忘れられたカクテル「ギブソン」とチェスの女王
Netflixドラマ「クイーンズ・ギャンビット」は、1950〜60年代を舞台に、孤児の少女ベス・ハーモンが、男性が強さを誇るチェス界で頂点を目指す物語だ。
その中で、特に印象に残っているシーンがある。ベスが養母のアルマから勧められ、人生で初めてのお酒、”ギブソン”を口にする場面だ。
未成年にカクテルを勧める養母
クリスマスシーズンに、チェスの大会が開かれるヒューストンに向かう飛行機の中。機内食をクリスマスディナーとして楽しむベスに、アルマは目配せしながら、カクテルグラスを差し出す。
ベスはまだ高校生でお酒を知らない。一方、アルマは酒を常に傍に置いている女性として描かれている。そんな二人が飛行機の中で並んで座り、アルマは自分が口にしていた「ギブソン」をベスに勧めるのだ。
通常の物語なら、父親と息子のシーンとして描かれるような場面だが、ここでは女同士のやりとりになっているのが興味深い。
ギブソンは、よく知られた「マティーニ」の親戚のようなカクテルだ。どちらもジンベースだが、マティーニはオリーブ、ギブソンはパールオニオンがグラスに添えられる。
このクイーンズ・ギャンビットのシーンは、アメリカのネット掲示板でも話題になっていた。あるユーザーは、ギブソンのことを「忘れられたカクテル」と表現した。マティーニほどメジャーではなく、マイナーな存在として認識されているようだ。
マティーニよりも洗練された「大人の味」
そんなギブソンを、私も飲んでみたいと思った。
新宿の行きつけのバーで注文してみたが、「パールオニオンがなくて作れない」と断られた。めったに頼む人がいないカクテル、とも言われた。
別の日、自宅の最寄駅のバーに立ち寄り、再びギブソンを注文してみる。すると、バーテンダーから意外な反応が返ってきた。
「ギブソンですね。できますよ。強いお酒ですけど、大丈夫ですか?」
ギブソンは、同じジンベースのマティーニよりも、アルコール度数が高いそうだ。某酒造メーカーのカクテルガイドには、マティーニ39.3%に対して、ギブソンは42.2%と記されていた。
目の前に置かれたギブソンは、透き通ったグラスに注がれ、底にはパールオニオンが沈んでいた。まるで本物の真珠のように白く、美しく輝いている。
キリッとしたジンの香りが鼻をくすぐる。口に含むと、アルコールの強さにむせそうになりつつも、なめらかな口当たりが心地よい。パールオニオンの酸味が味わいにアクセントを加えている。
「オリーブよりもオニオンのほうが、ちょっと洗練されている(I find the onion is slightly more refined than the olive)」
アルマがベスに言った言葉を思い出した。
「大人の入口」にふさわしい一杯
ドラマの中で、ベスはギブソンの強さに軽く咳き込みながら、「いいね(It’s good)」と言う。それは、これから彼女が歩む道を象徴しているようだ。
どこにも居場所のなかったベスが、チェスの盤上では全てを支配していく。チェスが強くなるにつれ、「女性だから」「若いから」と見えない壁が前を阻もうとするが、ベスはそれを「It’s good」と受け止めながら、独自の道を突き進んでいく。
人とは違うマイナーな道を歩むこと。型破りだけれど、洗練された存在を目指すこと。その姿は、ギブソンと重なってみえる。
飛行機の中でベスが口にしたギブソンは「大人の入口」としてふさわしい一杯だった。