「週末狩猟生活」東京から移住した九州で、鉄砲のドツボにはまる

猟の魅力にとりつかれた私
猟の魅力にとりつかれた私

イバラに切られ、ほおから血を流している。小枝が鼻の穴から入って粘膜を突き刺す。しばらくすると、枯れた竹に手足を取られて、もはや身動きさえとれなくなった。大汗かいた背中が、ひやっとしてくる。

おれ、ここで死ぬのかな……。

そんな経験、したことありますか? あるわけない。まともな社会人のすることではない。自分でやってて、そう思う。(執筆・近藤康太郎)

百姓兼猟師兼ライター、まれに新聞記者

鉄砲撃ちの猟師になった。はや3年だがまだまだ新人で、銃の腕前はど下手。しかし、底なし沼に足を取られて沈んでいくように、ちょっと表現が妙だが、まあ、そんな感じで、猟の魅力にとりつかれている(ところで、底なし沼に足を取られた経験、ありますか? あるわけない。猟師をしていると、結構な頻度でそんな恐怖も味わえる)。

鉄砲撃ちの狩猟は、「日本一難しい趣味」といわれる。

「難しい」の意味するところは複雑で、また、「趣味」という言い方は正確ではないと、わたし個人は思っている。おいおいそのことも書くのだろうけど、なにしろ、四六時中、猟のこと考えるようになってしまった。

夢にも見る。職業はライターで、新聞や雑誌や本やネットに文章を書き散らして食っているのに、締め切り前、原稿もまだ完成しておらず四苦八苦していても、風が強かったり雪が降ってきたりすると、そわそわしてくる。おしりがムズムズする。ふつうの人の嫌がる荒天は、猟師にとって絶好の猟日和なのだ。けものの警戒心が弱まるから。つい、パソコンを閉じて銃をひっつかみ、軽トラに乗って山へ出かけてしまう。

ドツボに、はまっているのだ。

もともとは東京・渋谷生まれのセンター街育ち。学校も会社も東京。3年間、ニューヨークに転勤していた時期をのぞけば、ずっと東京砂漠がホームタウンだった。これは自慢じゃない。なんともつまらん人生だった。いまは、それが分かる。

2014年に気がふれて、長崎県諫早市という地方の支局に、自ら望んですっ飛ばされた。ここで鉄砲撃ちにはまった。いまは大分県日田市で、鴨、鹿、猪などを追っている。耕作放棄地を借り、自分の食べる分の米も、自分で作っている。意味不明な中年男に、なぜか地元の新聞社、テレビ局の若者がなついて、夜な夜な、家で酒飲みながら、文章論なんかも教えている。いわば私塾。

東京から山奥に引っ込んだわたしを、東京の知り合いは「百姓兼猟師兼ライター、たまに私塾の塾長。まれに新聞記者」なんておちょくる。「肩書いっぱいあっていいねえ」と。ところが、猟のおかげで、肩書がまだまだ増えていきそうな気配もあるのだ。

鴨撃ち後の写真(近藤康太郎さん)

鴨撃ちの極意は奇襲戦法

荒れ果てた雑木林のなか。行く手を阻む木や藪をよけながら歩く。目印にしている巨石にたどり着く。身をかがめる。ここから池のほとりの立木までは、よつんばい。散弾銃を手に、右ひじ、左ひじを交互に前へ這う。匍匐前進というやつである。

鴨の、忍び猟をしている。

どっかで見たなこの光景。そうか。サンダース軍曹か。「チェックメイト・キングツー、チェックメイト・キングツー。こちらホワイトロック、どうぞ」

ある年代より上の男性には分かってもらえるだろう。1960年代に放映してた海外テレビドラマ「コンバット」。アメリカ陸軍のサンダース軍曹を、懐かしのビッグ・モローが好演した。泥臭くて無口で武骨な、たたき上げの軍人。第2次大戦のヨーロッパ戦線で、米軍の小部隊を率いた。敵兵に気付かれることなく、最短距離まで近づき、奇襲をかける。

断っておくが、戦争なんて大っ嫌いだ。人類の敵だ。度胸もないくせに口だけ好戦的な一部のネット民は、疥癬持ちのイヌだ。そして、猟は、戦争の反対物なんだ。平和活動だ。冗談で言ってるんじゃない。いずれ書く。

もとい。

とはいえ、馬鹿な男子って「戦争ごっこ」にはまるもんだ。そう、小学5年くらいまで。戦車のプラモを作ったり、親にGIジョーをねだったり。おもちゃの銃を手に、公園や空き地の“戦場”で、敵味方に分かれて撃ち合う。敵の背後に忍び込み、不意打ちする。それを、いま、やっている。

鴨のいる場所とは、人のいない場所だ。鴨は、きわめて用心深い動物で、人の気配をはるか遠くに感じると、すぐ回避行動をとる。50メートル以内に接近すると、迷わず飛び立つ。耳もとりわけよくて、足音を聞き逃さない。

とった鴨を手渡す近藤康太郎さん

だから、鴨に射程距離まで近づくのは至難のわざなのだ。わたしの住む大分県日田市は、海から離れた山奥で、鴨を見つけるのはとくに難しい。けもの道を探して山の中を歩いていて、偶然見つけたこの池は、だから、わたしにとっては大切な財産なのだ。

人が通わなくなって10数年とおぼしい、深い藪に囲まれている。池の左右と裏手は、竹やぶやイバラに阻まれて、歩くのも困難だ。藪がまばらな正面からは、こちらの姿が丸見え。うまくできてる。天然の要塞。だからこそ、いつも鴨がいる。安心しきって、ドングリなどをついばんでいる。

では、どうするか。

裏をかくのである。藪に阻まれた池の裏面へ、山を登って下りて、大回りしてアプローチできないものか。ある日、山の中を一日、歩き回った。すこしでも藪の薄いところを求めて、枯れた竹を踏みしめ踏みしめ、進む。背丈より高い藪に囲まれる。じきに、前進も後退もできなくなる。遭難……。恐怖を味わう。

こんな道を何度も通えないし、なによりバキバキ激しく音がするので、鴨にも気付かれる。そこで、迂回路を切り開くことにした。

草刈り機で道をつくる近藤康太郎さん

百姓仕事の必需品、草刈り機。1万円で買ったすぐれもの。山の中へ草刈り機を持ち込み、ようやくひとりが通れるだけの道を刈っていく。枯れ木ばかりでなく、生木もある。切り開くのは困難を極める。ふつうに歩けば5、6分の道を、1時間以上もかけて、刈る。人に見られたら、怪しすぎる光景だ。

目印の巨石から、池のほとりの射撃ポイントまでは、地面を覆った枯れ葉を手で丁寧にのぞいて“掃除”しておく。枯れ葉がカサッと音をさせたら、すぐに気付かれるから。ここから匍匐前進、気付かれずに忍び寄り……。

本番を想像するだけで、脳内からアドレナリンが吹き出す。この感覚、小学5年の戦争ごっこ、敵の裏をかいた、あの興奮と同じなんである。

「一生を通じて、どれだけ大きな子供でいることができるか」。そう書いたのは、ショウペンハウエルだ。「真面目くさって、冷静で、落ち着き払った人間は、世界のためには有用な市民だが、とうてい天才にはなれない」と。

わたしたちは、天才ではない。なれるわけもない。ただ、大きな子供、永遠の青二才にはなれる。精神年齢小学5年に、なってやれ。

……馬鹿な人。そういう声が聞こえる。否定はしない。なにせ小5だ。

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