ドッグレースが消えた日……巨大カジノ進出によるマカオの光と影

そびえ立つ巨大IR(photo by Mars Matsui)
そびえ立つ巨大IR(photo by Mars Matsui)

これまでカジノにまつわる話をしてきたが、ここで一度「締め」としてIR(統合型リゾート=とりわけ大きなカジノリゾート)が作られることによる「光と影」について書いておきたい。

カジノは人々に楽しみを与え、税収を増やすなどプラスの要素もあるが、そこに隠れた影もある。その実態を見る上で参考になるのがマカオである。大きなIRが矢継ぎ早に導入されたことで、マカオには想定されなかった変化が起きたからだ。

IRができる前から、マカオにはカジノをはじめとする在来のギャンブルがあった。それらギャンブル産業は「マカオのカジノ王」ことスタンレー・ホー氏により、長い間独占的に経営されていた。

ドッグレース場にあったスタンレー・ホー氏(右)の写真(photo by Mars Matsui)

ぼくはマカオに1990年代から行き続けているが、あの頃のカジノは「博奕(ばくち)」そのもので、バカラではテーブルを何重にも取り囲んだお客さんが怒鳴り声をあげながら賭けていた。

カジノ・リスボア。当時アジア最大のカジノだった(photo by Mars Matsui)

マカオ半島にあるカジノ・リスボアには、日夜ギャンブラーが集っていた。言葉は悪いがエンタメもクソもない絵に描いたような鉄火場で、ちょっと触れただけでも大やけどしてしまいそうなほどの殺気がみなぎっていた。

日本では、カジノのことを一口に「社交」の場と言う人がいるが、それはあくまでヨーロッパの話。マカオにあるのは「社交」ではなく「射幸」だった。

カジノホテルのロビーは売春婦が闊歩し、彼女ら目当ての男たちが大勢やって来ていた。余談だが、このカジノでは北朝鮮の金正男氏の姿もたびたび目撃されていた。

ロビーを歩き回る売春婦(photo by Mars Matsui)

変化が起きたきっかけは、マカオが中国に返還されるのに伴い、カジノの経営権が外資に開放されたことだ。アメリカ系や香港系などの外資企業にライセンスが与えられ、スタンレー・ホー氏の独占だったカジノの勢力図に変化が起きたのだ。

2002年以降、外資企業は見たこともないような巨大カジノを次々と建設した。

レンズに収まらないほど巨大な金沙娯楽場(サンズ)(photo by Mars Matsui)

1990年代の終わりにマカオを訪れた時、よく来るからと、地元の人からコンドミニアムを300万円で買わないかと持ちかけられた。当時マカオの物価は大変安く、100円もあればラーメンを食べておつりが来たほどだ。コンドミニアムが300万円というのももちろん格安だが、遊びに来る時はホテルでいいと思い。ぼくはその話を断った。

ところがその判断は大間違いだった。

巨大IRが進出しはじめると不動産価格は急騰し、300万円といわれた部屋は2009年になんと3000万円を超えてしまったのだ。たった7年の間である。その間ぼくは毎年マカオでカジノをしていたが、そんなものをやらずにコンドミニアムを買っていれば楽に10倍にできたのだ。

はっきり言って、カジノなんかしている場合ではなかったのだ。ぼくはやるべきギャンブルを間違えていたのだ。ぼくは自分の博才の無さを嘆いたが、その時買っていたとしてもまだ間に合った。なぜならその後も不動産価格は上がり続け、2015年には2002年の20倍となったからだ。

マカオの不動産価格が上がったのは、IR進出による値上がりを見込んだ中国人富裕層らが投資目的で買い漁ったからだが、異常過ぎる値上がりによって、それまで暮らしていた家からマカオ人の住民が追い出され、住み処を失う事態にまで発展した。

給料も上昇したが物価の上昇には追いつかず、住民の生活は苦しくなった。

巨大IRが増加するにつれ、街は観光客でみるみるあふれかえった。カジノ目的のギャンブラーが増えたのはもちろんだが、IRは観光客そのものを爆発的に増やしたのだ。

次に掲載した2枚の写真を見ていただきたい。上が2003年、下が2012年だ。まるで同じ街とは思えないほどの変貌ぶりだ。

2003年の通り(photo by Mars Matsui)
2012年の通り(photo by Mars Matsui)

巨大IRの建設ラッシュで労働人口も急増し、地元の人が公共交通機関を利用できないほどになった。バスがやって来ても満員で乗れず、また次のバスを待たなければならなくなった。

バスに殺到する人々(photo by Mars Matsui)
混雑する車内(photo by Mars Matsui)

巨大IRの進出は税収を増やすなどメリットも生むが、少なくともマカオでは社会がついていけないほど極端な変化を起こした。

でもなぜこんなに極端なことが起きたのか?

