2ちゃんねるにスレッドがたった! 自分の記事が雑誌に載る感激を忘れたくない(青春発墓場行き 13)

(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

僕のいた週刊誌は、火曜日発売で、その前の週の土曜日が校了(雑誌のすべての作業を終えること)だった。僕たちはいつも、やっとのことで土曜日の夕方頃に編集部に戻り、土曜日深夜に記事を書きはじめる。それが終わる頃には、日曜日の朝になっていた。仕事で初めての徹夜だった。

でも、不思議と爽快感があった。やっと、自分がやりたいことをやっている。そんな充足感があったからだ。

日曜日と月曜日は一応の休みだが、先輩記者たちに聞くと誰も休んではいなかった。火曜日に雑誌の発売とともに企画会議があるからだ。会議は午前11時からそれまでに、企画を3本持っていかなければならない。

日曜日と月曜日は、仕込みの作業のため、記者たちはいろんな場所に行ったり、人に会ったりと奔走しなければならなかった。基本的にこれが毎週続く。

そんなことよりも、僕は、自分の記事が載った雑誌が書店やコンビニに並ぶのが早く見たくて仕方がなかった。通常、早刷りといって、編集部には、結構な部数が一日くらい早く印刷所から届くのだけど、それより、ちゃんと街のなかでこの目で見てみたかったのだ。

電車の中で「どの記事が面白かったですか?」

月曜日深夜、待ちきれなくなった僕は、家の近所のコンビニに走った。するとちょうど、僕のやっている週刊誌が開封されて、棚に並べられようとしているところだった。僕はそれを一冊もぎとり、パラパラとめくった。

一折(冒頭近く)のモノクロページ。見つけた!

自分がすべて書いた記事ではないものの、ところどころに自分が書いたデータがそのまま使われている。これが全国のコンビニに並んでいて、僕の見知らぬ誰かが読んでくれているんだ……。自分の活字が全国に届けられ、誰かが読んでくれる。それがこんなに嬉しいことだなんて、想像以上だった。

後日、自分がアンカー(原稿を仕上げる記者)を務めた記事が、世に出たときもコンビニに走った。その時の嬉しさも筆舌に尽くしがたいものだった。しかもそのときは、2ちゃんねるにスレッドがたったのである。

スレッドでは、まったくの偶然で起こった取材の経緯を邪推し、誰かが陰謀論を展開していた。僕はそれを見て、こういうふうに情報を読み取る人もいるのだと、リテラシーの勉強になった。

それからも、僕は、電車で自分の週刊誌を読んでいる人に話しかけて、「どの記事が面白かったですか?」と聞くなどの奇行をしたりした。よっぽど嬉しかったんだろう。

それから幾星霜。さすがに記事が掲載されることにも、反応があることにも慣れた。

でも僕は、今でも、あの気持ちを忘れないでやっていきたいと思っている。初めて自分の記事が雑誌に掲載されて、反応があって、とても嬉しかった、あのときの気持ちを。

しかし、嬉しいだけでは、やっていけないのが週刊誌である。ネタを自分で見つけてこその記者だ。僕にも週3本の企画の試練はやってきて、ネタ探しに奔走する地獄の日々を送ることになるのだ。

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