「彼女に謝らせる権利がない」ギャンブラーがラスベガスで遭遇した2つの「権利」
カジノで勝ちを重ねた前回の話から数ヶ月後、ぼくはまたラスベガスに舞い戻った。
何度も訪れているというと、あたかも金があるかのように思われがちだが、全然そんなわけではない。ギャンブル以外に大した趣味もなく、どうしてもラスベガスを訪れたいがため、他の出費を極力セーブし、旅費を捻出しているだけである。
この日はあるお店にやってきた。「ギャンブラーズブックショップ」という本屋だ。
この店はラスベガス郊外にあり、置いてあるのはカジノをメインに、すべてギャンブルに関する本。「どうすればカジノで勝てるか」を書いた本から「なぜカジノで勝てないか」を書いた本まで、ギャンブル本なら世界屈指の品揃えだ。
何度か足を運ぶうち、オーナーのハワード・シュワルツさんと知り合った。彼はカジノ好きのぼくに、いつも本を見繕ってくれた。それらを読むと、自分が見落としてきたことに気づかされ、実際にカジノで役に立つこともあった。
この日もひとしきり話をし、本を買って帰ろうとすると、店員がぞろぞろ帰りはじめた。
すでに閉店時間となっていたのだ。
「これ、お願いします!」
急いで本を買おうとすると、
「もうレジを閉めたから」
「そこを何とか……」
「すまないが、妻が家で待っているから」
日本では、閉店時間で「蛍の光」が流れていてもすぐに帰れとは言われない。そんな社会に慣れ切っていたぼくは、会計するためのほんの1〜2分を待ってくれない店員に、いったんは「冷たいのでは?」と思った。
しかし、少し冷静になると、それが当たり前なのかもしれないと思った。むしろ日本の顧客が甘やかされているのではないかと思ったのだ。
契約した時間はちゃんと働き、終われば帰るのは「権利」であり、不当に削られてはいけない。たとえそれが夢の街ラスベガスであってもだ。
ちなみに、ぼくを気の毒と思ったようで、この日はオーナーのハワードが処理してくれた。ハワードが呼んでくれたタクシーに乗り、ぼくは一度ホテルに戻り、本を置いてダウンタウンに出撃した。
そこでぼくはあるトラブルに巻き込まれた。
早すぎた「ノー・モア・ベット」
カジノに入ってルーレットをしていた時だ。ルーレットでは、ディーラーが玉を投げてから客が賭けるための一定の時間を見計らい、賭け終了の合図である「ノー・モア・ベット(No more bet.)」が告げられる。その時間は厳格には決められていないが、誰が投げても極端な差はないのが通例だ。
ところが、その時のディーラーは違った。彼女は「ノー・モア・ベット」までの時間が長かったかと思えば急に短くなったりと、バラつきが激しい。むろん生身の人間がやることなので、人によって多少の差はあるが、彼女の場合、あまりに極端でやりにくかった。
ぼくは言った。
「もっと一定の時間でやってほしい」
すると次のゲームでは、まるでぼくに当てつけるかのように、さらに短い時間で「ノー・モア・ベット」をコールしようとした。
客一同、慌てて賭けたなか、彼女はぼくのチップだけ指でつまんで弾きだした。ぼくより後に賭けた人のチップは有効であるにもかかわらず、ぼくのだけ無効にしたのだから、明らかにぼくへの嫌がらせと思った。
それだけならまだ我慢できたが、玉が落ちた数字にテーブルが騒然となった。
ぼくの賭けた数字だったからだ。彼女が無効としていなければ、ぼくのチップは当たっていた。こうなったら、引き下がるわけにはいかない。ぼくは手を挙げ、マネージャーを呼んだ。
ぼくが事情を説明すると、他の客も抗議した。
「彼への嫌がらせだ。明らかにおかしい。彼のチップは的中していた」
「カメラの映像を確認してくれ」
ぼくが言うと、マネージャーはどこかに連絡を取った。
もしかして映像を確認するためだったかもしれないし、そうではなかったのかもしれないが、結局、配当を払うことはできないと言われた。マネージャーは謝ったが、ディーラーは憮然(ぶぜん)としたままだ。
ぼくが謝ってほしいのはディーラーのほうだと言うと、マネージャーはこう言った。
「私には、彼女に謝らせる権利がない」
「権利」という言葉がこうした使われ方をするのを、ぼくは初めて見たように思った。ラスベガスは夢の街だが、そんな街にも厳格な契約社会という一面があることをかいま見た出来事だった。