貯金の尽きかけた僕が見つけたおいしい仕事・前編(青春発墓場行き 23)

(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

もうちょっと詳しく帰国してからのことを説明することにする。帰国してからも自由奔放に海外旅行を繰り返していたせいで、貯金が底を尽き始めた。焦り始めた僕は、Web上で、編集・ライター系の求人を片っ端から探し始めた。大した実績のない僕は、年齢も30歳を越えていることもあり、簡単に次々と選考からふるい落とされていった。

やっとのことで合格したのは、その当時流行していたクーポンサイトの編集作業をする仕事だった。業務委託契約、週5日フルタイム勤務、残業代支給、というなかなかに好条件で、僕は期待に胸を膨らませて、初日に東京駅直結のビルにあるR社に向かった。R社といえば、ちょっとしたクリエイターを志望するものなら誰しもが憧れる大企業で、社員は入社してまもなく起業するために辞めていくことで有名である。

R社に着き、担当者につないでもらうと、いかにもキャリアウーマンといった人物が出てきて、僕に作業する島まで、案内してくれた。そこには、僕よりひと回り歳が上といった風の男性3人が座っていた。名前はSさん、Mさん、Kさんといって、Sさん、Mさんはフリーランス、Kさんは広告代理店からの出向ということだった。これからこのチームに僕が入って作業をすすめることになる。僕は、よろしくお願いしますと挨拶をして、いったいどうなるんだろう、僕がやりたい仕事はこのような仕事だったのだろうかと一瞬頭によぎったが、すぐにかき消した。

給料が40万円を超え「稼ぐマシン」と化した僕

午後からさっそく編集作業に入った。作業とは、営業がとってきた情報に間違いがないか、旅館やホテルに確かめて、間違いがなければそのまま、あれば訂正して、PCのシステム画面に従って入力していくというものだった。これを1日に20個はやっていく。

最初は慣れていないので、仕事だけで精一杯だったのだが、そのうち、MさんやSさんとも雑談する余裕が出てきた。のちにこれが僕に不幸をもたらす元凶となるのだが。作業は、ときには深夜にも及ぶことがあった。ヘトヘトになってタクシーで帰る。でもちゃんとタクシー代も払われるし、さすがホワイト企業だなあと思っていた。しかしのちにこれが、経費の使いすぎということで問題になるとは思ってもみなかったのだが。

1カ月働いて、給料は40万を超えた。これはおいしい! 何カ月でもやってやろうと僕は初心を忘れて、金を稼ぐことしか考えていないマシンと化していた。まあ、何事にも終わりはあってそんなよい日々は長くは続かないものなのである。

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