「ひとりの女性を応援したい」FM東京を早期退職した女性ブロガーの挑戦

ブログ「ヒトリデ倶楽部」を立ち上げた林理江さん
ブログ「ヒトリデ倶楽部」を立ち上げた林理江さん

FMラジオ局の老舗「エフエム東京」の総務部長をしていた林理江さんが2018年の秋、55歳で早期退職の道を選びました。退職直前にブログ「ヒトリデ倶楽部」を立ち上げ、自身と同じような「ひとりでも安心して楽しく過ごしたい!」というポジティブで自立した女性たちに向けて、これまでの経験を生かした情報を発信し続けています。新たなステージでどんな挑戦をしていこうとしているのか。話を聞きました。

波瀾万丈の半生

――総務部長でバリバリやっておられるかと思ったら、55歳で早期退職。なぜですか?

林:ブログには、「新たなステージに踏み出すためには定年年齢になるのを待っていられなかったから」と書きました。決して会社がいやで辞めたわけじゃありません。17年半もの間、広報、出版、人事などいろんなことをやらせてもらい、とても感謝しています。

――「新たなステージ」でやりたかったことって何でしょう。

林:長く仕事をしながら一人で生活してきた経験を生かし、「同じような立場の人のお役に立てれば」という気持ちがずっとありました。その手始めにブログを始めたんです。もともと好きだった文章を書く仕事をフリーになってやりたいとも思っていました。ブログは、その両方のための、いわば名刺代わりのつもりで書いています。

――エフエム東京に入る前も転職を繰り返していて、まさに波瀾万丈ですよね。

林:そうなんです。私は名古屋出身で、名古屋の大学を卒業後、地元のテレビ局に就職しました。営業関連の部署で6年勤め、28歳で退社。「東京で一人暮らしをしたい」という思いだけで、何の当てもなく上京したんです。31歳まで3つの会社で派遣社員をしました。大変なこともいろいろありましたが、おかげでどんどん図々しくなって精神的に強くなりました。派遣社員時代の経験は、その後の会社員人生に役立つことばかりでした。

インタビューに応じる林さん
インタビューに応じる林さん

――31歳からは、放送界で会社を転々ということになりますか。

林:ええ、まず一部外資のCSチャンネルの会社に入り、海外のニュースチャンネルを日本でスタートさせる業務などをしました。次に世界的なメディアグループ系のCS放送会社の日本ブランチ(支社)に契約社員として入ったのですが、3カ月ほどでクビ、いわゆる雇い止めを宣告されまして。これは辛かったですね。しばらく人間不信に陥りました。

でも、業界誌の会社に退社挨拶に行ったのが縁で、その会社の方から「広報をやってくれる人を探している社長がいるけど、会ってみない?」と電話があり、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に入ることになりました。ここには5年いて、「ディレクTV」のサービス開始や、新サービスの開始、株式上場など、倒れるかと思うくらいいろんなことがありました。広報部門を立ち上げ、次々に来る取材依頼などを最初はたった一人でこなしていたんですよ。

――そのおかげでエフエム東京に入ることになるわけですね。

林:もともと私はラジオっ子で、大学を出た時もラジオ局が第一志望でした。CCCにいたころ、ずっと憧れていたエフエム東京の広報経験者採用の募集記事を目にしたんです。38歳で転職は無理かと思いましたが、受けてみたら合格。広報経験があったからですし、CCCに入れたのもその前に雇い止めされたから。辛い経験がその後に繋がっていたわけで、「どんな辛いことでも自分の糧になる」とポジティブに考えられるようになりました。

ブログ「ヒトリデ倶楽部」への思い

iPadで作業をする林理江さん

――そんな話が満載のブログなら、共感する読者も多いのではないですか。

林:アクセス数はまだまだですが、「私も早期退職しました」「同じようなことを考えていて、うれしくなってコメントしました」といった反応があります。50代、独身、女性、早期退職の4つがキーワードでしょうか。「早く会社を辞めたいけど、やっていけるだろうか」「一人で暮らしていけるだろうか」といった不安を抱えている人が多いということも感じます。

――「ヒトリデ倶楽部」にしたわけは?

