追いかける恋の末、独身つらぬく 織田裕二にハマる76歳の学習塾経営者

人口に占める65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)が21%を超える社会を「超高齢社会」と呼ぶ。そんななか、日本の高齢化率は驚きの28.7%(2020年時点)。すでに、すさまじい超高齢社会を迎えている。

長く生きると家族や知人がいなくなり、孤独な時間を過ごすことになりがちだ。ならば、そんな一人きりの時間との付き合い方を知っておくべきではないだろうか。

そこで今回、私は、独身でありながら充実した生活を送っていそうな高齢女性の一人、中井たか子さん(仮名・76歳)に話を聞いた。

実は、彼女は私の親戚なのだが、一度も結婚することなく、実妹と2人で暮らしている。まもなく喜寿を迎える年齢とは思えないほどエネルギッシュな彼女に、その秘訣を聞いてみた。

76歳でも現役!独身、細うで繁盛期

なぜ、私が中井さんをエネルギッシュだと思うか。第一に彼女は、今も生まれ育った地元で個人塾を経営し、バリバリ現役で働いているのだ。

「地元のK大学女子短期大学部(現在は廃止)の国語科を出て、2年間だけ会社勤めをした後、独立しました。個人塾は24〜25歳から始めて、もう50年くらい教えていることになりますね。教科は主に英語と数学。小、中学校の生徒が対象で、英語は私が教え、数学は近くの教育大の学生が教えています」

当初は個人でやっていた塾だが、1975年頃から大手学習塾にも加盟した。きっかけは「3時間あなたの時間をください」という新聞広告だった。

「趣味のモダンダンスのレッスンを受けながら、週に2日だけ個人塾をやっていたのですが、新聞広告を見つけて、1日3時間なら大手学習塾の仕事をしてもいいかなと思ったんです。でも、それは嘘でした。授業の準備や生徒・親のフォローの時間まで含めたら、3時間では全然終わらなかったんですよ!(笑)」

生徒のために「心理学を勉強」

親から進路や悩みの相談を受けるうち、中井さんは「もっと生徒の親のことを知らないとダメだ」と思うようになり、心理学の勉強を始めたという。

「当時、“親業”という子育ての本が注目を浴びていて、親業訓練協会の講座を受けて心理学の入り口に立ちました。しかし、親業のインストラクターをやっているうちに、もっともっと知りたい、学びたいと思い、本格的に心理学の学習を始めたんです。初めの師匠は東山紘久先生(元京都大学副学長)で、ケーススタディの指導を受け、個人分析も受けました」

その後、プロセス指向心理学を日本に紹介した富士見ユキオ氏や、プロセス指向心理学の創始者であるアーノルド・ミンデル夫妻などからも多くを学ぶ。そんな当時を「土日はほとんどワークショップに出ていて、ミンデル博士に教わるためギリシャにも行きました」と振り返る。

「心理学を学んだことで、ようやく生徒や親の心や考えが分かり、教えることから自由になりました。今では心理学を勉強して本当に良かったと思います。そのおかげで、不登校、多動症候や自閉症、ダウン症などの傾向を持つ児童の指導も抵抗なくできています」

コロナ禍ではリモート会議、特別授業も

中井さんはトータルで50年近く、講師として教鞭をとっていることになる。その期間の長さに驚かされるが、当然のことながら、事業継続の裏には多くの努力があった。

「1990年頃、登校拒否児童が世間で注目を集めましたが、その親や子供たちのセラピーをするために、自宅とは別に小さいマンションを購入しました。そして、スーパーバイザーの指導を受けながら、カウンセリングを本格的に始めました。この10年は休業状態ですが、今もそのマンションに生徒たちが泊まったり、勉強会の場に使ったりしています」

記憶に新しいところでは、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、全国的に学校の休講措置が取られ、中井さんの塾も休講せざるを得なかった。

「緊急事態宣言下では、塾もお休みしました。その後、一時、個別指導やリモート授業などに切り替えていましたが、学校が普通の登校になってからは手洗いやマスクをして時間差で授業をしています。講師の方にはフェイスシールドやマスクなどを着用してもらっています。ZoomやTeamsも使うこともあありますが、新しいことを学ぶ良い機会だと思っています」

織田裕二と佐野元春に60歳を過ぎてハマる

そんな中井さんだが、仕事だけでなく、趣味にも忙しい。20代前半から30代後半までモダンダンスを習い、当時のモダンダンスの開拓者の一人であるマーサ・グレアムに憧れてニューヨークまで行ったこともあるとか。

