37歳で出会った「極道のオジサン」と未来なき恋愛 「ひとり」で生きてきた女性が、3年の月日を捧げた理由

ヤクザのオジサンとの日々を語る

子どもの頃から「強い女になれ」と言われて育った、友美さん(仮名・47歳)。ひとりでも平気だと思っていた彼女が30代後半で出会ったのは、28歳年上の「ヤクザのオジサン」でした。「この関係に未来はない」と知りながらも、3年の日々をともに過ごしました。なぜなのでしょうか。

父から「強い女になれ」と言われ続け…

友美さんは、幼少の頃から父親に「男に頼らず生きていける女になれ」と言われて育ちました。

「長女だったこともあり、『なんでも自分でやらんとだめ』と思って生きてきました。両親が離婚した影響も大きいです。親は、私を不幸にさせないために自立して欲しかったんでしょうけど、その言葉が足かせのように残ってしまった。誰と付き合っても、自分の中に人を踏み込ませない垣根があるのを感じてました」

素敵な人と出会ったとき、家庭を持つことも考えたという友美さん。でも、自分からは言い出せず、相手からの言葉を待っていたといいます。「自分から『結婚して』なんて、弱さを見せるみたいで、恥ずかしくてよう言わんかった」

35歳を過ぎると、「結婚して子どもを持ちたいっていう男の人は来なくなった」。そんな彼女が、今でも強く印象に残っているのが、37歳で出会った「65歳のヤクザのオジサン」です。

「近づいたのは、興味本位ですね。世間知らずやった。今やったら、怖くて同じことは絶対できない」

そう前置きして、友美さんはオジサンとの3年間の日々を語り始めました。

出会いは夜の繁華街

友美さんがオジサンと出会った大阪・なんば

「お前、なんでここに立ってるんや」

友人と待ち合わせしていた友美さんがオジサンに声をかけられたのは、大阪・なんばの繁華街。そこは、グリコのネオンサインで有名な道頓堀のほど近く。スナックや居酒屋が立ち並ぶ、雑多な路地でした。

「その辺がいわゆる、彼のナワバリでした。そこに立ってたから、商売してる女やと思われた」

友美さんは、オジサンを見てすぐに「その筋の人」と分かったそうです。「ギラついた感じではなかったし、むしろ態度は優しかった。でも、なんとも言えない怖い雰囲気をまとっていました」。色々と質問された友美さんは、「負けたくない」と、思わずドスの利いた声でこう返しました。

「ここ、あんたのシマ?」

気が付いたらオジサンが家にいた

初対面での強気な態度を気に入ったオジサンは、そのまま友美さんを食事に誘います。最初は強引に誘われた形でしたが、食事中、友美さんは自分が自然体で話せていることに気づきました。「昼間、会社でいつもOLの姿を演じていたのに、オジサンとは素のままで話すことが出来たんです」。

楽しく過ごした帰り際、「またメシ食おう」と電話番号を交換。何度か会ううち、気がついたら「オジサンが家におった」。

「なんか、毎日家に来るんですよ。彼はバツ2で独身。背がおっきくて、かっこよかった。30近く年上でしたけど、私にはファザコンなとこがあったんやと思う。当時は無知やったから、知らない世界の強い男って感じてました」

今まで、彼氏を家に入れることはなかった友美さんですが、「オジサンを信用してたっていうより、この人とは絶対結婚しなさそうやし、家に入れてもええか、と。それぐらい、軽い気持ちで付き合ってました」。

毎朝会社に行く友美さんのために、オジサンは味噌汁を作ってから仕事に出ていたそうです。さらに、服やアクセサリーなどをしょっちゅうプレゼントしてくれました。

「プレゼントいうても、若い子向けの派手なもんばっかりで。40近い私には似合わへんかった。言ったらやめてくれたやろうけど、性格的に、よう言わなかったです。子どもの頃から、恥ずかしくてお母さんにも欲しいものを言えなかったから」

オジサンはどんな仕事をしていたのか、友美さんに詳しく話すことはありませんでした。若い衆を使う立場で、暴力沙汰に巻き込まれることもなく、生活は意外と落ち着いていたそうです。ただ、その疑い深さは相当でした。

