独特の「汚声」で活躍する「ボイスアーティスト」――軽やかに本業と両立するコツは?
男には自分の世界がある。たとえるなら空をかけるひとすじの流れ星――。そんな歌詞がかつての名曲にありましたが、本業以外に「自分の世界」を持って活躍している人たちが増えています。映像関連会社勤務のかたわら、「汚声」とも呼ばれる特徴的なダミ声を生かした音楽活動やDJで引く手あまたのEnjo-G(えんじょうじ)さん(45)に、両立のコツを聞きました。
人気アイドルも「汚声」の愛好家
Enjo-Gさんは、昨夏発表された「青島ビールの歌」や、2017年夏のドミノ・ピザの新商品キャンペーンソング、同年5月リリースのダンスナンバー「爆走ミニバン」などで、その特徴的な歌声を披露してきました。
さらに月4回程度、DJとしてクラブイベントで活躍。「Enjo-Gさんは唯一無二の存在!」とイベントに足しげく通うファンも出てきています。新潟発人気アイドルグループ「Negicco」のKaedeさんも、Enjo-Gさんの「汚声」の愛好家です。
普段しゃべる声は全く普通なのですが、「みぞおちの下のところに力を入れる」と特徴的な声が出せるそうです。
元々は、ラジオパーソナリティーなどとして活躍するケイ・グラントさんの低くて格好良い声を物まねしようとしたそうです。「普通にしゃべるならばそうした渋い声も出せるのですが、歌う際はこちらの方がリズムに乗せやすかった」とのことで、独特のダミ声で歌うようになりました。
その声を、DJでトラックメーカーのBUBBLE-Bさんが面白がり、2002年の「ぞっこん!バーベキュー」という曲から、「BUBBLE-B feat. Enjo-G」というユニット名で断続的に活動。インディーズアルバムも出しました。それらの楽曲はiTunesでダウンロードできます。
Enjo-Gさんが音楽に興味を持ったのは、茨城県日立市に住んでいた中学生の頃。TM NETWORKの「Get Wild」にはまり、高校時代にバンドを組んでドラムを担当しました。
ただ、「自分にはリズム感がないな」と気づき、TMのようにコンピューターに音楽を打ち込んで流すスタイルに転向します。高校を卒業して社会に出た後は、給料でパソコンを買い、いわゆるVJ(ビデオジョッキー)として、ライブの際に音楽に合わせて映像を流す手法を駆使。茨城のクラブシーンで、VJの草分け的存在として活躍しました。
「東京オリンピック関連で声の活動をしたい」
その後、東京でのライブにも呼ばれるようになり、転職を機に上京。結婚して約10年、現在は5歳になる男の子がいます。
お酒の飲めないEnjo-Gさんが仕事の他に外出するのは、DJや声の活動の時くらいですが、「音楽活動について家族に理解してもらえているのは、本当にありがたい」と感謝しています。パートナーの女性とは、ともに音楽好きという共通点があったそうです。「家族最優先」がモットーで、イベントへの出演依頼があっても、家族の行事と重なった際はきっぱりと断るそうです。
以前勤めていた会社には音楽好きの同僚が多く、自分の出るライブに誘ったこともあったのですが、40代になった今はそうでもないとか。「気恥ずかしい、という気持ちもありますし、会社で同僚を誘わなくても、会場に行けば音楽仲間たちとの新たな出会いもあるので」と語ります。
フルタイムで働いて疲れた後でも、この活動を続けられている理由として、「簡単だから」とさらり。「ドラム、打ち込み、VJと僕の中でいろいろやってきて、今やっている活動が一番簡単。声はマイクさえあればできるし、DJは他人様の曲をいろいろいじってミックスしているだけ」。
DJに関しては、昔はターンテーブルを買ったりミキサーを買ったり、それなりの金額がかかりましたが、今はパソコンやiPhoneだけでもできます。楽曲も、今ならばSpotifyなどの音楽配信サービスを使えば、知らない楽曲に巡り合える機会も多いし、その日のクラブの客層に合った楽曲を素早く探せます。「DJは、思いつく中で最も敷居の低い趣味」と語ります。
その時その時でテクノロジーの進化をうまく取り入れつつ、軽やかに本業と趣味の世界との両立を果たしてきたEnjo-Gさん。今後の野望については、「今のタイミングではもう遅いかもしれませんが、東京オリンピック関連で声の活動をしたいですね。スポーツイベントとかゲームとか、クラブ以外の場所でもやってみたい」と話しています。