住宅に最低限必要なものとは? 家を「買うか」、「借りるか」の境界線を探る

「賃貸vs購入」は住宅における永遠のテーマ(イラスト・古本有美)
「賃貸vs購入」は住宅における永遠のテーマ(イラスト・古本有美)

建築の世界には、「最小限住宅」という系譜があります。古くは1950年代に建築家の増沢洵(ますざわ まこと)という人が、「吹抜けのある家-最小限住居」と名付けた狭小の自邸を建て、それを原型とした「9坪ハウス」と呼ばれる最小限住宅が、現代の建築家・デザイナーたちによってつくられました。

また、増沢と同時代の建築家である池辺陽(いけべ きよし)という人も、「立体最小限住宅」という建築シリーズを生涯にわたってつくり続けました。

建築家のル・コルビュジエも、「カップ・マルタンの休暇小屋」という、きわめて小さな住宅をつくっています。以前、森美術館で行われた「ル・コルビュジエ展」でこの小屋が再現され、私も中に入ってみたことがあるのですが、本当に最低限のものだけが揃えられた、こぢんまりとした部屋でした。

住宅に最低限必要なものとは何か

生活するにあたって最小限の機能を備えた小さな住宅。こうした最小限住宅について思いをはせるにつけ、家には何が必要なのか、いやむしろ、何があれば家と呼べるのかという問いが脳裏をかすめます。

洞窟や巣のように、雨風をしのげるのが最低限の住宅機能だという考え方もあるでしょう。「くうねるところ、すむところ」という言葉もあるように、食事と睡眠という機能が必要だと考える人もいるでしょう。

さらに進んで、各機能を外に求めた生活を想定してみると、家に残されるものは一体何なのか。食事は外で食べればいい、お風呂やベッドはホテルがある……となると住宅に残されるものは何なのでしょうか。

それを、ある建築家は「団らん」だと言いました。団らんが住宅に唯一残された機能であると。

確かにそれも一理あると思います。では、ひとりの者にとって、あるいはひとりを愛する者にとって、住宅に残されるものとは何なのでしょうか。

寅さんのトランク

そう考えたとき私の頭に浮かぶのは、家ではなく、映画『男はつらいよ』の寅さんこと車寅次郎がいつも持ち歩いているトランクなのです。所帯を持たず、街から街へと風のように旅をする寅さんは、どこへ行くにも大きなトランクを持ち歩いています。

行く先々でテキ屋の仕事をしつつ、飛び込みの宿に泊まったり、時にはさびれた駅舎で一晩過ごしたりすることもあります。どこへ行くにしても、あの大きなトランクさえあれば、そこが寅さんの生活の拠点になるわけです。

あのトランクに何が入っているのかずっと気になっていましたが、葛飾・柴又にある「寅さん記念館」で謎が解けました。そこには、着替え(シャツ、ふんどし)、トイレットペーパー、マッチ、蚊取り線香、洗面具、目覚まし時計、はさみ、団扇(うちわ)、暦(こよみ)、富山の薬、手ぬぐい、ボールペンや手紙などが入っていました。

そのトランクを見たとき、私はこれさえあればどこへでも行って暮らせるのだなと少しうらやましくなりました。このトランクが、寅さんにとって住処の役割を担っているわけです。

宵越しの物は持たない

そういえば、江戸時代の町人はほとんど物を持たずに長屋で暮らしていたと聞きます。江戸は火事が多く、すぐに家が燃えたり壊されたりしたことも関係しているらしいのですが、そもそも土地を所有することが許されず、ほとんどの人が賃貸だったこともあるのでしょう。

4畳半程度の空間に、多少の服と釜など最低限の物しか持たなかったため、機動性が高くすぐに引っ越しできたそうです。

日本はいつしか土地信仰(バブル崩壊後、揺らいではいますが)や家を持つことが1つの価値観となり、私のような住宅メディアの人間もその思想に多少なりとも加担してしまっているわけですが、本当に住宅に求めるものは何なのか、最低限必要なものは何なのかを問い直してみるのも、たまにはいいのかもしれません。

買うか借りるか、それが問題だ

このことは「賃貸vs住宅購入」という、住宅における永遠のテーマにも関係してきます。

私自身、このテーマに関する記事を、過去に何度もつくっています。家賃や更新料を払い続けるか、住宅ローンや固定資産税を払うかといった生涯コストによる比較に加え、資産価値や住み心地、いざとなったときの流動性など、いくつかの視点から両者を比較・検証するわけですが、身も蓋もない結論を言ってしまうと、どっちもどっち、一長一短です。どちらを選ぶべきかは、結局はその人が何を重視するかによります。

芭蕉のように旅を住処とする人にとっては、寅さんのトランクよろしく、スーツケースが最小限住宅といえるのかもしれません。この場合、ハコとしての住まいはなるべく軽く、取り替え可能にしておくのがよいのでしょう。

一方で、家を所有した方がよい人とはどのような人なのでしょうか?

もちろん様々な条件が複雑に絡み合いますが、私はここであえてモノとしての住宅という観点を提示したいと思います。

住宅とは、生活のための機能を備えたハコですが、それ自体がモノとしての手触りや実体を伴う存在です。そこに価値を感じ、長く愛でることができる人にとっては、家を買うという選択肢もありなのではないかと考えます。

あえてたとえるなら、音楽をダウンロードして聴ければいいじゃないという人と、聴くだけじゃなく、レコードやCDとして持っておきたい人との違いとでも言えばいいでしょうか。

日々の生活を支える機能としての住宅、あるいは資産価値としての住宅という観点はもちろん重要なのですが、「モノ」としての住宅という視点は、もっと意識されてもよいのではないかと感じています。

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松本宰 (まつもと・おさむ)

編集者。住まいのマッチングサイト「SUVACO(スバコ)」とリノベーション専門サイト「リノベりす」の編集長。住宅に限らず、己が心地良い居場所を探し求めてさまよう日々。好きなものはお酒と生肉とラーメン。

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