「ゲイの孤独を理解できたか分からない」薔薇族・元編集長の回想
「死ぬことを恐れてはいないんだ。どこかマゾっ気があるんだろうね」
86歳になる伊藤文学さんは、少年のように笑ってそう語ります。伊藤さんは、ゲイ向け雑誌の先駆け『薔薇族』の初代編集長です。社会的マイノリティである『薔薇族』の読者は、どのように「ひとり」と向き合ってきたのでしょうか。長年にわたり彼らと交流してきた伊藤さんに、話を聞きました。
ーー『薔薇族』創刊は1971年。時代を考えると、同性愛者は孤独を感じていたのでは?
伊藤:30歳を過ぎても結婚しないと周りがうるさく言う時代だったから、風当たりは強かっただろうね。僕の知っている人は、みんな繊細だった。年をとってからも親と同居して、親の面倒を見てあげる優しい人も多かったよ。
ーー彼らにとって、『薔薇族』の存在は大きかったでしょうね。
伊藤:同性愛を扱う雑誌は『薔薇族』以前にもあったんだ。『風俗奇譚』とか『奇譚クラブ』とかね。だけど、取次で雑誌コードを取ったのは『薔薇族』が最初だった。だから、北海道から沖縄まで全国の書店に並んだし、新宿の紀伊国屋書店も置いてくれた。読者は『薔薇族』を通して仲間がいることを知って、喜んでくれたんじゃないかな。
ーー当時の読者は、どのように孤独を乗り越えていたのでしょうか。
伊藤:『薔薇族』には毎月、読者から小説やイラストがどっと送られてきたよ。作品に気持ちを託していたのかもしれないね。『少年の部屋』というコーナーがあったんだけど、小学6年生の男の子からも手紙が届いた。文章がうまくて、とても今の子では書けないようなものだった。
ーー伊藤さんに直接、相談してくる読者もいたとか。
伊藤:雑誌には僕の自宅の電話番号を載せていたから、よく電話がかかってきたんだ。ハァハァ荒い息づかいが聞こえるのもあったけど、僕は読者からの電話を切りたくなかったから、相手の気が済むまで聞いてあげたよ。
「人はあっけなく死ぬと悟ったところがある」
伊藤さん自身は異性愛者で、現在は妻と息子夫妻、お孫さんと一緒に暮らしています。2004年に『薔薇族』が休刊したあとは、散歩とお気に入りの喫茶店に通うことが日課だといいます。しかし、先妻を事故で亡くしていたり、妹さんが若くして心臓病で亡くなっていたりと、その人生は決して平坦ではありませんでした。