「若年性認知症と診断されて、ひとりぼっちと感じた」41歳女性が見つけた「孤独」を乗り越える方法

「あれ、何かおかしい」。40歳を迎えるころ、高知県南国市で暮らす山中しのぶさんは、自分の異変に気づきました。
携帯電話会社で営業の仕事をしながら、シングルマザーとして3人の子どもを育てる日々。忙しさに紛れていましたが、確実に何かが変わっていました。
そして、41歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断されたとき、しのぶさんは今まで感じたことのない深い孤独に直面することになります。
家族がいても「ひとりぼっち」になる瞬間
診断後、インターネットで検索すると「10年が寿命」「何も分からなくなる」といった極端にネガティブな情報ばかりが目に入りました。
うつ状態がひどくなり、布団から出られなくなった日もありました。
「周りの人たちに認知症だと知られたくない」という思いも強くなりました。外出して知人に会うと、無理をして元気そうにふるまいました。家族はいるのに、心の中は「ひとり」でした。
特に子どもたちが学校やアルバイトで外出してしまうと、孤独感が募りました。
「家にいるときは、ひとりぼっちだと感じていました」
そんなしのぶさんの頭の中をいろいろな不安がかけめぐりました。
「一家の大黒柱である自分が仕事を続けられなくなったら、家族はどうなってしまうのか。家族に迷惑をかけるぐらいなら、いっそ死を選んだほうがいいのではないか」
そこまで思い悩むほど、追い詰められていったのです。
同じ境遇の人との出会いが変えたもの
転機は、同じ若年性認知症の当事者、丹野智文さんとの出会いでした。
丹野さんは自動車販売店のセールスマンとして活躍していた39歳のとき、アルツハイマー型認知症と診断されました。直後は自暴自棄になりましたが、認知症と診断された人々との交流を通じて立ち直り、全国各地で講演したり、本を書いたりするようになった人物です。
しのぶさんがFacebookでメッセージを送ると、すぐに本を送ってくれました。本を読み終わるころには、心が切り替わっていました。
「同じ認知症で、今を笑顔で生きている人がいる。私も笑顔で生きよう」
「ひとりじゃない」という実感がしのぶさんを変えました。同じ境遇の人の存在を知ることで、孤独感が薄れていったのです。

カミングアウトが生んだ「新たなつながり」
その後、高知市で開かれた「世界アルツハイマーデー記念講演会」で、しのぶさんが丹野さんのメッセージを代読するという機会が訪れます。
その壇上で、ある行動に出ました。自分も認知症であることを大勢の聴衆に向かって明かしたのです。
「知られたくない」「隠さなくてはいけない」と思っていた時期もある病気を、あえて公にする。それは大きな決断でした。
その日を境に、しのぶさんの生活は大きく変わりました。認知症の本人として講演してほしいと依頼されるようになり、様々な人たちとの交流が広がっていきました。
病気を隠して「ひとり」で抱え込むのではなく、オープンにすることで新たなつながりが生まれたのです。
当事者たちの「居場所」を作るという発想
しのぶさんが次に考えたのは、自分と同じような境遇の人たちのための「居場所」を作ることでした。
2022年10月、高知県香南市で、デイサービス「はっぴぃ」を開設しました。
「ともすれば孤独になりがちな認知症の当事者が、ひとりぼっちになることなく、社会とつながり続ける『居場所』を作りたかった」
しのぶさんが作った「はっぴぃ」は、従来のデイサービスとは大きく異なります。利用者たちは自動車販売店で洗車作業を行い、みかん農家の収穫を手伝うなどの仕事をしたり、小学生の登下校時の挨拶運動を行ったりもする「社会参画型デイサービス」です。
孤独を乗り越えるためのヒントが詰まった本
現在、しのぶさんは充実した日々を送っています。
「今でも認知症が完治するならば治したいですが、『認知症も悪くないな』と思えるようになりました」
診断直後の孤独な時間は確かに辛いものでした。しかし、その「ひとり」の時間があったからこそ、本当に大切なものが見つかったといえるかもしれません。
同じ境遇の人とのつながり、自分の体験を社会に伝えること、そして同じような状況にある人たちの居場所を作ること。
それは、しのぶさん自身が孤独を強く感じたからこそ、明らかになった道でした。
今年6月には、初めての著書『ひとりじゃないき——認知症と診断された私がデイサービスをつくる理由』を世に送り出しました。一度は生きることに絶望しながらも、希望と自分らしさを取り戻した軌跡が描かれています。
この本には、同じような境遇の人たちが「ひとりじゃない」と感じられるエピソードが詰まっています。そこには、孤独を乗り越えるためのヒントがあります。