日本のIRは「世界最後発」のメリットを生かして

マカオは中国政府の強い影響下にあるため、その意向で変化のベクトルが一方向に限定されがちだ。マカオで起きた住民の暮らしが成り立たなくなるほどの変化は、バランスを欠いた急激な開発がその一因と言える。

バランスを欠いた開発により、予想外の変化が起きたのは住民の生活だけではなかった。外資カジノと地元のギャンブルとの間で「顧客の奪い合い」が起きたのだ。

マカオには「ドッグレース」があった。「あった」と過去形で書いたのは、すでに廃止されてしまったからだ。廃止の理由は巨大カジノに顧客を奪われたことだ。

往年のドッグレース(photo by Mars Matsui)

ドッグレースは比較的お金もかからず、庶民が遊べる素朴なギャンブルとして愛されていた。会場はまるでG1レース当日の東京競馬場のようにお客さんで一杯で、小遣いを握りしめた人がお祭りのように楽しんでいた。

ぎっしりのお客さん(photo by Mars Matsui)
身を乗り出してドッグレースを楽しむ人たち(photo by Mars Matsui)

ドッグレースが人々に愛されていたというと、あたかも取って付けたかのように聞こえるかもしれないが、実際にそうだった。

屋台が人気だった(photo by Mars Matsui)

レースの行われる日にはレース場のまわりに屋台が建ち並び、縁日のように賑わっていた。人々はお酒を飲み、串焼きを食べながら話に花を咲かせた。ドッグレース場の明かりで将棋を指す人もいた。ドッグレースは単なるギャンブルではなく、人々の憩いの場として本当に愛されていたのだ。

ドッグレース場の明かりで将棋を指す人たち(photo by Mars Matsui)

ところが外資系巨大IRが続々進出したことでその様子は一変した。お客さんがカジノに奪われ、10年が経つ頃にはドッグレースはガラガラになった。

下記は2015年の場内である。

ポツリとしかいなくなったお客さん(photo by Mars Matsui)

やがてお客さんの数は走る犬の数より少なくなった。

ぼくもドッグレースが好きだった。地元の人とここで知り合い、レースを当ててビールを奢りあったことを思い出すと、廃れていくのが寂しかった。

どんなにお客さんがいなくても、ぼくはマカオを訪れた時には必ずドッグレース場に来るようにしていたが、最後の頃になるとぼくを含めて3人しかいない日もあった。

ほとんど誰もいなくなったドッグレース場(photo by Mars Matsui)

そして2018年の夏、マカオのドッグレースは廃止された。レースに出ていた犬たちも、走る目的にのみ飼育されていたため、引き取り手がうまく見つからなかったと聞く。

ビジネスは弱肉強食の世界である。むろんギャンブルも例外ではないが、あれほど人気があったドッグレースがあっという間に廃止となったことを見ても、巨大なIRの影響力がいかにすさまじいかが理解できる。

日本にIRができることはすでに決定し、「世界最後発」での導入となる。そうであるなら最後発のメリットを生かすべきだ。それは他国で起きた失敗を「反面教師」とすることだ。

社会とのバランスを慎重に見極め、反作用の少ないやり方で進めることを日本政府に切に願って、今回のレポートの一応の締めとしたい。

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松井政就 (まつい・まさなり)

作家。1966年生まれ。著書に『本物のカジノへ行こう!』(文春新書)『大事なことはみんな女が教えてくれた』(PHP文庫)ほか。ラブレター代筆、ソニーのプランナー、貴重品専門の配送、ネットニュース編集、フィギュアスケート記者、国会議員のスピーチライターなどの経歴あり。外国のカジノ巡りは25年を超え、合法化言い出しっぺの一人。夕刊フジでコラム連載中。

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