「俺が買った服ぜんぶ返せ!」

「彼は、私の裏切りを怖がっていました。そういう世界で生きてる人やったから、私が騙してるんじゃないかって、常に疑ってた。私は会社員やし、仕事中は電話に出られない。それにキレて、会社を調べられて若い衆から電話がかかってきたこともありました。その時は、さすがに怖かった。でも、『何でそんなことすんねん!』って、怒りました」

あるとき、友美さんの仕事が立て込んで、1週間、終電帰りになったことがありました。くたくたになって家に帰ると、オジサンが怒鳴り込んできたそうです。

「電話に出ないんやったら、俺が買った服ぜんぶ返せ! 包丁持ってこい!」

言われるままに包丁を差し出すと、オジサンは友美さんの服を切り刻みはじめました。しかし、なかなか上手く切れません。疲れていた友美さんは、「早く切って帰って」と、オジサンに裁ちばさみを渡しました。

彼の疑い深さがなくなることは、最後までありませんでした。

「家具も、新しいのを買ってきて私の家に入れてたんです。それを、ケンカすると『全部捨てろ!』って。家になんにもなくなって、クッションにくるまって寝てた時期がありました。ある日、めっちゃ腹が立って彼の家に押しかけて、しばらくそこに住んでました」

オジサンの家は、豪華なマンションの高層階。しかし、その生活も長続きしませんでした。

「ある日、彼の家で元カノと鉢合わせしたんです。その時は、空気を読んでサッと家に帰りました。なめられるのは嫌やって思ってるのに、そういうのは我慢できてしまう。だから、便利な女やと思われるんでしょうね」

その時から、友美さんは彼の家には行かなくなりました。

ヤクザはやっぱりヤクザ

もし縁がある男性がいたら…

つかず離れずで続いてきた、友美さんとオジサンとの関係。別れの原因は、何だったのでしょうか。

「お金を貸してって言われて、80万ぐらい貸したんです。それを全然返す気がなかった。ああ、ヤクザはやっぱりヤクザなんや、って思いました」

友美さんに借金をしている状態でも、オジサンは服やアクセサリーを買ってくることをやめませんでした。「うちの壁に釘を刺して、自分で買ってきたアクセサリーを掛けていくんですよ。壁中を、趣味じゃないものが埋め尽くしていった。『そんなん買うお金あるんやったら借金返して』って、思ってたけど言えへんかった」

友美さんの気持ちは、徐々に冷めていきました。ある夜、オジサンが寝ている間に合鍵を取り上げます。目を覚ましたオジサンに、きっぱり別れを告げました。

「『あんたとは結婚もないから』と話をしました。彼はあっち向いてたけど、しばらく泣いてたみたい。ずっと一緒におったから、やっぱり寂しかったです。でも色々、見たくないものも見たし、ヤクザとの恋愛に未来はないと思ったから。無理やり、引きはがしました」

別れた後、オジサンから連絡がくることはありませんでした。

「今思えば、私みたいな素人の女、彼の立場やったらどうとでも出来たと思います。危ない目に合わなかったのは、ほんまにラッキーやっただけ。もう二度と、ヤクザと恋愛しようとは思いません。そんなに綺麗な世界ではないから」

ひとりでも生きていけるけれど

オジサンと別れて、友美さんはやっぱりちゃんと結婚してみようかな、と思い始めます。ネットの婚活サイトを利用するものの、長続きする相手とは出会いませんでした。そして2年前に父親が亡くなり、友美さんの考え方も変わったといいます。

「ずっと正社員でやってきて、親の介護も終わって、もう私ひとりでも余裕で生きていける。50歳手前になって、残りの人生、何がしたいか考えたら、人のために動くことかなって。最近は、地域のボランティアに参加したりしてます」

強く生きようと一人で歩んできた人生。50歳を前に、どのように振り返るのでしょうか。

「父の影響で『人に頼りたくない』と生きてきたし、結婚は誰かに依存することやと思っていました。でも今は、次の世代を育てたり、自分以外の人の役に立ったりっていう人生のステージに来てる。もし縁がある男性がいたら、結婚したいと思っています」

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ヒトミ・クバーナ (ひとみ・くばーな)

メキシコ帰りの関西人ライター。夫はメキシコ人。大学で演劇を学んだ後、劇団活動をしながらバーテンダーなどのアルバイトを転々とする。27歳でキューバにスペイン語留学し、30歳でメキシコに移住。結婚を機に帰国後、フリーのライターとなる。趣味はひとり旅、ひとり飲み、ひとりお笑いライブなど。

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