埼玉の「稲荷山公園駅」降りたのは僕ひとりだけだった(地味町ひとり散歩 17)
今年6月、梅雨晴れの1日があったので、たまにはのんびり公園にでも出かけようと思いました。しかしこのコラムは「地味町散歩」なので、誰でも知っている有名な公園はダメです。
と、地図を眺めていると、埼玉県に「稲荷山公園」という公園がありました。西武池袋線の駅名もそのまま「稲荷山公園」ですが、聞き覚えのない名前です。
もしかして、歳を取ってから昔よりおいしく感じるようになったおいなりさんが山のように積まれている、夢のような公園かもしれません。あの独特の甘みが、還暦近い自分にはなんとも懐かしくて、最近ついつい買ってしまうんですよね~
この日は平日でしたが、西武池袋線に乗って出かけてみると、この駅で降りたのはなんと僕ひとりだけでした。無人駅でもないのに、ここは思った以上にマイナーな駅なのかもしれません。
ところが、駅前に広がる公園は素晴らしいものでした。ゴチャゴチャしておらず、自然を生かした広い敷地は、欧米の公園を思い出させました。
僕はパスカルズという現在13名の大所帯のバンドをもう26年もやっているのですが、そのバンドは日本よりも何故かヨーロッパやオセアニアで人気が高い。そういう変なバンドなのです。
なので、フランスを中心にした海外ツアーも多く、1ヶ月以上に渡る演奏旅行もありました。そのオフの間などに訪れる、名もなき町の公園に雰囲気がよく似ているのです。
帰宅後にネットで調べてみると、この公園は昭和20年(1945年)に米軍がこの地を接収した際、基地内の公園として整備したものだそうです。米軍管理下の時代には「ハイドパーク」と呼ばれていたとのことで、納得でした。
しかしきれいな公園を守るために必要なのか、かなり厳しいルールが提示されていました。
誰もいない広い公園ですが、コロナ禍蔓延の現在、マスクは必須です。これものちのち、2021年という年を象徴する写真になるかもしれないですね。
お弁当のゴミは、どのゴミ箱にも絶対に入れられないので、必ず持ち帰りましょう。もしくはコーン素材などで作った「食べられるお弁当箱」を持っていきましょう。
カラスも襲いかかってきます。「気を付けて!!」と書かれていますが、どう気を付けていいのかはまったくわかりません。
死んだカラスを棒に突き刺したものを常に持参して、「お前もこうなるぞ!」と示したほうがいいのでしょうか。
とにかく、お弁当は持っていかないほうが賢明なようですね。
わずかですが、遊具もありました。
ラッコに乗ったりゾウさんをすべったりしたかったのですが、オッサンがひとりで無邪気に「わーいわーい!」と遊んでいると、誰か人が現れて、「不審者がいます!」と通報されるような気がして、グッとこらえました。
お弁当を公園で食べるのは難しそうだったので、外に出て何か食べることにしました。と、公園のすぐ近くにハンバーガー屋さんがありました。
しかし看板に近づいて見ると、なんと英語表記しかありません。米軍基地の名残りで、アメリカ人などの居住者も多いのでしょうか。もしかしたら店内のメニュー表も、すべて英語表記の可能性があります。
英語が苦手な僕は、店に入って、「はっ、はんばあがあ、ひとつください」と思い切って口にしたとしても、
「ヘンヴェーガーワン? サムスィングトッピン? オンリー? ドリンク?」などと矢継ぎ早に聞かれて、動揺で水をこぼし、テーブルを倒してしまいそうです。
それを立て直そうとしたら、今度は自らの体勢を崩し、ウエイトレスさんのスカートに掴まろうとして、それをずりおろしてしまう。下着が丸見えになってしまったウエイトレスさんが「Noooooo!!」と叫び声をあげると、奥からガタイのいい米兵が飛び出だしてきて、「ヘイ、ボーイ!」と、僕の顔面に強烈なパンチをくらわせる・・・
床に無惨にぶっ倒れる自分の姿を想像し、ブルブルと首を横に振りながら、この店の前を大急ぎで通り過ぎました。
次に出てきたのは、あげぱんの専門店カフェでした。これは懐かしくていいぞと思いましたが、あいにくお休みでした。貼り紙を見ると「Agepan Dog」などもあるようですが、これも英語表記です。
ということは、やはり床に無惨にぶっ倒れる可能性があったので、休みで助かったのかもしれません。
ようやく純和風の定食屋さんを見つけました。見たところ、特に英語表記もないようです。安心して、ここ「まつざき」に入ることにしました。
なんと創業が昭和21年です。終戦の翌年からやっているという歴史ある定食屋さんでした。
人気No.1が「ニラ玉そば」というのも、なんだか現代とは思えなくていいですね。僕のあとに入ってきたお客さんが「いつもの!」と注文していました。やはりこのニラ玉そばでしょうか。
僕はラーメン気分ではなかったので、串カツとしょうが焼きのあいもり定食を頼みました。税込870円です。
と、これが実においしかったです!サラダの横に付いているマヨネーズは、しょうが焼きに付けてもまた格別なおいしさがあります。
70年以上も続いているということは、この町の人にずっと愛され続けてきたのでしょう。それは味でわかりました。もし次にまたここに来ることがあったら、ぜひ人気No.1のニラ玉そばを注文してみたいですね。
町に戻ると、以前このコラムの膳所編でも紹介した「飛び出し坊や」たちが次々に現れました。
滋賀県と埼玉県はだいぶ離れていますが、何か繋がりがあるのでしょうか。北前船の影響で、日本海沿いの点々と離れた町同士で方言が似ているのと同じような何かがあるのかもしれませんね。
ちびまる子ちゃんもいました。
ちびまる子ちゃんの作者のさくらももこさんとは、一時期よく遊びました。夫婦同士でお互いの家に泊まりにいったりもしました。
その流れで、ちびまる子ちゃんのエンディングテーマを「たま」でやらせていただいたり、さくらももこさん原作のテレビドラマに出させていただいたこともありました。
さくらももこさんは、まさにちびまる子ちゃんがそのまま大人になったような感じで、いつもパワフルでした。『ももこのおもしろ健康手帖』なんて本まで出していた健康オタクだったのに、まさか不健康のカタマリのような僕よりも先に逝ってしまわれるとは、思いもしませんでした。
僕もやがてそっちに行くから、またくだらない馬鹿話をして笑い転げようね。
商店街は「七夕通り」という名称でした。どうやらここは「関東三大七夕祭り」のひとつとして、七夕のころはおおいに賑わうようです。僕が訪れたのはまだ6月だったので普通の商店街でしたが、ところどころで俳句が詠まれていました。
防空壕がまだあるのですね。「まんじゅうしゃげ」は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」のことでしょうね。ちょうどこの句を詠んでいたときにお腹がグーとすいていて、饅頭が出てしまったのかもしれませんね。
さて、いつのまにか西武池袋線の稲荷山公園駅から、西武新宿線の狭山市駅まで歩いてきてしまいました。
七夕が名物の街ということで、駅前には織姫と彦星がおりました。
みなさん、思っていたよりも、織姫と彦星は丸いです。あと、胴体だけで、顔や手足はありません。
いつかE.T.のごとく、織姫や彦星と遭遇したときにギョッしないように、今からよおく覚えておいてくださいね。