エジプトに向かう僕に訪れた偶然を超えたなにか(青春発墓場行き 19)

(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

イスタンブールに滞在していた僕は、ある日、石灰岩の段々畑が続く、パムッカレという観光地に出かけた。そこで韓国人の女の子に話しかけられた。最初、韓国語で声をかけられたので、「Sorry I’m Japanese.」と答えたら、向こうはなんと日本語に切り替えて話しかけてきてくれた。その子は、アランさんと言った。学生といった趣だった。アランは、写真をとってほしいと僕に頼んで、僕は快く受け入れて、写真を撮った。その場で別れた。

そして僕のトルコ生活も1カ月を過ぎた頃、そろそろ次の目的地、エジプトに経つ日が近づいてきた。僕はチケットも手配していたので、パスポートを確認した。そこで思わぬ事態が起きていることに気がついた。

パスポートの期限が3カ月を切っていたのだ。エジプトに入国するには6カ月以上の余裕が必要だった。僕は絶望した。日本のトルコ領事館にパスポートの更新しにいかなければならない。チケットの日程をずらして再発行もしなければならない。なんてめんどくさいんだろう。エジプトに行く気がなかば失せていた。しかしここで心を折れている場合ではない。僕は、新市街にあるトルコ領事館まで行き、証明写真を撮り、なんとかパスポートの更新を終え、国際電話でANAに電話して、フライトを1週間延ばし、なんとか、手配を終えた。

そして、エジプトに行くために、トルコの空港に向かい、チェックインカウンターで並んでいたところ……、ひとりの韓国人女性に話しかけられた。誰かと思うとアランじゃないか。

これがあるから旅はやめられない!

聞くところによれば、アランもエジプトに行くところだという。しかもフライトも同じ。僕は、フライトを変更していた。これは、何かの偶然か、それとも必然なのか。話は大いに盛り上がり、エジプトに着いてからも、同じ宿に泊まったり、すごく仲良くなった。 エジプトではその後行動を共にすることはなかったものの、これには驚いた。

アランは、エジプトから帰国後、ワーキングホリデーで東京の板橋に住むことになり、東京に帰ってからも交流が続くことになった。

僕はエジプトを漫喫して、最終目的地である紅海沿いのリゾート地、ダハブという街に行ったのだが、そこの宿に泊まったら、大学の同級生が住み込みで働いていた。会ったのは卒業式以来だった。彼は、卒業後イタリアに行き、陸路で南下している最中にダハブにハマり、住み込みで働くようになったのだという。

やはり旅には何かある。これがあるから旅はやめられない。旅で出会った人たちとは今でも交流が続いている。

神様がくれた出会い。その出会いを大切にして僕は今も生きている。

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