「太宰さんは綺麗な指だったの」 90歳ママの「文壇バー」57年の歴史に幕

「太宰さんはサービス精神が旺盛でひょうきんな人。いつも相手を楽しませようと、もてなすのよ」

今年没後70年を迎えた作家・太宰治との思い出を語るのは、東京・新宿のバー「風紋」を営む林聖子さん(90)。母親が太宰と親交があった縁で、当時10代だった聖子さん自身も交流があり、太宰の短編小説『メリイクリスマス』のモデルにもなりました。

そんな経緯もあって、風紋は作家や編集者などが飲みに来る「文壇バー」として賑わいました。聖子さんは57年間営業を続けていましたが、今年6月末に店を閉じることになりました。閉店を惜しむ客が集まる風紋を訪ね、太宰との関わりや店の思い出について聞かせてもらいました。

「太宰さんに声をかけられて嬉しかった」

小説『メリイクリスマス』は、主人公の男性(30代後半)が若い女性と本屋で偶然再会するシーンから始まります。その元になったのは、太宰が聖子さんと出くわしたエピソードでした。

文壇バー「風紋」を57年間営んできた林聖子さん

「本屋で太宰さんを見かけたの。でも久しぶりだったから、私のことわからないかと思ってね、声はかけなかったの。そしたら向こうから『聖子ちゃん?』って聞いてくれた。嬉しかったですよ」

太宰の思い出について、特に印象に残っているのは「指」だそうです。

「すーっと長い関節でね、綺麗な指だったの。それでタバコを吸うのよね」。やっぱり手の綺麗な男性には魅力を感じますか? 聖子さんにたずねてみると「手が綺麗なら誰でもいいわけじゃないわ」という答えが返ってきました。

多くの文人に愛された「風紋」

聖子さんは、新潮社などで編集者として働いた後、劇団員を経て、1961年に「風紋」を開業しました。当時、33歳。「食べていくために、店を開いたの」と語ります。

店名の「風紋」とは、砂丘などの砂地に風によってできる模様のこと。当時、千葉県の御宿に住んでいて、近くの海岸でよく目にしたといいます。「朝に砂が波のような形になって、綺麗に出るのよ。『風紋』って言葉は(砂丘のある)鳥取の人が教えてくれたの」

店には檀一雄や中上健次など数多くの名だたる文学者が通いました。いまでも、出版や新聞などマスコミ業界のお客さんが多いといいます。

この日は、かつて新聞社で働いていたという男性が、風紋を取材して書いた記事を聖子さんにプレゼントする場面もありました。綺麗な額縁におさめられた新聞記事を見ながら、聖子さんは「こんなに立派にしてくださって」と感激していました。

個人で出版社を営む山本和之さん(39)は、太宰治に関する卒論を書いていた学生時代から風紋を訪れている常連客。お酒の飲めない体質であるにもかかわらず、風紋に魅せられて17年間通い続けました。2012年には聖子さんの人生を聞き書きした『風紋五十年』を出版しています。「寂しいですね。今の僕の仕事はほとんどここで知り合った方のご縁なんです」

この日は太宰をしのぶ「桜桃忌」の前日ということもあり、夜がふけるにつれお客さんが増え、カウンターもテーブルも席が埋まるほどに。風紋に30年近く通っている常連さんから、京都から来たという太宰ファンの若い女性まで、様々な人たちが聖子さんを囲みました。

「あら、伝票が見つからないわ」と聖子さんが漏らすと「じゃ、自己申告で自分で書きますよ」と常連さん。聖子さんが慌ただしくしているときには、お客さんが代わりにウイスキーの水割りをつくる姿も。「昔からこうしていたら、楽だったわね」と聖子さんは微笑んでいました。

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