ミステリー小説の舞台になった「パラソル通り」(沖縄・東京二拠点日記 31)

作家のオーガニックゆうきさんをパラソル通りで撮影
作家のオーガニックゆうきさんをパラソル通りで撮影

5月15日 午前中、昨日作品を買った町田隼人さんがクルマで安里の我が家まで納品しに来てくれた。町田さんは仲村清司さんのことを知っていたので、寝ぼけ眼で起きてきた仲村さんに驚いていた。

町田さんのクルマに2人で乗っけてもらい、いつもの泊のヤマナカリーへ。鶏だし仕立て旨みチキンカレーとワイン煮ポークのちょっぴり梅とトマトのカレーのあいがけ。ここのカレーを食べることが那覇の楽しみの一つになっている。

夕方からは仲村さんと別行動。栄町の「ルフュージュ」でお笑い芸人事務所FEC社長の山城智二さんと合流。RBC(琉球放送)の報道制作局のえらいさん小濱裕さんも。やがてFEC所属の知念だしんいちろうもレギュラーのラジオ番組終わりで合流、くだらないバカ話で盛り上がる。

栄町にはそぐわない美女

小濱さんは帰ったけど、「トミヤランドリー」にでも寄っていこうと3人で歩きだすと、貼りだしてある従業員募集が20~88歳(たしか昔は70歳や80歳だった)までの「ホームバー雅代」の前を通り掛かり、とびきりの「若い美女」を発見。栄町にはそぐわない。

3人とも「雅代」とは逆方向に歩きながらもそわそわしだして、誰からともなく「やはりのぞいてみよう」と「雅代」へ向かった。

バー「雅代」のママ

アイドルのような美人が客のいないカウンターへ誘ってくれる。ぼくらと彼女の分と雅代ママの分ビール(1本1000円)、缶の野菜ジュース(これも1000円)を頼んであれやこれや話題を繰り出してみるが、若い美女と話がかみ合わない。

ぼくが山城さんのことを「この人、社長だよ」と紹介すると、「じゃあグランドピアノを買って」という会話以外、忘れてしまった。それより雅代ママの若いときの写真が壁に貼ってあり、そっちのエピソードのほうがおもしろかった。

すぐに「トミヤランドリー」で3人で飲み直した。

バー「雅代」のママの若い頃の写真

5月16日 夕方までオーガニックゆうきさんの『入れ子の水は月に轢かれ』を読み直して夕方になり、じゅんちゃんと待ち合わせて安里の「すみれ茶屋」に。

じゅんちゃんは同い年だが今年中におばあちゃんになる。客は他にいなかったから、主人の玉城さんと3人で飲んだ。

ドキュメンタリーのような推理小説

5月17日 昼過ぎにむつみ橋まで歩いて出かけた。中で冷たいコーヒーを飲んでいるとカメラマンのジャン松元さんがあらわれた。

琉球新報の月イチ連載「藤井誠二の沖縄ひと物語」の取材で、オーガックゆうきさんと待ち合わせ。オーガニックさんは1992年生まれの若い女性で、いま京都大学に籍を置いて8年になる。『入れ子の水は月に轢かれ』でアガサ・クリスティー賞を取った。

ぼくが知り合ったのは今年(2019年)開かれた沖縄書店大賞の受賞式だった。小説部門で準大賞になったのだ。同書は推理小説だが、ぼくにはドキュメンタリーのように読めた。というのは、待ち合わせの場所あたりが物語の舞台になっているからだ。

スタバから太平通りを目指そうとしたら、近くの骨董屋の主人とばったり。そこから平和通りを歩いてパラソル広場へ。

作家のオーガニックゆうきさんをパラソル通りで撮影

このあたりから沖映通りを通り見栄橋駅あたりまで、むかしはガーブ川という湿地帯で、人々は勝手に水上店舗といわれる商店を建てて商いを始めた。そのあとに川は暗渠になり、道になった。

