なぜ人は「鼻歌」を口ずさむのか? スピッツの「ロビンソン」をきっかけに考えてみた(いつも心にぼっち曲 7)
ロビンソン
1995年(平成7年)4月5日発売、スピッツ11枚目のシングル。作詞・作曲 草野正宗。曲名の「ロビンソン」は歌詞に出てこず、草野がタイ旅行で印象に残っていた「ロビンソン百貨店」が由来。仮タイトルのつもりで適当につけたのだとか。
この間「我ながらちょっとヤバい」と思うことがあった。
事務所へ向かう道をボーッと歩いているとき、無意識に「♪ルーララ 宇宙の風に乗る……」とスピッツの「ロビンソン」を口ずさんでいる自分に気付いたのだ。
げっ! 慌てて前後左右を確認する。よ、よかった、誰もいない……。一安心したが、ふと不思議になった。
こういった「無意識的に歌ってしまう」という現象は多くの人が経験していることだろう。そして私の場合、この「ロビンソン」の登場頻度がやたらと高い。
なぜ「ロビンソン」なのだろう。もちろん好きな歌ではある。アルバム「ハチミツ」を何度も聴いたものだ。
とはいえ、今ではラジオから流れるのを耳にするくらい。それでも、急に口から出てくる。謎過ぎる脳の気まぐれな「ロビンソン」推し……。
頭の内で何が起こっているのだろう。
キーワードは「ルーララ」? 鼻歌との絶妙な関係
この「なぜか知らねどロビンソン問題」について私なりに考えた末、「ルーララ」に大きなカギがあるのではないか、という推測に行きついた。
「ルーララ」=「フーンフンフン♪」と音の高さが鼻歌のノリに近く歌いやすい。続きの歌詞「宇宙~の風に乗~る」の浮遊感も絶妙で、記憶から引っ張り出されやすいのではないか。
多分「ロビンソン」のサビは、鼻歌の理想的なバージョンアップなのだ。
こうなると鼻歌そのものについても掘り下げて考えたくなる。
鼻歌の基本形を文字で書けば前述の通り「フンフン♪」だろう。この字面で真っ先に思い浮かぶのは、「一人でいい気分になっているシーン」である。例えば冷蔵庫に一つだけ残っているお高めのプリンを、コッソリ食べるときの高揚などは、この鼻歌が当てはまるだろう。
「フンフン」以外では、口に頼らず鼻の息強めで押し通す「ンーンー……♪」。こちらの鼻歌は自己陶酔が深めで、失恋など悲しいことがあったとき、口に出がちである。涙をグッとこらえる口の形が、ちょうど「ン」にハマるのかもしれない。
この「ン」タイプの鼻歌(ハミング)を活用した楽曲で有名なのが、1970年代に一世を風靡したドラマ「七人の刑事」のオープニングだ。
このハミングを担当した歌手、ゼーグ・デチネさんは非常に謎深き人物。「国際指名手配中の宝石詐欺師だった」「このハミングの謝礼を施設に全額寄付した」など、なんとも非現実な伝説を残し、姿を消したという。
口ずさみにくい「夜明けのスキャット」
話が逸れてしまった。次は鼻歌から少しレベルアップして、「スキャット」について、考えてみたい。
まず「ランランラン♪」。おお、鼻歌が持っていた「ひとり感」が一気に減り、代わりに強まる合唱フレイバー。横の人と手をつないでぶんぶん振っているくらい、仲良し風景が目に浮かぶ。
では「ル」ではどうか。「ルンルンルン♪」。こちらは「ランラン」にない「ひとり感」はあるものの、えらくゴキゲンモードである。
「ルンルン」から「ン」を取った「ルルル」となると、またイメージが変わって孤独感が増す。日本一有名なルルルといえば、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」だ。
なんとこの歌、一番は歌詞がなくスキャットだけ、という斬新な構成。「ルルル」から始まり途中から「ラ」に変わり、「パ」になり、最後には「アーアー」になり「ル」に戻る。
この中で強いひとりぼっち感があるのは断然「ル」のときだ。「ラ」「パ」「ア」は孤独感が少しだけ控えめになる。
なぜだろう? 疑問を持ち、軽く歌ってみると「ラ」「パ」「ア」を歌うときは口が空く。「ル」は口が尖がる。これが妙なスネスネ感、内にこもっている感が出るからではなかろうか。
鼻歌は「無の境地シンギング」
今回は「ロビンソン」をきっかけに、芋づる式で鼻歌とスキャットについて考え込んでしまった。
無意識に口ずさんでしまう歌や鼻歌は、究極の「ぼっち曲」なのかもしれない。
誰かに聴かせたいという感情ゼロ。それどころか、自分すら歌おうと思って歌っていない、無の境地シンギング!
そう考えると、自然に口に出る「ロビンソン」は多分、私のバイオリズムに合うのだろう。もしくは、記憶の中ですごく重要な位置にある気がする。
これからも大事に歌おう。そして大切に聴こう……と思った。