「飯が食えて、暖かいところで寝られたら、それで幸せ」谷根千を愛するネット記者(ひとり部屋、拝見)

ムサシさんの部屋へとつづくらせん階段(撮影・中村英史)

学生時代を過ごした京都に、街の雰囲気が似ている。インターネットメディアの記者・ムサシさん(35)がひとりで暮らす場所を決めたのは、そんな理由でした。ムサシさんのアパートは、下町の情緒が感じられる東京の「谷根千」(やねせん。谷中・根津・千駄木)にあります。

谷根千に住んでみて意外だったことは?という質問に、「この辺りはのら猫がいっぱいいるんですけど、人に甘やかされてて、ネズミを獲らないんですよ。だからときどき、天井裏をネズミが走る音が聞こえます」と答えたムサシさん。そんなところも含めて、今の部屋が気に入っているようです。

DANROの連載企画「ひとり部屋、拝見」。35歳以上でひとり暮らしをしている人に声をかけ、部屋を見せてもらおうという試みです。今回は、古い民家を改装したとおぼしきアパートの、2階部分を独占するムサシさんの自宅を訪ねました。部屋は、人ひとりがやっと通れるほどの狭いらせん階段を上った先にありました。

(この記事は、2019年1月4日に旧DANROで公開されました。記事内の情報は当時のものです。なお、新しいDANROへの移行についてはこちらをご覧ください)

「マジお金がない」を経験すると、そこそこ安定した暮らしがかけがえのないものに

ムサシさんは、西日本のとある県の出身。1年浪人したのち京都大学に入学しましたが、「いろいろあって」卒業まで7年かかりました。青春の長い時間を京都で過ごしたせいか、京都に対する思い入れが強くあります。

「メディアに就職しようと思って26歳で東京に出てきたんですけど、アルバイトくらいしかなくて。実家から仕送り5万円くらいもらって、世田谷区にある風呂なし共同トイレ・共同キッチンの家賃2万3000円のアパートに住みはじめました。残りの2万7000円でやりくりしてました」。ムサシさんはその時代を「マジお金なかった」と振り返ります。

28歳のとき、それまでに貯めたお金で、「京都っぽい」というこの街に引っ越してきました。玄関はガラガラと音をたてる引き戸。6畳2間で、家賃は6万2000円。風呂がない代わりに、狭いシャワールームがあります。

まず目に入るのは、乱雑に積まれた本の数々。マンガ、小説、ノンフィクションとジャンルはバラバラ。月に数冊は購入するほか、取材した人からもらった本もあります。

「毎年、寒い時期になったら必ず読み返す本があって。『贋世捨人』(車谷長吉)っていう私小説なんですけど。主人公はもともと播州・飾磨の人で、高校入試失敗のコンプレックスのあるまま、大学で東京に出てきて、そのあと働いていたんだけど、関西に戻って、料亭の下足番を始めるんです。慶応大学を出て広告マンになったけれど、俺は、本当はそんな生き方したくなかったんだっていうね」

主人公に憧れがあるんですか? そう尋ねてみました。「憧れますよ」と、ムサシさん。「なかなかそういう大胆なことはできないですから」。

ムサシさんの性格なのでしょう。本が積まれたスペース以外は、意外と片付いています。なかでも台所は「料理はわりとするほう」と言うだけあってきれいで、冷蔵庫の食材はタッパーで小分けされていました。

ムサシさんは29歳のとき、現在も働くインターネットメディア企業に就職しました。正社員として働くのは、それが初めてでした。稼いだお金の多くがお酒に消えていきます。「人付き合いで飲みに行くことが多くて、2、3軒飲み歩くはしご酒を週に3、4回繰り返していた時期もありました」。

そう言われてあらためて見ると、積み上げられた本のなかには、酒に溺れたことで知られる詩人・チャールズ・ブコウスキーの本がありました。破天荒な生き方に対する憧れがありつつ、どこかまじめ。ムサシさんと話していると、そんな印象を受けます。

「マジお金のない日々を経験すると、そこそこ安定した暮らしができるっていうことが、すごい大事っていうか、かけがえのないことになるんです。破天荒なものに憧れる性分なんでしょうけど、その後受けた教育によって、それを防ぐ何かが作られた。(自分には)教育がうまく機能してるんだと思います」

大家のおばあさんに海苔をあげたら……昔話のようなできごと

台所の奥は、居間兼寝室の和室です。テレビにこたつ、机と椅子だけが置かれていました。夏には窓を開け、椅子に座ってぼーっとすることが多いそうですが、冬はもっぱらこたつが定位置。平日は敷きっぱなしにしている布団も、土日は押し入れに片づけています。

「この前、家の前で大家のおばあさんに会ったので、『こんにちは』って挨拶して。たまたま実家から届いた海苔があったから、あげたんです。そしたら『お返しがしたい』って。大家さんの家にいったら、お土産をたくさんくれて」

ムサシさんが「さすがに申し訳ない」と思って、再び海苔を持っていったところ……、

「そしたら大家さんは、『私にはもうあなたにあげられるものがないから、今度、うちに来たら、娘に料理をつくらせる』って(笑) 『また遊びに来ます』って、ごまかして帰ってきました」

「日本昔ばなし」のような出来事があったようです。実際のところ、結婚についてはどう考えているのでしょうか。「そりゃいい子がいたら、結婚していますよ。これまでの人生、『この子なら』と思うこともありました。ところが、なぜかダメになる。理由はわからないです」。

2019年は「年男」の36歳になるムサシさんですが、ひとりでいることに慣れてしまったのかもしれません。

ムサシさんにとって理想の暮らしとは? そう聞いてみると、「今の暮らしが、比較的理想の暮らしです。あとは、可愛い奥さんと猫がいたら、最高ですよね」との返事です。

「自分が納得できる生活ができればいいんです。その納得を、どう得るかという問題であって。お金で得たい人は金持ちを目指せばいいし、そうじゃないところで得たければ、そっちで得ればいい。僕は飯が食えて、暖かいところで寝られたら、それでそこそこ幸せ。お酒を飲めたら、幸福度がさらにあがるし、周りに友達もいたらもっとあがります」

一見なにもないようで、実は(結婚相手以外の)望むものがすべてそろったムサシさんの部屋でした。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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