牧志公設市場周辺のビルの2階に上がってみると、そのことを物語る案内図などが残されている。パラソル通り~パラソル広場は通りの中にあるちょっとした広場。

ベンチもあるあたりで撮影をしていると、オーガニックさんにひとりのおばあさんが「外人さんに撮影をしてもらっていいわねえ」と声をかけた。

ジャンさんは「また言われたよ」と笑っていたが、ジャン松元さんはそのむかし海兵隊に属していた白人将校が父親で、母親は奄美出身。奄美と沖縄で育ったダブルなのだ。

途中、「パラソルカフェ」というちいさなコーヒースタンドで一休みした。ここのオーナーもダブルで棚原進さん。棚原さんもジャンさんと呼ばれていて、ジャン松元さんに「同じ(ダブル)ですね」と声をかけた。

カフェパラソルのジャンさん

撮影中にパラソル広場に面してメキシコ雑貨の店「TOPE(トペ)」で、メキシコプロレス大好きオーナーの女性が刺繍を自分で縫いつけているTシャツを買った。

そのあと沖映通りにあるジュンク堂1階のカフェでオーガニックさんのインタビュー。途中で店長の森本浩平さんも混じってもらったのだが、ぼくはおカネを持っていないことに気づき、森本さんにカフェ代を払ってもらうという失態つき。

ちょうどジュンク堂の一角で沖縄の老舗古書店(出版も手がけている)「溶樹書林」がコーナーを出していて、オーナーの武石和美さんからいろいろレクチャーを受けた。

終わって「串豚」に行き、東京から来ているライターの朴順梨さんがボーダーインクの喜納えりかさんのクルマに乗ってきたので合流。喜納さんは子どもが待っているので帰った。あとで深谷慎平くんも合流してきた。

朴順梨さんと深谷慎平くん

沖縄で再会した面々

5月18日 昼に松尾まで歩いていって立憲民主党の沖縄県連のセミナー(計3回)で講演。ぼくの前は文学者と政治学者。

参議院議員の有田芳生さんは、彼がオウム真理教など日本社会に巣くうカルト教団を取材しているジャーナリストだったころから付き合いがあるけど、国政に転じてからは、やはりヘイトの規制法をつくったことが最大の功績だと思う。まだヘイト行為や人に刑事罰はないが第一歩だ。

私も刑事罰を設けるべきだと思ってきたし、訴えてきた。その有田さんが今は同党の沖縄県連幹事長なのだ。

今回のセミナーは、小俣一平さんが比例区で立候補するために開かれた。小俣さんは長年NHKで優れたドキュメンタリーをつくってこられたのだが、坂上遼というペンネームで『ロッキード秘録』や『無念は力』、『消えた警官』などを書いたノンフィクションの大先輩という印象が強い。

二木啓孝さんも東京から駆けつけた。二木さんは小俣さんを「イッペイちゃん」と呼ぶ古い付き合いの仲だ。ぼくが前にTBSラジオで「バトルトーク・アクセス」という番組で6年間パーソナリティをしていた時期に、二木さん(当時は日刊ゲンダイ編集長)も違う曜日でパーソナリティを担当していた。

それ以外にもテレビやBS放送~今、二木さんはBS11を経営している~でごいっしょしてきた。政治記者歴の長い先達である。

会場には沖縄に移住している深谷慎平くんも来たが、彼は移住までTBSラジオで「バトルトーク・アクセス」で二木さんを担当していたので、ふたりは久々の再会と相成った。

(右から)二木さん、有田さん、小俣さんと竜宮通りの「小桜」にて

竜宮通りの名店「小桜」で打ち上げをやり、三原の「バクダッドカフェ」というバーに移動して~つい最近まで「母子家庭」という名の沖縄好きには有名な古いスナックだった~最後は深谷くんと栄町「琉家」でラーメンを2人で食べて帰った。

今回は慌ただしい日々を過ごして、1人でいる時間がほとんどなかった気がする。

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