「ダンスを始めたきっかけは、京都の東山会館で行われた北川祗恵子さんの舞台でした。会館の屋上から照明を当てる幻想的な演出に魅了され、即、先生のレッスンを受けに行ったんです。そして、先生と一緒にニューヨークまで行きました。でも、そこで踊っている人たちを見て、日本人の自分は手足も首も、なんて短いんだって自覚。すぐ挫折しましたね(笑)」

さらに最近ハマっているのが「有名人の追っかけ」。織田裕二と佐野元春が2大スターで、しばしばドラマや映画のDVDを見たり、音楽を聞いているという。

中井さんが集めた織田裕二の出演作品

「60歳を過ぎたとき、今までやっていなかったことをやりたいと思ったんですね。ファンクラブに興味があった。ちょうど織田さんの『踊る大捜査線』の映画パンフレットにファンクラブの申込要項があり、”面白いことがありそうだ”と思って入ったんです」

当時は2年ごとに”ファンクラブの集い”があり、毎回参加して楽しんだ。

「食事会、ゲームやクイズ、軽井沢でのパターゴルフ、野外バーベキュー、陶器の絵付け。織田さんを囲んだ写真撮影や質問会もありました。人間・織田裕二と出会えて、楽しかったです」

「織田裕二=本当のスター」だと知った出来事

そんな中井さんには、ファンクラブで特に忘れられない出来事があるという。ある年のファンクラブの集いで、ファンの女性と相部屋になったときのことだ。

「その女性と部屋でいろいろな話をしたのですが。どうやら彼女はドメスティック・バイオレンスの被害に遭っていた過去があるんです。今はその夫と別れ、2人の子供をひとりで育てているそうなんですが、ある時、子供たちが今回のファンクラブの集いに参加を勧めてくれたというんです。

彼女は『この日が楽しみだったんです。これでツラい出来事を忘れられます』と嬉しそうに語っていました。それを聞いて、織田さんの存在は、私のカウンセリングよりもよほど多くの人を救っているんだと実感。感動して、織田さんに手紙を書いて送りましたよ。返事はありませんが(笑)」

もう一人のスターである佐野元春を知ったのも、きっかけは織田裕二だったという。ある日、中井さんは、佐野元春の名曲「サムデイ」を歌っている織田裕二の映像を見たのだ。

「佐野さんは楽曲もよかったですが、経歴も面白くて。最初、漫画家になりたかったんですよ。でも、いくら描いても母親が原稿を破って反対するので、作詞を始めたと言っていました。そのお母さんは厳しい性格だけど、エルビス・プレスリーが好きで、経営している喫茶店でレコードをかけていたりと、佐野さんにインスピレーションを与えてくれる存在だったんです」

最後の恋は40代「金づるにしてしまう」と言われた

これまでの恋愛経験についても聞いてみた。これまでに一度も結婚することがなかった中井さんだが、淡い思い出の体験があるそうだ。

「短大の1回生の時、京大の演劇部に入ったんです。部員の男子学生Aさんと仲良くしていたら、その学生を好きな女子学生と、その応援団の学生たちに呼び出されて、『Aさんに近づかないで』と言われたんです。今でいう集団いじめかな。親しくしてもらっていただけなので、びっくりして。しかし、その女子学生には、私がAさんを追っかけているように見えたんでしょうね」

中井さんいわく「恋と犬は追いかけてはいけない」という格言があるらしい。だが、当人は格言を忘れて「追いかける恋」を繰り返してきたそうだ。

「最後に追っかけた人は、東京の人でした。もう40代の時だったと思います。ただ『僕は結婚しない。これ以上付き合っていると金づるにしてしまう』と言われて諦めたんです。暗黒舞踏の音楽を作っている人で、フランスまで舞台を見るため追っかけました」

なんとも切ない恋の結末。では、恋愛に関係なく、今後の目標はあるのだろうか。

「もう76歳ですよ(笑)。ただ、今の個人塾の仕事で子供たちを育てるのは、社会的意義があると思ってやっています。心理学の知恵やテクニックは、ハンディキャップを抱えた子供たちの学習支援に応用したいですね。仲間の指導者たちとは『80歳までは頑張ろう』と話し合っています」

体と頭が続く限りは頑張っていきたいという中井さん。友人たちと「京都事務局の黒柳徹子」を目指そうかと言い合っているそうだが、これからも元気でいてほしい。

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