自動運転は普及しないか? 「自動運転の幻想」著者・上岡直見氏に聞く

自動運転について語る上岡直見さん(撮影・猪俣千恵)
自動運転について語る上岡直見さん(撮影・猪俣千恵)

高齢者の運転による痛ましい死亡事故などをきっかけに、人が車を運転しないでも走行する「自動運転」が注目されています。AIの進化に伴って開発が進み、各自動車メーカーやグーグルなどが、開発競争を繰り広げています。普及すれば画期的な技術革命ですが、技術的な問題や、事故が起きた際の責任問題など、課題も多いようです。詳しい識者の方々にお話をうかがいいました。

30年以上にわたって交通関係の研究を続け、2019年6月に「自動運転の幻想」を出版した環境経済研究所代表の上岡直見さんは、自動運転は普及しないと考えています。完全自動化を目指せば、その導入過程で交通の混乱や事故、トラブルが続発し、膨大な投資が逆効果になると指摘します。一方、物流など限定的に活用すれば利点はあるといいます。

かすれた標示や落下物、AIでは認識困難の可能性

かすれた道路標示をAIは認識できるだろうか(上岡さん提供)

――自動運転は普及しないと考えられているそうですね。

まず、技術の問題があります。人間が容易に認識できる歩行者の動きや、かすれた道路標示、路上の落下物などをセンサーやAIが人間と同じ理解で見分けることは困難です。高速道路でさえ、車間距離と車線のキープは出来ても、他路線との合流部分の運転は今でもできません。

障害物が少ない高速で自動運転が実現したとしても、高速だけを利用するドライバーはいません。実際に利用されている車の9割近くは一般道を走っています。高速より格段に実現が難しい一般道で使えないなら、メリットはありません。

また、公道を走る自動車を一斉に自動運転車に置き換えることも不可能です。車の買い替えのことを考えると、自動運転車しか購入してはいけないと規制されたとしても、10年以上かかります。自動運転と人による運転の混在の期間に、新たなトラブルが増えるでしょう。

例えば「流れに乗る」運転が重要なことは運転をしている人なら分かるはずです。そうしたなか、自動運転車だけが制限速度で走っていれば、混乱を招きます。では、自動運転車は制限速度を超えてもいいのか。この問いについては、誰も回答できません。

事故の責任は誰が負う? 法整備も課題

自動運転について語る上岡直見さん(撮影・猪俣千恵)

――電子機器やAIの性能が飛躍的に向上するのでは。

電子機器やAIが高レベルなものになったとしても自動運転は実現しないでしょう。それはロジックの壁があるからです。

例えば、子供の急な飛び出しを避けるため、他の障害物と衝突して回避する道を選ぶのか、乗車側の命と車外の命のどちらを優先するのか。最善な操作のロジックを整理できません。また、AIが自ら学習していく「ディープラーニング」が進めば、AIの判断過程を人間は解明できなくなります。いわゆる「ブラックボックス問題」です。

事故の責任が、ドライバーなのか、自動車メーカーなのか、AIを作った会社なのか、分からなくなる。さらに、法的な整備も出来ていません。重大事故になればなるほど、皆が自分のせいではないと主張するでしょう。

また、自動運転レベルが格段に上がったとしても、自動運転から手動運転に交代をする場面が必ずあります。ドライバーの意識が運転から遠ざかっている時、急に交代を求められて瞬時に対応するのは不可能ではないでしょうか。

――高齢者ドライバーによる痛ましい事故が相次いでいます。自動運転でこうした交通事故を減らすことができるのでは。

自動運転の最大の目的は交通事故の防止ですが、人為的なミスを無くせば事故が起きないという関係はありません。自動車は1トンの鉄の塊が時速100キロで走るという物理的なエネルギーを持っています。AIが瞬時に危険を認識したとしても、瞬時に車を止めることは出来ません。自動運転よりよほど簡単な、30キロまでしかスピードが出ない車、ブレーキとアクセルを踏み間違えない車、急発進を防ぐ車は何十年も前から提案されていますが、すぐ実現できるのにやりません。売れないからかもしれませんね。

――市街地ではなく、過疎地での無人運転への可能性についてはいかがでしょうか。

主に高齢者の利用が想定されるだけに、走行ルートや時間帯などに多くの制約がつくと思います。決まったルートを行くなら、バスなどの既存の公共交通機関の利用でいいのではないでしょうか。高齢者が乗った自動運転車が何らかの原因で止まった場合、結局人が対応しなければならないのです。遠隔的に監視するとしても、遠距離では対応が不可能です。完全な無人化はできません。

物流部門ならば検討の価値

自動運転について語る上岡直見さん(撮影・猪俣千恵)

――夢のような技術ではなく、現実的な部分だけに取り入れればよいということでしょうか。

研究者が内心では難しいと思っていても、補助金目当てにその分野の研究を進めることがあります。工業技術の分野は、細分化、専門化していて、センサーの研究者はセンサーの技術を深めることだけに注力し、どのように使われるかには関与しない。それぞれの技術が想定外の組み合わせや使われ方をされ、考えもしなかったトラブルが起こるというのが複雑化した現代の問題です。

自分の好きな時間に好きなところに行けるということは、とても重要なことです。しかし、その前提は自動車であるという短絡的な発想ではなく、徒歩や自転車で安心して移動できる街づくりなど、移動の自由を実現するにはどうしたらいいのかを考えた方がいいと思います。もう少し冷静に落ち着いて議論していくべきではないでしょうか。

上岡さんが2019年6月に出版した「自動運転の幻想」

――著書では、自動運転の可能性があるとすれば、物流部門だと指摘されています。

物流の自動運転化は、ドライバーの過酷な労働環境の改善などの利点があります。高速だけになりますが、先頭車にのみドライバーが乗って、無人の数台を連ねて走らせるトラック隊列走行などはすでに実用段階です。専用車線を作ったり、隊列の集合・解散のためのスペースを作ったり、ターミナル到着後の運用の課題はあるので一足飛びに人手不足解消にはなりませんが、検討する価値はあるでしょう。

街中の宅配も低速に限りますが、無人化できるかもしれません。もちろん、配送車が停止するスペースや、他の車と混在するのでどの道を使うのかなど、整理しなければならない課題は残ります。ですが、実現すればメリットはあります。

プロフィール
上岡直見(かみおか・なおみ)
1953年東京都生まれ。環境経済研究所代表。技術士(化学部門)。法政大学非常勤講師。早稲田大学大学院修士課程修了。77~2000年に化学プラントの設計・安全性評価に従事。交通問題、環境問題に一貫して取り組む。著書に「自動運転の幻想」(緑風出版)のほか「高速無料化が日本を壊す」「鉄道は誰のものか」など

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