エジプトでダラダラすごす僕に1通のメールが(青春発墓場行き 20)

(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

エジプトに来て早1カ月、ヨルダンの国境沿いのリゾート地のダハブで僕は、のんびり滞在していた。といっては聞こえがいいが、ようはダラダラしていただけだった。未来のあてなんてなにひとつない。海だけが真っ青だった。紅海という名前だというのに。

そんな日常にイライラしつつも、僕は、ダイビングをしたり、クラブに行ってみたり、しっかり楽しんでいた。前出の通り、この先どうするかということはまったく決めていなかった。このまま、アラビア半島を北上して、ヨルダン、シリア、レバノン、イスラエルと渡り、トルコにもう一度陸路で入るのもいいかなと漠然と思っていた。まだシリアが内戦になるほんの少し前のことだ。そう思っていた矢先、僕のもとに、一通のメールが届いた。

それは、ある雑誌に参加しないかという誘いだった。僕は延々と迷いに迷った。たぶん、このチャンスを逃すと僕はもうライターには戻れない。でも、陸路で縦断も捨てがたい。そんな経験なんて、もうこの先一生することができないかもしれない。悶々と唸る日々は数日間続いた。そして――。

僕は、日本に帰ることにした。実は、書きたい欲がまだそれほど溜まっていたわけではなかった。何がそうさせたのか自分でもわからなかった。未来への不安? このまま縦断したら、行くところまで行ってしまうのではないか。待っているのは世捨て人か? 僕は、どこかで、人生にストッパーをかけたのだった。いや、かけてしまったのだった。それがよかったことなのかどうかは、今になってもわからない。

縦断していたら、また違う、輝かしい未来が待っていたかもしれない。だがしかし、ストッパーをかけたとしても、厳しい現実には変わりない。僕にはブランクがある。やれることも限られているだろう。しかも、勤労意欲はあまりないままだ。でもやるしかない。僕は、帰国のチケットの日付を変更し、日本に戻ったのだった。

地元・高円寺で見かけた人だかりの中心には……

その雑誌にはうまく参加できることができたのだが、スポット依頼だったので、他の仕事はなかった。ほとんどニート状態からのスタート。俗世間を離れていたので、つてもない。どうやったら仕事を増やせばいいのかわからない。本当にゼロからの出発だった。

かと言って、すぐに動けるわけでもない。僕はダメ人間と化し、ふらふらとラオスやモロッコに旅行にいっては時間を浪費した。業を煮やした彼女は僕を見限った。正真正銘、僕は何もかも失ったのである。貯金も底をつきかけていた。

そんなある日、僕は、ある本屋で、ストリートチルドレンを取材したノンフィクション作家の本を偶然に手にした。読んでみると、とんでもなく面白かった。なんだろう、この気持ちは。湧き上がる感情を抑えきれず、僕は、奥付をチェックした。作者は、僕と1歳しか違わなかった。いったい僕は何をしているんだろう。何かが吹っ切れた瞬間だった。

それから数日後、地元の高円寺の駅前を歩いていると人だかりができていた。なんだろうと思って近づいてみると、ビッグイシューの売り子さんがいた。ひとだかりのひとりに聞いてみると「ビッグイシューに挟んでいる自作のポエムが人気で売上が凄いことになっている」とのことだった。僕は一瞬でこの人に取材しようと決めた。頼み込んで取材の許諾を得て、そこから彼の密着取材が始まった。

自分のなかの書きたいという欲求が徐々に目覚めて来ていた。

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