あえてひとりで挑戦したい、銀座・天龍の巨大餃子

(イラスト・古本有美)

ひとりで食べたり飲んだりするのは楽しい。もちろん誰かといっしょも楽しいが、ひとりにはひとりの楽しみがある。自分のペースで自分の好きなものだけを楽しむことができるのは、ひとりならではの快楽である。

ただ、このひとり飲食にも難点はある。それは、食べられる量の上限にすぐたどり着いてしまうことだ。

歳をとるにつれ、この制限がますます我が身に重くのしかかっており、一度に食べられる量が昔に比べてあきらかに減っている。そのくせ体重は一向に減らないのだから実にやっかいだ。

ひとりで飲む時は、1、2品頼んだだけでお腹がいっぱいになってしまう。あまり食べるとお酒が飲めなくなるから、食べ物の注文はそこそこになる。それだけに何を頼むかが極めて重大だ。本当はいろいろ頼みたいのだが、残すわけにもいかない。

その点、焼き鳥はいい。特に串1本から頼めるお店は、たくさんの種類を楽しむことができるので実にありがたい。近年、ひとり飲みにおける焼き鳥率が上がっているのも、こうしたところに要因があるみたいだ。

その真逆に位置するのが中華料理だ。たいていの中華店は量が多い。1皿で3人分くらいのこともある。中華は大好きなのだが、量の問題で、ひとりだとなかなか足を運べなくなっている。

とにかくどデカい餃子にひとりで立ち向かう

しかし、あえてひとりで訪れたい中華のお店もある。その1つが、銀座に本店を持つ天龍だ。頼むのはいつも決まって餃子。ここの巨大餃子にひとりで挑むのが、自分にとっての楽しみとなっている。

わりと有名なお店で、銀座以外にも店舗があるので、ご存じの方も多いかもしれない。ここの餃子はとにかくでかい。なぜかわからないが、やたらとでかい。

お店の看板には11cmと書いてあったが、先日測ってみたところ12〜13cmの長さがあった。おそらく、体積でいうと普通の餃子の3〜4倍くらいの量はあるのではないだろうか。

餃子1皿を頼むと、この巨大餃子が8個やってくる。これにライスを注文し、ひとりで黙々と挑む。

非常においしい餃子なので、幸福な気持ちで食べ始めるのだが、4個目あたりから徐々に満腹感に包み込まれ、6個目あたりで限界がみえてくる。そこをなんとか乗り越えて8個全部を食べ尽くした時に、ほんのりとした勝利の気分に浸れるのだ。

本来なら、2人か3人くらいでシェアするのがちょうど良い量だと思うが、あえてひとりで挑戦するところに苦しさと楽しさがあって、やめられない。ラーメン二郎に挑む気持ちに似ている。

丸の内系オフィスレディーとの一方通行的な連帯

天龍といえば、忘れられない記憶がある。15年ほど前、銀座一丁目にある本店へ行った時のことだ。

お昼のピークを少し過ぎた時間帯。客は比較的まばらで、2階の大きな円卓に案内された。真夏ではなかったはずだが、その日は汗ばむ陽気で、クーラーのない店内では壁付けの扇風機がいくつか回っていた。

いつものように餃子とライスを頼んで待っていると、同じテーブルに若い女性が案内された。20代後半くらいの、丸の内にでもいそうなこざっぱりした服装のワーキングウーマンだった。注文を聞かれると、彼女は餃子とライスを注文した。

私は思わず彼女の顔を見上げた。果たして彼女は、ここの餃子のでかさを知っているのだろうか。もし知らないとしたら、あの巨大餃子8個はとても食べられないのではないか。私は勝手にドキドキしてきた。

注文の品がテーブルに置かれた時も、私は彼女の表情をつい盗み見てしまった。だが彼女は平然とした面持ちで、皿に盛られた巨大餃子の山を見ていた。私はほっとした。少なくとも、餃子の山に驚いてはいない。もとから知っていて頼んだようだ。

わかりづらいかもしれないが、大きさの比較のため名刺入れを置いてみた

私はいつものように餃子を食べ始めた。暑苦しい店内に、扇風機の風は心もとなさすぎた。徐々に汗だくになりながら、満腹感と戦った。6個目あたりで相当苦しくなった。彼女もどこか苦しそうに見える。

ここで負けてはいけない。汗を拭き、水を飲みながら、1つ、また1つと巨大餃子を口に運ぶ。彼女もなんとか食べている。

「もう無理しないで残してもいいよ」と思わず言いたくなってくるが、まったくもって余計なお世話だし、女性だからたくさん食べられないのではないかと思うのは、そもそも失礼な話である。ギャル曽根のような女性だっているのだ。

だが、細身のスーツを身にまとったその女性を見るにつけ、私と同じ満腹感と戦っている気がして、勝手にシンパシーを感じていた。

なんとかすべて食べ終えて、彼女のほうをちらっと見ると残り2つまで来ていた。がんばれ、なんとか乗り越えてくれ。私は勝手に祈っていた。そして、ついに彼女も完食した。

その瞬間、思わずよくやったとハイタッチでもしたい気持ちに駆られた。さすがにそれは変質者なのでやらなかったが、そのくらいの気分だった。まるで、過酷なマラソンのゴールテープを共に切ったかのような連帯感が私の胸に渦巻いていた。

結局その女性とは何もなく(当然だが)、それぞれの世界へと戻っていったわけだが、天龍で巨大餃子にひとりで挑戦するとき、あの日の女性は今でも天龍の餃子を食べに来るのだろうかと、ふと思い出してしまう。

本店は改装したが、巨大餃子は変わらない

当時のお店は今はなく、そこから数十メートル離れたビルの中に、5年前にリニューアルした本店がある。すっかりお店の内装はきれいになったが、あの巨大餃子は今も健在である。

ただでさえ巨大な餃子なのだから、1皿4個入りのメニューを作っても良いのでは、とつい思ってしまう。だが、そんな生ぬるいことはせず、8個入りを貫いているところに天龍のこだわりを感じ、また凝りもせずひとりで立ち向かいたくなるのだ。

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松本宰 (まつもと・おさむ)

編集者。住まいのマッチングサイト「SUVACO(スバコ)」とリノベーション専門サイト「リノベりす」の編集長。住宅に限らず、己が心地良い居場所を探し求めてさまよう日々。好きなものはお酒と生肉とラーメン。

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