再開発が進む街で「映画監督」が体を張って守る劇場(沖縄・東京二拠点日記 15)
10年ほど前から東京と沖縄の間を往復する「二拠点生活」を送っている。那覇市内のマンションをもう一つの自宅として、沖縄の人々と交流しながら、フリーランスのノンフィクションライターとして取材し、原稿を書く。そんな生活を日記風に書きつづる連載コラム。11月後半も、新刊書に関する取材を受けたり、トークイベントに参加したりしながら、いろいろな人と会って話した。
コインパーキングだらけになった街
【11月20日】那覇市泊のカレー店「ヤマナカリー別邸」まで、散歩がてら20~30分歩く。チキンカレーと魚介だしがなじむ鳥ささみカレーのあい盛りと、うこみん(細切りキャベツとウコンをあえたもの)を、ひとりで食べにいった。そのあと、桜坂までぶらぶらと歩いて、「桜坂劇場」1階のカフェ「さんご座キッチン」に。沖縄の地元雑誌『モモト』の取材を受けた。
編集長のいのうえちずさんと編集アシスタントの伊波春奈良さんと合流。主に伊波さんが質問、いのうえさんは指導役というかお目付け役で、ときどき質問を挟んでくれる。さんご座キッチンのテラスには、パソコンで仕事をしている人や、ただぼーっとすわっているお年寄りなど、いろんな人がいる。飲み物を頼まなくてもいいのがうれしい。
桜坂劇場は、1952年に開業した芝居小屋「珊瑚座」がもとになっている。翌年、「桜坂琉映館」という映画館として生まれ変わり、その後、映画監督の中江裕司さんらに引き継がれて今の姿になった。その経緯は『AERA』に掲載された中江さんの人物ルポに詳しく書いた(『「壁」を越えていく力』(講談社)所収)。
ここは、映画館や古本屋、カフェ、やちむん店、桜坂市民大学という講座などが入っている複合文化施設なのだが、どんどん進むこの地区の急激な再開発をくい止めるかたちになっている。桜坂の飲み屋街は新しい道路がど真ん中を貫通し、高層の高級ホテルが建ったこともあり、風景が一変した。
特に龍宮通りの突き当たった一帯が、コインパーキングだらけになっている。店は老朽化が進み、防災上も整備したほうがいいいのかもしれないが、那覇最大の歓楽街だった桜坂は残ってほしいなと思う。
この桜坂劇場はぼくの好きなスポットなのだが、中江さんが体を張って守っている。その業績は沖縄でもっと評価されてもいいと思う。
そのあとは、中江裕司さんと『沖縄アンダーグラウンド』をめぐってトークイベント。さきにも書いたが、中江さんはぼくが『AERA』」の「現代の肖像」で取材させてもらってからの付き合いだ。映画の上映会で奄美に同行したこともある。
15年くらい前のころ、中江さんに対して、いろいろなメディアが沖縄移住についての取材をしようとしていた。中江さんは京都から琉球大学に入学し、その後もずっと沖縄で生活しているからだ。その取材の多さに、中江さんは辟易していた。
ぼくの取材も最初はそう思われていて、ぎくしゃくしてちょっと喧嘩もした。だが、いまでも「ぼくについて、あんなにきちんと取材して書いてくれた記事はない」といろんな人に言ってくれているみたいで、うれしい。
出版関係者の模合(もあい)に飛び入り参加
【11月21日】松山のライブハウス「OUTPUT」に出向いて、お笑い事務所FECの社長の山城智二さんに挨拶した。12月にFECのお笑い芸人(山城さんと知念だしんいちろうさん)からインタビューを受けるというトークライブを開催するのだ。
そのあと、泉崎にある琉球新報本社に移動して、2019年1月から始まる「藤井誠二の沖縄ひと物語」の打ち合わせをする。さらに、『AERA』で執筆する予定の社会学者・岸政彦さんの人物ルポのため、琉球新報文化部の新垣梨沙記者にコメントをもらいに行った。岸さんは同紙に連載をしていて、その担当が彼女だからだ。
琉球新報を出て、古民家を改装した居酒屋「カジマヤー」に移動する。ジュンク堂那覇店の店長・森本浩平さんの誘いで、沖縄の出版や取次関係の模合(もあい)に飛び入り参加させてもらった。沖縄には「県産本」というカテゴリーがあり、版元の数も50社以上ある。
ボーダーインク編集長の新城和博さんとは久しぶり。名前だけ知っていて、初めて会う人も多い。そこから栄町にオープンしたばかりで、元RBCラジオの名物パーソナリティーだった箕田和男さんが経営する「みのかずさんの店」へなだれ込んだ。
そのあと、何年かぶりに超有名店「おでん東大」に入る。焼きてびちと、腎臓とミミガーをボイルした「刺身」を、泡盛を飲みながら食べているうちに、酔っぱらってダウンした。
【11月22日】もう10年ぶりぐらいだろうか。ぼくが昔、明治大学で非常勤講師を2年間だけやっていたときに講義を聴いていた松川友樹さん。彼がパーソナリティーをしているFMぎのわんの『リーダーズコンパス』という番組に出してもらった。沖縄出身の松川さんは故郷へ戻り、臨床心理士になっている。
夜は「すみれ茶屋」で、東京から来ていたフリーライター兼エディターの鈴木紗耶香さんと、たまたま店にいた地元で不動産業を営むKさん夫妻と飲んだ。黄目まちと真鯖、シロマチ、チヌマンなどを焼いてもらったり、刺身にしてもらったりして、泡盛を飲む。
Kさんも『沖縄アンダーグラウンド』を読んでくれていたので、感想を聞いた。本で描いた町の存在は知っていたが、内情についてはまったく無知だったという。拙著は沖縄でロングセラー化——ジュンク堂那覇店だけで500冊以上売れている——しているけれど、沖縄の読者の大半の人たちの感想は、Kさんと同じような「驚き」だ。
【11月23日】今日は東京へ移動。夕方の便なので、ぼくの仕事場近くの壷屋小学校の校庭で開かれている「やちむん市」へ、散歩がてら行ってみた。窯元や小売店が十数店舗、テントを張ってやちむんを並べていた。目移りして仕方ない。
校庭を何週したかわからないぐらい歩きまわって——1時間以上は見て歩いた——値引きされていた小皿2枚とこぶりの碗などを買った。そして、小学校近くの喫茶店の窓際の席に座り、コーヒーを飲みがてら道路の往来をぼーっと見ていた。気づいたら那覇空港へ行く時間だった。