恋って悲しいものなのだ。研ナオコ「窓ガラス」と「孤悲心」(いつも心にぼっち曲 2)

研ナオコ「窓ガラス」と「孤悲心」
(イラスト・田中稲)

窓ガラス/研ナオコ

1978年(昭和53年)7月10日発売、研ナオコ17枚目のシングル。作詞・作曲 中島みゆき。当時まだ無名だったTHE ALFEEが、ギター伴奏と及びサビ部分をバックコーラスとして歌唱していた。

万葉集よ泣かせるぜ! 「恋」とは「孤悲」

先日、「井上ひさしの日本語相談」(朝日文庫)を読んでいたら、万葉集には「恋」を「孤悲」と当て字で書いた歌があるという件を見つけた。ひええ「孤悲」! その字面に興奮して本をドカスカ机の角にぶつけて悶絶してしまった。

人を好きになると、より孤独を感じ、悲しくなる……、分かり過ぎる。万葉人、一緒に恋バナ、いや、孤悲バナしたいわ。

昔から恋心にハッピーなイメージなどなかった。

仕方のない話ではあるのだ。女遊びが大好きだった父が、世の中は自分のような男ばかりと決め付け、「男は狼。年頃になったなら慎みなさい!」と私と姉に怒鳴り続けた。

どの口が言うのかという感じであったが、素直が取り柄の私はその教えを守ったし、そもそも慎む必要があるほど男は近寄ってこなかった。

思春期はディズニー映画「メアリー・ポピンズ」と「不思議の国のアリス」を代わりばんこで狂ったように鑑賞し、氷室冴子や新井素子など、大好きなコバルト文庫を読みふける日々。それが飽きたら姉の本棚に並んでいた丹波哲郎の「大霊界」シリーズを読み「うあー、いっぺん行ってみてえ、大霊界」などとため息をついていた。

どう考えてもヘルシーな恋愛価値観が育つわけはない。たまに淡い好意を抱いてもどうしていいかわからず、勇気を持って近づけば挙動不審になってドン引かれ、己が嫌いになるの繰り返しだった。

思い出しただけで泣けてくるわ……。これぞ孤悲。人は好きになるほど悲しいじゃないか。ああ、私は万葉の心を引き継いでいる!

窓ガラスで涙を止める人に私はなりたい

人を好きになるほど悲しくなる。そんな「孤悲ソング」で私が大好きなのが、研ナオコさんの「窓ガラス」という曲である。

低めの掠れた声。情熱的な想いが喉に詰まって、吐き出しきれないような浅い呼吸。歌というよりツラツラと愚痴(独り言)が漏れ聞こえている感覚で、これがたまらなくいい!

歌詞の内容は、ざっくり言えば「友達づたいで、彼が自分のことをボロクソ陰口言ってたことを知る」歌である。

彼から直接言われるのではなく、「彼の友達がポロッと言う」という設定が凄まじい。この彼の友達が本当にデリカシーのないヤツで「あいつが町を出る理由は、あんたとすれ違うのが不愉快だからって言ってたよ!」というところまで話してしまうのだ。

それ言う必要ある!? 余計なこと言いやがって! 私なら、その場で怒鳴るかもしれない。が、歌の主人公は、雨雲が気にかかるふりをして「窓のガラスで涙止める」のである。

なんと粋な対応なのか。私もどうせ恋愛空回り族として生きるなら、かくありたい。どんなひどいことを言われようが、「ふーん」と平気なふりをして「あ、なんか天気が悪くなってきたっぽくない?」とか言いながら、窓ガラスを見る。その間に溢れ出そうな涙をひっこめたい。

私はこの曲をヘッドフォンで聴き、いつかそんな日が来た時のために、イメトレをしている。しかし毎回、彼の友達にイライラする!

「そんなに嫌わなくていいじゃないの」

「窓ガラス」の作詞作曲は中島みゆきである。

中島みゆきといえば、言わずもがな失恋ソングの女王。聴く時期を間違えれば地獄の三丁目まで行ってしまうが、タイミングが合えば、毒が妙薬となり、心の痛みが和らぐ。中島みゆき自身が歌う「ひとり上手」「わかれうた」や桜田淳子がカバーした「しあわせ芝居」などは、30代によくお世話になった。

中島みゆきをカバーした歌手といえば、工藤静香も「激情」や「雪・月・花」など印象深い。私が本当に面白いなと思うのは、彼女がみゆき曲を歌うと、恋=人生の肥やし感がすごいことである。

「ドラマティックな恋してます。どうだ、羨ましいだろう」と失恋を得意げに歌う静香、嫌いじゃない。「このロンリネス、なにかの形で取り返す!」という迫力を醸し出す彼女は、未知なる国の女王というイメージでリスペクトしている。

私は逆だ。取り返せない人間である。人に嫌われるのが本当に怖い。「嫌いは好きの裏返し、興味を持たれないのが一番怖い」という考え方があるが、それは一度嫌われた人に再度好きになってもらうよう、アクションに出る、もしくは流れが変わるのを待つ気力体力があっての話。私にはない。

人から自分に向けられる、嫌悪感やイライラに耐えられない。だから、恋愛も友情も、一度気まずくなったらもう大変。吐くほど悩み、宇宙でひとりぼっちみたいな穴に入ってしまう。

そんなメンタルだから、「窓ガラス」で「そんなに嫌わなくていいじゃないの」と呟く(歌う)研ナオコの、嗚咽を我慢しているような低い声に自分を重ね「ほらやっぱり、人を好きになるって残酷やろがい~」と、孤悲心に胸を押さえるのだ。

イライラと切なさの両方が押し寄せる「窓ガラス」。しかしなぜか、聴き終わったあと、ものすごいスッキリする。カタルシスの仕組みって本当に不思議だ。

多分、私はこの曲を聴くことで、現実では精神的に耐えられない「コテンパンに振られる、嫌われる」という疑似恋愛を体験している気がする。

こんな作業を繰り返しているうち、さらに現実と向き合えなくなり、コミュニケーション力がどんどんおかしくなっていくのだが、それでもいいのだ。ぼっち曲がバッサーと広げてくれる世界に逃げる。それも生きる一つのテクニック!

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田中稲 (たなか・いね)

大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。個人ではアイドル、昭和歌謡・ドラマ、世代研究、紅白歌合戦を中心に執筆。著書に『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)がある。CREA WEBにて「田中稲の勝手に再ブーム」を連載中。気が小さくて毎日がサプライズの連続。妄想力と不器用さで空回りしまくる日々を送る。

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