沖縄の地味な町「壺川」で「上等なみそ汁」を飲んでみた(地味町ひとり散歩 9)

僕は寒いのがとにかく苦手。冬のあいだはずっと、布団にンガガガッとくるまって、そこから一歩も外に出るのイヤヨイヤヨンになり、「あぁ、青い鳥は家の中にいたんだなぁ~」としみじみ思う性格なのです。

しかしさすがにそれでは、体型もろとも、人間でなく一匹の熊になっちまうわい。そう思って、あるとき「ここにいちゃダメだ!」と決意し、南国に逃避することにしました。

自分で仕事のスケジュールを決められる自由業なのをいいことに、毎年2月になると、まるまる1ヶ月間「仕事はしませ~ん」と宣言し、タイのチェンマイに滞在する。十数年前からそんな海外逃避が常になっていたのです。

しかし皆さんご承知の通り、今年はコロナ禍で、タイはもちろん、一切の外国への渡航ができない事態。なので、久しぶりにおとなしくしていようと、2月にライブのスケジュールなども入れていました。でも、やはり寒さで気力まで萎えていくのを感じ、「せめて10日間だけでも、暖かいところに逃げよう」と、沖縄行きを決めました。

那覇市内のウイークリーマンションに逃げ込んだ

「コロナ禍なのにリゾートですか~?」という声が聞こえてきますが、ご安心ください。

沖縄もライブなどで既に相当数訪れている地域です。観光地など人が集まる「密な場所」には行かず、普通の住宅地にあるウイークリーマンションを借りて、そこで日常生活を送ることにしました。

とにかく僕には、ただただ暖かい気候さえあればいいのです。

ただ、せっかくなので、沖縄に住む友達に頼んで、ゲストハウスの広間でワンマンライブを1回だけやらせてもらいましたが。

そういえば僕が子供のころ、沖縄はまだ、パスポートを持たないと行けない「外国」でした。返還は1972年ですから、僕が11歳、小学5年生のときにやっと日本に戻ったのです。なので、それ以前の教科書では「日本の最南端は鹿児島県の与論島」と教わっていました。

そのころのテレビのニュースはよく覚えています。特にトラブルが多かったのが車の事故です。それまで右側通行だったのが、返還された日から突然左側通行になったので、各地で事故が多発している様子がよく映し出されていました。写真にあるようなモノレールも当時はありませんでした。

そんな沖縄に、暖を求めて、数年ぶりに降りたってみました。

僕が滞在することにしたのは、那覇市内の「壺川」という町の、モノレール駅近くのウイークリーマンションです。

まず近所を散歩してみましたが、意外なことに新しいマンションが立ち並び、昔の沖縄の姿はそれほど見られません。

しかしそんな住宅地の中に、突然お墓があったりします。これが本土とはだいぶ違うところです。

お墓の前には広い敷地があります。そう、沖縄の人はここにときどき集まって、酒を酌み交わしたり、陽気にエイサーなどを踊りながら故人と一緒に過ごすので、このような形になっているのです。こんなところにも、本土と沖縄の文化の違いを感じますね。

近くの公園に、昔は全国各地にあったタコの形のすべり台がありました。ここで思い出したのが、かつて「たま」を一緒に組んでいたベースの滝本晃司くんのことです。彼は、全国のすべり台の写真を撮る「すべり台コレクター」だったのです。

ひょんなことから生まれたコレクションでした。

僕らがデビューしてしばらくは毎日のように雑誌や新聞の取材があったのですが、そのときに必ずと言っていいほど聞かれるのが「ご趣味はなんですか?」という質問でした。

僕は自分が飲んだり食べたりしたドリンク缶やインスタント麺のパッケージのコレクションをやっており、知久寿焼くんはツノゼミという虫の採集や研究をしていました。ところが、滝本くんだけはこれといった趣味がなくて、いつも「ええと、テレビが好きで・・・」とか歯切れの悪い答えをしていました。

が、ツアー先の秋田で、電話の形のすべり台を見つけて、「これ、変わってるなぁ。あ、そうだ、僕はこれからすべり台の写真を撮るのを趣味にしよう!」となりました。そこから、取材で趣味の質問が来てもスラスラ答えることができるようになったという、変わった趣味のでき方でした。

さて、壺川の街の話に戻ります。マスクをした高校生が集団下校するのを横目で見ながら坂を登っていくと、ローカルな商店街が現れました。観光客がよく行く国際通りなどとは違って、地元の生活に根付いたお店が軒を連ねています。

本土ではあまり馴染みのない食材も売っています。「すし」はいなり寿司のことなんですね。お弁当も250円と激安です。

お腹が空いてきました。「ここはひとつ、上等な食堂でランチと洒落こみますか~」と思って入ったら、券売機で食券を買うシステムでした。

その中に「みそ汁」というメニューがあります。550円。さすが上等食堂だけあって、みそ汁だけでなかなかのお値段です。一点豪華主義で、それだけを買ってみます。

すると、みそ汁にご飯が付いていました。

本土だと普通は、ご飯にみそ汁が付くものですが、沖縄では逆のようです。みそ汁は、ゴーヤーチャンプルとかポーク玉子といった沖縄独自のメニューと同じく、立派なおかずとしてのみそ汁なのです。具もいっぱい入っています。つまり、「豪華版みそ汁かけご飯」として食べられる代物なのです。

なのでくれぐれも沖縄では、ご飯とみそ汁を同時に頼んではいけません。そうやってオーダーした場合、ご飯に小さなみそ汁が付いてきて、大きなみそ汁にご飯が付いてくるので、二人前の料理となってしまうのです。

この絵は食堂の横で見つけました。バンクシーもみそ汁をすすりに来ていたのかもしれません。

食事を終え、腹ごなしに坂をくだっていくと、今度は心地よい公園が現れました。湖のほとりに広がる市民憩いの場です。どこからか潮風の匂いもしてきます。

しかし残念ながら、この公園の名前を大声で読み上げることはできませんでした。みなさんも、ここは心の中でそっと読んでくださいね。

次回の「地味町ひとり散歩」も、那覇の別の町を散歩してみます。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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