オリーブオイルに賭けた男の「一点突破人生」(50代からの独身日記 10)

澳敬夫氏。オリーブガーデンの入口にある自宅兼ゲストハウスの玄関前にて
澳敬夫氏。オリーブガーデンの入口にある自宅兼ゲストハウスの玄関前にて

自分にとって旅はとても大切な人生の一部。最近は名所旧跡見物やグルメ、エンタメ、温泉旅行といった従来型旅行から少し変わってきました。

それは「なにかに没頭するためにひとりで出かける滞在旅行」。単なる体験ではなく、そこにいる人や地域に短期間でも濃密に浸りきる、そんな旅です。今回はそんな旅で出会った高松にあるオリーブガーデンを経営する男を紹介させてください。

高松のオリーブガーデン

きっかけは、高松でオリーブオイルを作るひとりの男がいると知ったこと。その「オキ・オリーブオイル」は、食の世界に20年いる私が感じた、最も高品質なオリーブオイル。世界一と言ってもいいのではないか、とさえ思えます。香りと味わいを一度感じてしまうと、ローランド様ではありませんが「オキ・オリーブオイルか、それ以外か」。

なぜそこまで言い切れるか。いくつか理由があります。まずは青い果実だけを採るということ。そして収穫後4時間以内に搾油するということです。こうした生産方法をとっているメーカーは他にはほとんどないのです。

その男、たったひとりで1500本もの木を植えたというではありませんか。おまけにオリーブオイルの値段が100ミリリットルで7020円という、ぶっとび価格。

オリーブオイル・メーカーの名は澳敬夫(おき・たかお、以下オキ)。私はすぐに彼に会いに行ったのでした。2018年の秋のことです。

エリート証券マンが敢えて選んだ苦難の道

オキ氏は慶應義塾大学経済学部を卒業し、野村証券に入社。2013年に高松支店の法人課長という要職に就きます。年収はおよそ2000万円ありました。

当時は地方の産業活性化のために金融機関が地元の産業に投資し、事業のスタートアップを支援するという仕組みが機能し始めた時期。オキ氏は地元の産業を盛り上げるために奔走します。しかし、事業化が具体的に固まったところで、プロジェクトは暗礁に乗り上げてしまいました。

深く悩んだ末、オキ氏は自らその事業を引き継ぎ、起業することを決心しました。理由は「可能性とロマン」。とはいえ、言葉を変えると「博打」以外のなにものでもありません。

ミッション種という喉を抜ける清々しい苦味が特徴の品種を栽培しています

当然、家族は猛反対。さらに、その時期に合わせたかのように異動の辞令が下ります。赴任先は、なんと新潟という高松とは正反対の雪国ではないですか。

辞令を受けた彼はいったん新潟に移住し、ひとり居を構えます。が、すぐに高松に戻ります。彼が選んだのは、会社でもなく家族でもなく、可能性とロマンでした。

オキ氏は今、家族と離別し、ひとりで黙々と樹と向き合っています。年収2000万円は10分の1になったどころか、全財産をオリーブの樹に突っ込みました。

オキ氏の境遇は、3年前に家、家族、仕事、お金などすべてを失った自分と重なります。まるで生き別れになった兄弟に再会したかのような気さえします。

オリーブガーデンカフェからの風景。ここでのんびり1日過ごすゲストも
看板を製作するフランス人アーティスト、エルメ。彼もふらりとオリーブガーデンにたどり着き、長期滞在をしながらボランティアで様々な仕事をこなしました

ひととおりオリーブの樹を植え終わった後、オキ氏はオリーブガーデンの入口の納屋や、離れのある大きな古民家を借りて、そこをゲストハウスに改造することにしました。

長期にわたりボランティアをしてくれたフランス人のテオ氏と。映画監督を目指して世界中を旅しているという

ここにたどり着くまでの困難な道のりと、いま抱えている苦悩に、彼はどう向かい合っているのか。そこには壮絶な「現場」があったのです。

「世の中なんとかなる」と思っていると、なんとかなる

幼いころ誰もが持っていた「希望」はいつしかぼんやりと曖昧になってきている気がしませんか? オキ氏を見ていると、すっからかんになっても一心不乱にひとつのことに突き進む姿勢に、うらやましさを感じてしまいます。

オリーブオイルに賭けた男の一点突破人生。これからが楽しみです。

「命取られるわけじゃないし、世の中なんとかなるもんだよね」

そう言いながら、オキ氏はすでに今年の収穫の話を始めていました。

コロナ禍で共生するワーケーションを(2021年12月追記)

上記の記事を書いてから約2年後。社会は長引くコロナ禍に見舞われていました。

そんな中、オキ氏が立てた戦略は、都会に住む人々を対象にした「ワーケーション」需要の開拓です。オキ氏のオリーブガーデンで過ごしながらリモートワークをする生活を提案したのです。

高松で共同生活をしながら、早朝はオリーブガーデンの草刈りなどで新鮮な空気を吸う。ひと汗かいた後の朝食は、搾りたてのオリーブオイルをかけた、極上の卵かけご飯。午前中は自分の仕事に集中。そして、ガーデンで昼食を取った後は、シエスタでリフレッシュをはかります。

その後、カフェの片づけや清掃などをこなして、夕方からまた自分の仕事に向かう。それが終われば、仲間と温泉に入ったり、ダイニングで飲みながら会話したりして楽しめます。

写真は、ワーケーション需要に応えるために特注で作ってもらったテーブル。一緒にセットされているのは、世界的な家具デザイナー、ジョージ・ナカシマのコノイドチェアです。こんな部屋なら、仕事も捗ること間違いないでしょう。

料理は、自家農園で搾汁したオリーブオイルを使い、オーナー自らが腕を振るいます。リラクゼーションのための露天風呂も見逃せません。

天気がいい日には、風が抜ける丘の上で仕事をしてもいいでしょう。新しい発想は、こういう環境から生まれるのかもしれません。

オリーブガーデンの奥には、鉄を使った調理用具を製作する工房が新たに建てられました。ここで生活しながら、自分の仕事をする人も出てきました。

今の時代、人それぞれの自然体の生活と仕事が求められています。これまでの生活様式からあえて離れて、自分なりの時間や仕事を見つけるために、オキ氏のオリーブガーデンは最良の場所だと言えるでしょう。

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嶋啓祐 (しま・けいすけ)

地方創生という大きなテーマの中にある「食」をテーマにした「地域起こし」に従事。北海道生まれではあるが、島根県に異常に詳しい。ミョウガやネギ、クレソンといった癖のある野菜を好む。古事記に出てくる舞台をすべて巡り、10年前から御朱印を収集。コンビニの便利さが嫌いで、近寄らない。蒲田に引っ越し、酒場巡りの毎日を過ごす。

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