s cinemaとアテネ・フランセ文化センターで、前年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の上映作品を公開するドキュメンタリードリームショー ― 山形in東京2024」が開催されます。山形以外で映画祭の魅力を味わえる貴重な機会です。

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日下部克喜 (くさかべ・かつよし)

山形国際ドキュメンタリー映画祭前事務局長。映写技師。1976年生まれ。2007年から2019年まで山形国際ドキュメンタリー映画祭の専従スタッフを務めたのち、現在は高齢者福祉関係の事業に携わりながら、映画評やエッセイ、人物評伝などの文筆活動を展開中。趣味は明治期の千里眼や霊術に関する資料を蒐集すること。

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