乗降客数世界一の巨大ターミナル「新宿駅」 かつては町外れの小さな駅だった(知られざる鉄道史 1)
行き交う人々でひしめく駅構内。肩と肩がぶつかるほどの距離ですれ違う人々。ホームからあふれんばかりの乗降客。見渡す限り人、人、人。通勤時間帯の新宿駅ではおなじみの光景です。
JR、京王電鉄、小田急電鉄に加え、東京メトロ、都営地下鉄が乗り入れる新宿駅を利用する乗客は、一日平均350万人以上。2011年には「世界で最も忙しい駅(the world’s busiest station)」として、ギネス世界記録に認定されています。
そんな巨大ターミナルである新宿駅は、歴史をひもとくと、かつては町はずれに設けられた小さな駅でした。
「新宿」の名前の由来
「新宿」の名は、江戸元禄期に東海道の品川宿、中仙道の板橋宿、日光街道の千住宿に次いで、新たな宿場町として開かれたことに由来しています。
それまで甲州街道の最初の宿場町は高井戸で、他の街道と比べて遠かったことから、江戸と高井戸の中間地点に宿場が設けられることになりました。近くに徳川家康に仕えた武将内藤家の屋敷があったことから「内藤新宿」と呼ばれます。明治になって内藤家の屋敷跡地に開設されたのが新宿御苑です。
街はずれに置かれた新宿駅
1885年に山手線が開通すると新宿駅が設置されますが、駅は市街地を避けて町の西の外れに置かれたこともあり、雨の日には利用者がひとりもいないことさえあったそうです。新宿駅が世界一の大ターミナルへと第一歩を踏み出すのは、1889年に新宿・八王子間に中央線が開通して乗換駅になってからです。さらに1894年、新宿から現在の飯田橋付近にあった飯田町駅まで中央線が延びると、利用者が増えました。
それまでの鉄道は市街地を避けて都市の外縁を走っていましたが、中央線は江戸城の外側の堀である外濠(そとぼり)に沿って線路が敷かれています。江戸時代のインフラを活用することで、初めて都心に入り込むことに成功した路線でした。中央線の利用者はあっというまに10倍になり、新宿駅の利用者も1900年には1日平均2000人近くまで増えています。
かつてはいくつもの宿場町を経て一日がかりで歩いていた距離を、わずかな時間で結んでしまう鉄道は、人々の動きと都市の構造を根底から塗り替えていきました。
人の流れが作りあげた街と駅
大正時代に入ると、中野や新宿は郊外の住宅地として注目されるようになり、関東大震災を契機に市街地はさらに西へと広がりました。郊外に住んで都心に電車通勤するライフスタイルは新宿を起点に始まったのです。同時に多くの人が集まる駅周辺には飲食店、デパート、映画館などが建ち並び、山手線随一の盛り場へと発展を遂げました。
新宿駅の利用者は、1930年には12万人を超え、1960年には国鉄だけで65万人、私鉄や地下鉄も含めると120万人と文字通り桁違いに増えていきます。70年代に入ると西口の開発が本格化し、1980年には250万人に達しました。
人が集まることで町が誕生し、成長した町が更に人を呼ぶ。交通の要衝として栄えた新宿は、宿場町の時代からそうやって発展を続けてきました。そして南口へと拡大を続ける新宿駅。新宿の成長はまだまだ止まりそうにありません。