林:「ヒトリデ」の「デ」に思いを込めたつもりです。家族や友達がいても、誰かに頼るのが苦手だったり嫌いだったりして、できる限り自分の力だけで生きていきたいと思っている人って多いと思うんです。仲間になれたらいいなという思いから、「一人」とは相反する意味の「倶楽部」としました。

私も人に頼るのが苦手で、何でも一人で解決しちゃうタイプ。まわりにも、ベタベタ付き合いが苦手な人がけっこういます。がんがん仕事してきて、気がついたら結婚もしていない。でも、孤独でいたいわけじゃなく、友達や仲間は多い方がいいと思っています。病気になったりすると、一人で本当に大丈夫かなとか考えますしね。

インターネットって、ちょっと困ったときに検索すれば、たいがい解決できる。私は検索魔で、ほかの方のブログにずいぶん助けられています。だから、自分もリアルタイムに発信していくことで、読んだ人の役に立てばいいなあって。悩みを分かち合いながら、一緒に解決策を見いだすことができればいいなと思っています。

「ヒトリデ倶楽部」のトップ画面
「ヒトリデ倶楽部」のトップ画面

――最近のブログは、オリンピック関連の話が読まれているようですが。

林:そうなんですよ。ブログで一番アクセス数が多いのは「オリンピック・ボランティア オリエンテーションに行ってきた!!」。実は私が早期退職を考え始めたのは、2020年のオリンピックが東京開催と決まった瞬間からなんです。ホントに私、オリンピックが大好きなので、せっかくならば関わりたい。世界中から来る人たちと交流したいんです。で、ボランティアに応募しました。採用されるかどうかわかりませんが、落ちたらずっとテレビにかじりついていると思います。

早期退職を考えている人へ

――「早期退職、預貯金どれくらいあれば決断できる?」の回で、答えが約6000万円というのには驚きました。「老後資金2000万円不足」が話題になったばかりですし。

林:55歳から年金を満額受給できる65歳までの10年間、完全に無職で無収入だった場合を想定した額なので、その期間を除いた老後資金という意味では3000万円くらいだと思います。でも、私も実際はそんなに貯まってはいないんですけどね。一人で楽しく生きていくためには遊興費も必要ですから、ちょっと多めに金額を想定しているんです。

――元同僚たちは、今の林さんをどう見ているのでしょうか。

林:「顔色良くなったね」と、みんなに言われます。会社員ならではのストレスがなくなったのが大きいのでしょう。「ブログ読んでるよ」って言われると、恥ずかしいですね。ラジオ局らしくこじんまりとしていて、気のいい人が集まるような会社でしたから。繰り返しますけど、会社がいやで辞めたわけじゃありません。

屋外でスマートフォンをさわる林理江さん

――それでも早期退職して良かったと?

林:はい、自分がやりたいことを始めるには60歳からだと少し遅かったと思いますし、お金に代えがたい自由を得たことを考えれば、早期退職の決断はやっぱり正しかったという気がします。これからやりたいことはいくつかあって、一つは「ヒトリデ倶楽部」の主旨に関連した情報発信やライター、アドバイザーなどの仕事、もう一つは経験を生かした人事総務や広報などの仕事。後者も、お声がかかればお手伝いしたい。自由になってから考える時間もたっぷりあったおかげで自分のやりたいことが固まってきたので、具体的に実現させていくことをちゃんと考えないといけないなと思っています。

――最後に、早期退職を考えている人へのアドバイスとご自身の役割を。

林:現実は厳しいですからね。早期退職をむやみに勧めるつもりはありません。「やりたいこともないのに辞めちゃうのはどうかな」と思っていて、厳しいこともブログに書いています。あと、今後ますます一人暮らしの高齢者が増えてくるので、困った時にはインターネットが助けになるということをシニア世代にもっとアピールしていく必要があるでしょう。

孤独にならないよう、シニア世代こそSNSを活用すべきだとも言いたいですしね。ただ、ブログにいくら良いことを書いても、ネット活用に疎い人ほどたどりつかない。このジレンマをどう克服していくか。ブログでやれることは限られますから、そのほかの世界へ文章の力をどう広げていくかが今後の課題だと思っています。

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隈元信一 (くまもと・しんいち)

1953年鹿児島県生まれ。朝日新聞論説委員などを経て、2017年からフリージャーナリスト。ラジオ・テレビ・インターネットなどのメディア・ジャーナリズム、日本を含むアジア文化を主なテーマとする。著書に『永六輔 時代を旅した言葉の職人』(平凡社新書)『原発とメディア2 3・11責任のありか』(朝日新聞出版、共著)ほか。

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