「こういうのでいいんだよ」と思わず言いたくなる。「杉山城」は隠れた名城だ(ふらり城あるき 2)
後北条家の家臣だったと伝えられる僕のご先祖様。その話を詳しく聞くために、2018年5月の連休、安藤家の本家がある埼玉県嵐山町を両親と訪ねました。道が空いていたせいか、さいたま市の実家から関越自動車道を通って2時間ほどで着きました。
祖先伝来の日本刀の数々や古文書を見せてもらいました。その中に1枚、見事な縄張りが描かれた城跡の図面がありました。嵐山町内にある戦国城郭「杉山城」の平面図です。「昭和二十一年作成」と書かれているから、戦後まもなくのもの。無数の堀と土塁で防御されていて、いかにも堅固そうです。
本家の親戚に聞くと杉山城跡はすぐ近くにあり、ボランティアでよく草むしりに行っているそうです。本家から自動車に乗ると10分ほどで、杉山城跡に着きました。
関越自動車道のすぐ近くに、小高い丘が見えました。ナビによると、どうもその付近のようです。駐車場が見当たらなかったので、寺院の前の空き地に、お坊さんに断った上で停車しました。あとで調べたところ、駐車場は現在整備中のようです。
寺院の横の急坂を上っていくと、城跡が見えてきました。城跡のパンフレットが立て看板の脇に置いてありました。「戦国期城郭の最高傑作の一つ」と誇らしげな見出しが躍っています。
城主や築城年代については一切記録がない「謎の城」でしたが、近年の発掘調査の結果、関東の覇権をめぐって争っていた山内(やまのうち)上杉氏が、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏に対抗するために造った城という説が有力です。後北条氏が台頭する前の15世紀、山内と扇谷の両家は親せき同士なのに、関東管領の座をめぐって数十年にわたり抗争を続けました。そのときに造られた城ではないか、というわけです。
小高い丘の上に築かれた城郭は、堀と高い土塁で覆われていました。素晴らしいことに、山城には珍しく、樹木が伐採されています。非常に城跡の構造が見やすいのです。空堀と土塁が迷路のように入り組んでおり、10個以上のブロックに分かれた複雑な縄張りですが、意外とコンパクトです。全部歩いても30分ほどで回れました。
山城とは言え、ふもとからの高さはわずか40メートルほど、高低差はあまりありません。道もきちんと整備されていて、同行した70代の両親も「歩きやすいね」とハイキングを楽しんでいました。
前回、訪れた鉢形城とは対照的に、石垣や門などの復元は一切なし。貴重な遺構が、そのまま残っていました。見学者も鉢形城よりも多いようです。ガイドに導かれるツアー客20〜30人とすれちがいました。
中心部にある「本郭」で初老の男性にあいさつしました。男性は『続日本100名城』をめぐるスタンプラリーをしており、それで杉山城を訪れたそうです。「こっちを見てみるといいですよ」と案内されて、本郭を取り巻く土塁を下から眺めると、相当な高さがあります。最終防衛ラインとして守りを固めていたのでしょう。
野いちごや、花に群がるセセリチョウを見ながら、城跡をめぐっているうちに、何だかワクワクしてきました。もちろん当時の建物は何も残っていないのですが、屏風(びょうぶ)のように折れ曲がった堀や土塁から、戦国武将たちの激しい戦いの様子が見えてくるような錯覚に陥りました。樹木が伐採してあって見晴らしが良いのも、戦国時代の当時と同じ状況です。
漫画『孤独のグルメ』には、主人公・井之頭五郎がハンバーグランチを見て、「ほーいいじゃないか。こういうのでいいんだよ。こういうので」と、心の中で独白するシーンがあります。
上から目線ではありますが、杉山城で私は全く同じように「こういうのでいいんだよ」と思ったのでした。